6500人で埋まった会場が総立ちになった。

 9ラウンド。8ラウンドの終了時点での途中公開採点で1−2と逆転されていたチャンピオンのルイスが出てきた。左アッパーを顎にヒットされると、長谷川はよろけた。この機を逃がしてなるものか、とルイスが猛ラッシュ。だが、ロープを背にした長谷川は負けじと打ち返す。ここから先は、もう技術を超越した意思の力である。体をゆすりながら左右のフックを振り回すと、そのうち2発が攻めているはずの王者の顎をとらえた。形勢逆転。逆にルイスがゴングに救われる形になった。

 コーナーに帰ったルイスは、泣きそうな顔でセコンドに何かを訴えると、10ラウンドのゴングが鳴っても、椅子から立てなかった。長谷川は、放心したかのように両手を挙げた。
 長男の大翔くん、長女の穂乃ちゃんをリングに上げて「公約通りに」、父より身長の高くなった息子に持ち上げられた。敗れたルイスは、鼻か顎か顔面のどこかに骨折に近い深刻なダメージを負ったようで「ノーコメント」で病院に直行した。

 奇跡の3階級制覇だった。

 実は、この試合の45日前にスパーリングで相手の頭と、左手の親指が激突、長谷川は左手の親指を骨折、脱臼していた。翌日に緊急手術。骨折部分にプレートを埋めて固定した。今でも、そのプレートは残ったまま。左手を再びスパーリングで使うことができたのは、わずか1週間前で「痛みを消えたのは今週に入ってからだ」という。それでも長谷川は手術の翌日から、右手一本で練習を再開していた。試合延期さえ考えた山下会長が、「どうするか」と打診すると「親指以外は元気なんだからやります」と即答したという。

「負けたら引退」の決意でリングに上がり、周囲からは、限界説も聞こえていた。試合前に現役、OBも含めて何人かのボクサーや関係者と話したが、長谷川の勝利を予想する人は一人もいなかった。しかも、試合わずか45日前に左手を骨折、ろくにスパーリングもできなかったのだ。大きなハンディを負いながら世界戦が16戦目となる35歳のベテランボクサーは奇跡を起こした。

 なぜ勝てたか? と聞かれて長谷川は、「勝ちたいと思う気持ちが強かったことと、クリンチで逃げるでもなく打ち合ったこと。5年半の月日があって今がある」と言った。

 「亡くなった母の誕生日に2年前は勝利のプレゼントができなかった。2年越しのプレゼント」

 そして「娘から何十回も何百回も勝ってリングに上げて!とお願いされていた。負けたら学校にもいかれへんと(笑)。父親として、その願いをかなえてやりたかった」と、家族の話をした。
 序盤は、右で距離をとりながら、左をボディ、或いはオーバーフック気味に打ち込んでは動くという、ポイントを稼ぐボクシングを徹底した。1ラウンドに偶然のバッティングでルイスが出血したため減点を取られ、4ラウンドを終えた時点の途中採点で、1−2と劣勢だった。
「勝っていると思ったが、ああいう採点だったのでどうしようかと迷ったが、セコンドの指示を信じた」

 長谷川は、そのパターンを守りながらリズムをつかむ。7ラウンドには、明らかなバッティングで左目上を長谷川がカットしたが、パンチによる出血と判断されて相手に減点されなかった。インターバルで山下会長が猛抗議。最初は聞き入れられなかったが、場内のスクリーンに、頭がぶつかっている決定的なシーンが映し出されると、ジャッジが覆り、ルイスから1点が減点された。

 その1点も効いて、8ラウンド終了時点で判定が逆転したのである。

 長谷川は、「9ラウンドのパンチ? ちょっと効いたくらい。キコ・マルチネスの方がパンチがあった。そのときは不用意にいって倒された。勢いも前の試合のカルロス・ルイスの方があった。この2試合の経験がなければ今日はない。経験が生きた。ダメージをもらわないように戦う、35歳の僕が今できる35歳のボクシングをやった」と、淡々と語った。