台風が猛威を振るうこの秋ですが、みなさま対策は万全でしょうか。そんな中に先週末は台風の合間を縫って、各地でにぎやかな祭囃子が響きましたね。さて、9月21日は賢治忌。宮沢賢治(1896〜1933)は故郷の岩手県花巻市で37歳の短い生涯を閉じましたが、その最期は、賢治が半生を捧げた「農」への想いに満ちていました。収穫の季節のそんな賢治の姿を、俳句や短歌の世界から追ってみます。

賢治忌を詠む

まずは、賢治忌を詠んだ句をご紹介します。

・ゝゝと芽を出す畑賢治の忌        阿部みどり女
・賢治忌の枕もとより蝗かな        小原啄葉
・田まわりの兄の自転車賢治の忌     有馬正二
・伝言板見かけぬ駅や賢治の忌      星徳男
・どつてこのきのこ楽隊賢治の忌      生方義紹
・トランクは空を飛ぶもの賢治の忌      矢島惠
・賢治忌や水琴窟の透ける音        林孝典
[句引用:宇多喜代子(監修)、松田ひろむ 他 (編集)『ザ・俳句十万人歳時記 秋』第三書館]

「ゝゝと」は、「ちょんちょんと」と読みます。秋の何気ない風景の中に、物語や空想が広がるイメージですね。賢治の得意だった、ユーモラスな表現をなぞった作品もみられます。

秋の岩手山
秋の岩手山


原体剣舞連(はらたいけんばひれん)

賢治の作品は、自然崇拝にもとづく世界観と、独特な音感に彩られています。故郷の自然を愛し、そして音楽に夢中になった賢治は、岩手に古くから伝わる剣舞を、『原体剣舞連(はらたいけんばひれん)』という作品にしています。旧仮名遣いです。

・原体剣舞連(はらたいけんばひれん)
(mental sketch modified)
dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
こんや異装(いさう)のげん月のした
鶏の黒尾を頭巾にかざり
片刃の太刀をひらめかす
原体(はらたい)村の舞手(をどりこ)たちよ
鴇(とき)いろのはるの樹液を
アルペン農の辛酸に投げ
生(せい)しののめの草いろの火を
高原の風とひかりにさゝげ
菩提樹(まだ)皮(かは)と縄とをまとふ
気圏の戦士わが朋たちよ
[作品引用:吉本 隆明『宮沢賢治の世界』筑摩書房]

代表作の詩集『春と修羅』に収録されていますが、宮沢賢治は晩夏にこの踊りをみて、作品にしたとも言われています。剣舞は、岩手県各地に伝わる民俗芸能。原体地区の剣舞は、子どもが舞手となる「稚児剣舞」であることが特徴です。
賢治は生前不遇で作家としてはほとんど評価されませんでしたが、この鮮明なイメージ表現は、とても現代的。時代を先取りしていたのかもしれません。

北上みちのく芸能まつり 鬼剣舞
北上みちのく芸能まつり 鬼剣舞

み祭三日 そらはれわたる――賢治、最後の日々

賢治の晩年は病床にありましたが、1933 (昭和8)年には、少し起きられるようになっていました。天気に恵まれた9月17日から19日までは、花巻の氏神の祭り。この年は3月に津波があったものの大豊作で、町では山車がたくさん練り歩き、大いに賑わいました。祭りの間は、賢治も臥せっている部屋から降りてきて、門の前に出て神輿の渡御を拝んだそうです。19日の祭りの最後の日、賢治は二首の短歌を書きます。

・方十里 稗貫(ひえぬき)のみかも 稲熟れて み祭三日 そらはれわたる
・病(いたつき)の ゆえにもくちん いのちなり みのりに棄てば うれしからまし
[短歌引用:奥田 弘ほか(著)『宮沢賢治の短歌をよむ―続橋達雄筆録/六人会「賢治ノート」』蒼丘書林]

稗貫(郡)の地の十里四方に稲が実り、三日の祭りの間、天気までもが豊作を寿いでくれている。病で朽ちつつある命だが、稲の実りの役に立つならば、嬉しいことだ。そんな大意です。
翌日には、賢治が祭りを眺めていたことを知った農夫が、賢治は回復したと考えて訪れます。賢治は時間をかけて農夫の肥料などの相談に乗りますが、容体が急変。急性肺炎となり、翌日、家族に看取られて永眠します。祭りとともに詠んだ二首の短歌が、絶筆となりました。
今年は、宮沢賢治生誕120年。ゆかりの地・花巻市では、たくさんの催しが企画されています。語り尽せない多面的な賢治の魅力を体感するためにも、秋の季節に、一度は岩手を訪れてみたいですね。

参考文献:
宮沢清六 (著)『兄のトランク』筑摩書房
滝浦静雄 (著)『修羅とデクノボー―宮沢賢治とともに考える』東北大学出版会
田口昭典 (著)『宮沢賢治入門 宮沢賢治と法華経について』でくのぼう出版

北上みちのく芸能まつり 鹿踊り
北上みちのく芸能まつり 鹿踊り