終戦から71年経過しましたが、いまだに解決していないのが、不法占拠されたままとなっている北方領土の問題です。ことしは、平和条約締結後に歯舞群島、色丹島の引渡しを決めた1956年の「日ソ共同宣言」からちょうど60年の節目になりますが、まだ平和条約も、北方4島の返還も実現していません。そうした中、9月に行われた日露首脳会談で、12月にプーチン大統領の来日が決まり、領土交渉の進展が期待されています。

 あらためて、北方領土とはどんな場所なのか、どのような自然や産業があったのか。どのような生活を送っていたのか。そして、4島をめぐる今の人々の思いなどを、紹介していきます。

 第6回は、引き揚げ後に待ち受けていた苦難と、墓参りなどによる島への訪問事業です。

「食べることで必死」 引き揚げ後も続いた苦難

 1947(昭和22)年から翌48(同23年)にかけて、強制的に送られた樺太(サハリン)での過酷な抑留生活からやっとの思いで戻ってきた北方4島の元島民たちですが、苦難の日々はまだまだ続きました。

 多くの引揚者が、島に帰ることを望み、根室で生活を始めました。しかし1945(昭和20)年7月の北海道大空襲で、根室の多くは焼け野原になっていました。戦災から復興途中の根室で元島民に差し伸べられる手はなく、着る物も、住むところもありません。もちろん島の生活では欠かせなかった船もなく、途方に暮れている間すらない状況でした。

「とにかく食べることで必死。自給自足で、農家に物々交換でデンプンカスをもらったりしました」。

 歯舞群島・多楽島出身、河田弘登志さん(82)=千島歯舞居住者諸島連盟(千島連盟)副理事長、根室市宝林町=は、冬になると周りが凍りつく小屋での暮らしを思い出します。なんとか、生活できるようになった、そう思えるまで10年以上はかかったといいます。

墓参など島民らを対象に行われている訪問事業

 どうにか島を訪ねたい。
 北方4島を訪問するため、国が支援している事業があります。

 「先祖の墓をお参りしたい」という切なる願いに沿うため、1964(昭和39)年から、始まったのが「北方領土墓参」です。人道的見地からソ連政府と国が10年余り折衝を続け、「旅券・査証なし、身分証明書により入域する」方式で北海道が主体となり、実施。ソ連側が事業を了承しなかったことや、旅券の携行、査証取得を要求してきたことなどから、68(昭和43)年度、71〜73(同46〜48)年度、76〜85(同51〜60)年度には一時中断もありました。86(同61)年以降は毎年継続。2015年度までに、延べ4405人が参加しました。

 1992(平成4)年には、日本国民と4島で暮らすロシア人との間の旅券・査証なしによる相互訪問「四島交流(ビザなし交流)」が始まりました(北方領土問題対策協会と北方四島交流北海道推進委員会が実施主体)。訪問対象者は条件があり、元島民やその子孫・配偶者のほか、北方領土返還要求運動関係者、報道関係者と、98(平成10)年からは訪問の目的に資する活動を行う学術・文化・社会等の専門家が追加されています。

 この事業で4島を訪れたのは、2015年までに延べ12439人になりました。一方、4島在住のロシア人訪問者数は延べ8859人で、北海道のほか、全国各都市を訪ねています。地道な交流や意見交換などを通じ、4島在住のロシア人との間で相互理解を深め、信頼感などの好意的な感情を醸成することが目的です。

 1999(平成11)年9月からは、元島民並びに配偶者とその子を対象に、旅券・査証なしで、かつての故郷を訪問することができる「自由訪問」が行われています(千島連盟が実施主体)。参加者は、訪問地に近い浜から上陸し、かつての居住地等を散策。2015年までに計76回、延べ3810人が参加しました。
(訪問実績の数値は内閣府北方対策本部ホームページ・同本部作成パンフレット「平成28年度北方対策〜北方領土の返還実現にむけて〜」参照)