1軍も2軍もオール最下位の屈辱のシーズンを終えたオリックスが、実は地味だが史上初となるシーズン捕逸「ゼロ」の記録を打ち立てた。これまでの最小記録は1979年の広島、1981年の近鉄、2007年のロッテの「1」だった。落ちる、動くという変化球全盛の近代野球において、捕逸、すなわちパスボールのリスクは増すばかりで、優勝した日ハムで「9」、ソフトバンクも「7」を記録、セに目を向けても優勝した広島も「7」のミスをおかしていた。そう考えると、オリックスの記録は快挙かもしれない。

 前半は伊藤光(27)、山崎勝己(34)が併用され、山崎の故障もあって後半は、若月健矢(21)という花咲徳栄高時代に甲子園で活躍、U-18代表にも選ばれた3年目の若いキャッチャーが抜擢されて主にマスクをかぶった。先発出場数は、伊藤が37試合、山崎が32試合、若月が74試合である。若月は、泥臭く体を張ってボールを止める気力にあふれたプレーが買われているキャッチャーではあるが、まだ発展途上。その若月が、捕逸「0」で終えたことが記録を生んだ土壌にあったとも言える。

 皮肉なことにバッテリー部門を担当するコーチについては、開幕直後から低迷したチームを立て直すため、4月下旬に異例の人事異動が発令され、三輪隆1軍バッテリーコーチが育成コーチとなり、鈴木郁洋育成コーチが1軍バッテリーコーチに昇格するという配置転換が行われていた。
 キャッチング技術よりも、主に課題であるリード面を重視しての入れ替えだったが、若月を1年目からつきっきりで見てきた鈴木コーチの指導も功を奏したのかもしれない。

 キャッチャーがしっかりとしたブロックでボールを止めるならば、走者を三塁に置いても大胆なピッチングが可能になる。当然、ピッチャーの配球にも余裕と勇気を与え、それが好影響を与えるはずである。しかし、チーム防御率は、リーグワーストの4.18。先発ローテーションで2桁勝利を挙げたのは西一人だけで、しかも10勝12敗と負け越した。捕逸ゼロの記録が総崩れとなった投手陣を支える力にはつながらなかった。