1日(土)アーセン・ベンゲル監督がアーセナルの指導者として20周年を迎える。1996年10月1日、ベンゲル監督はアーセナルの監督に任命された。

アーセン・ベンゲル監督はロンドンの伝説だ。20年前に“Evening Standard”紙は「アーセンだって、それは誰だ?」とヨハン・クライフの後任となるこの監督をからかった。その20年後、アーセン・ベンゲルの名を知らないサッカーファンは存在しない。
ベンゲル監督は多くの小サニャ批判を受けながらも、その名声を不動のものにした。

「彼は失敗のエキスパートだ。」とジョゼ・モウリーニョ監督は皮肉っている。
フランスのアルザス出身のベンゲル監督は、特殊な経歴を有しており、近年その他のプレミアリーグの強豪に一歩遅れを取っているとはいえ、常にアーセナルをチャンピオンズリーグ等の重要なトーナメントに導いてきた。
過去の“退屈なアーセナル”時代を知る元DFナイジェル・ウィンターバーンは、「ベンゲル監督が来たことによってすぐに変化は起きた。監督と練習を始めてすぐに、彼の実行する改革に参加したいと僕達は思った。」と語っている。

ベンゲルは選手達にビールやチョコレート、菓子類の接種を禁じた。
このことはトニー・アダムスといった選手達との衝突を引き起こした。

しかし監督はすぐに選手全員の信頼を勝ち取り、監督は選手全員の理解に努めた。
「彼は素晴らしかった、選手に自信をつけさせる事にとても長けていた。その当時には画期的な食事メニューを採用し、ボールを使用した練習を多く実施した。あれは革命的だった。」とウィンターバーンは語る。

アーセナル到着の2か月前である1997年の2月に、ベンゲル監督たっての希望によりパトリック・ヴィエラが入団した。そしてその翌年にはエマニュエル・プティや、マルク・オーフェルマルスを獲得し、各メディアから「インターナショナルなチーム、リスクをいとわない、興奮させる。」といった評価を得た。そしてアーセナルはプレミアリーグにおいて13試合連続勝利の快挙を成し遂げた。

シーズン1997-98はアーセナルにとって非常に重要な期間だった。
12月にプレミアリーグの第6位まで落ち込んだアーセナルだが、監督は選手達を集め次のように激励した。
「もうすぐマンチェスター・ユナイテッドの勝利に賭けた人間に配当金が支払われようとしているが、勝利するのは私達だ。」
そしてアーセナルは1998年に二冠を達成し、2006年までファーガソン監督のユナイテッドと肩を並べた。

1998年の夏の移籍市場ではプラットやライトに代わり、MFフレドリック・ユングベリが入団した。「我々は既にイギリス内で他にないようなクラブになっていた。」と元MFマルク・オーフェルマルスは語る。
そこから2005年までアーセナルは8つのタイトルを獲得し、ユナイテッドと肩を並べる唯一のクラブとなった。そして2006年7月、ライカールト率いるバFCバルセロナに欧州CLで敗れる2か月前に、アーセナルの新スタジアム“Ashburton Grove”が完成した。



その後、一時は49試合無敗を誇ったアーセナルも苦境の時代を迎える。
「私達は新スタジアムの費用を捻出しなければならない。クラブがこれから成長を続けるためには必要なプロセスだが、短いタームで見れば様々な問題が起きるだろう。」とベンゲル監督が予言した通りの状況が起きた。

アシュリー・コールはチェルシーへ去り、ロベール・ピレスはビジャレアルへ、ローランはポーツマスへ移籍、レジェスはレアル・マドリードへと去った。しかし代わりにデニルソンやギャラス、バウティスタ、トマーシュ・ロシツキー、ソングといった選手が入団。
だがセスク・ファブレガスをメインとしたチェルシーは少しづつ強豪クラブの影に隠れ始めた。
2007年にチェルシーの衰退を引き起こす変化が訪れた。エクゼクティブディレクターのデヴィッド・デイン氏の退任だ。またデイン氏に続き、ティエリ・アンリもバルサへと去った。

そして冬の時代がやってくる。アーセナルはプレミアの強豪チームを前に互角に戦う力を失くし、監督の性格も変わっていった。
「敗北を認めず常に言い訳を探す。彼は注意をそらすことにかけてはプロだ。」とその時代にファーガソン監督はコメントしている。
監督の人気も落ちてゆき、サポーター達の間での監督の辞任の声も高くなってきた。



ベンゲルは今週日曜にアーセナルの監督としての第1130試合目を戦う。しかし、6月を最後に辞任するのではないかという噂が存在する。
アーセナル辞任後のイングランド代表監督就任の可能性に対し、ベンゲル監督は「私のトッププライオリティはアーセナルだが、もし退任すれば断る理由はない。」と9月30日のインタビューで監督はコメントした。

こうして1日(土)にアーセン・ベンゲルはアーセナル監督就任20周年を迎える。
「私と共に一つの時代が終わるだろう。」と監督は以前コメントしている。