人は、「秘書」という仕事に、どんなイメージを持つだろうか。

社内を彩る女性らしい花形の職業、腰掛OLのような楽な仕事?もしくは単なる雑用係?それとも......?

女としての細やかな気遣いやホスピタリティが試される、秘書という仕事。そして、秘書たちの視点から見る、表舞台で活躍する男たちの裏側とは...?

丸の内OL「秘書」というオシャレな肩書きに多大な期待を抱き、転職を決意したミドリ、29歳。入社早々、秘書先輩の泰子から突然怒鳴られたが...?



早朝から、突然先輩秘書に怒鳴られたミドリは...?!


「あなた、ご自分が空回りしている自覚はあるかしら?」

振り向くと、ミドリのすぐ後ろで泰子が仁王立ちしていた。

「え......?」

「何も分かってらっしゃらないのね、あなた、秘書失格よ!このままだと、使えない派遣以下だわ!」

これまでの上品な泰子からは想像も出来ないほど、美しいアーモンド形の目は吊り上がり、真っ白な額には血管が浮いている。ミドリは何が起きたのか、理解できない。

「え、え...?す、すみません...!」

販売員の頃の癖で、ミドリは反射的に謝罪し頭を下げた。ブランドショップには突然怒鳴り込んで来る客も多く、そんな時は、とにかく腰低く接していたのだ。

「ミドリさん、一体何が、すみませんなの?あなた、私に何か悪いことでもしたのかしら?原因も理解なさってないのに、口だけの謝罪なんて結構よ!!!花の水替えをする時間があるなら、もっと周りを観察なさって!!!」

シンと静まり返った早朝のオフィスに、泰子の甲高い金切り声が響く。

急に怒鳴られたミドリは、完全に混乱し、震え上がった。

―な、なに...?何が起きたの?どうしよう...!

ミドリは、胃がヒヤっと締め付けらる感覚に襲われる。今朝早起きして『DEAN & DELUCA CAFES』で優雅に食べたクロワッサンとカフェラテを、今にも吐き出してしまいそうだった。


入社早々の大ピンチ!一体何が起きたのか...?!

弱った心が、他人の優しさに触れると...?


呆然と震えるミドリを、泰子は最後にキッと鋭い目つきで睨めつけ、踵を返してカツカツと自室へ戻って行った。

ミドリはオフィスの入り口で、やはり何が起きたのか理解できぬまま、ただ立ち尽くしてしまう。

「ミドリさん、ミドリさん...、大丈夫?」

振り向くと、マネージャーの田中が心配そうにミドリを見つめていた。田中は、イケメンパラダイスなこの会社のコンサルタントの中で、唯一「普通のおじさん」ぽい40代中年男性だった。

「泰子さんは、普段はすごく優しいんだけどね...、時々ああやってヒステリーを起こしちゃうんだよ。一回スイッチが入ると、本人も止められないみたい。だから、あまり気にしないで。よかったら、返さなくていいから、これ使ってよ。」

田中から差し出されたバーバリーのハンカチを見て、ミドリはやっと、自分が涙を流していることに気づいた。

怒鳴られたときの「コワイ」とか「悲しい」という感情よりも、その弱った心に触れる他人の優しさは、涙腺を破壊するらしい。

「す、すみません...。クリーニングして返します。」

ミドリはそのまま、化粧室に走った。



昨日まで、「丸の内OL」や「有名コンサルタントの秘書」というステータスを手に入れ、浮かれていた自分が嘘のように、ミドリはキリキリと胃が締め付けられるような苦い感覚を味わっていた。

一体、何をしたのだろうか。沈んでいく気分とともに、泰子に対しても、淡い反抗心が芽生える。

―ただ怒鳴るなんて、意地悪じゃない。これが世に言う「お局様」って存在なのかしら...。

すると、一通のメールが届く。優しい田中からだった。

―ミドリさん、大丈夫?さっきも言ったけど、まだ入社したばかりだし、あまり気にしないようにしてください。ただ、昨日の夕方から今朝にかけてのメールのやりとりを、もう一度見直した方が良いかも知れないです。何かあれば、遠慮なくご相談ください―

他のコンサルタントたちが、ソワソワとミドリと泰子の気まずい空気を見て見ぬフリする中、この田中という男は、何て優しいのだろうと、ミドリは感動して、また目頭がじんわりと熱くなる。


ミドリの代わりに、泰子が残業&早朝出勤していた事実


メールをよく見返してみると、昨日17時頃、クライアントの突然の希望で、かなり大きなミーティングが3日も前倒しになっていた。今朝村上が慌ただしくオフィスを出て行ったのはそのためだった。

今朝9時に設定されたそのミーティングに向けて、村上とチームの部下たちは、徹夜でその資料作りをしていたようだ。

しかも、出来上がった資料の製本作業は、泰子が率先して1時間以上も早く出社して行っていたという事実が判明した。

さらに泰子は、徹夜のコンサルタントたちに夜食や朝のコーヒーも用意し、早急に作り上げたプレゼンのデータの一部を作成したり、最終校閲チェックまでしていようだ。

ちなみに、このメールのやり取りの中で、ミドリはすべてCCに入っていた。しかし、仲の良さそうなクライアントとの会議が1つ前倒しになるくらい、秘書には特に何も関係ないだろうと、ミドリは悪気なくスルーし、昨日は定刻の18時にさっさと退社していたのだった。


事実を知ったミドリがとった行動は...?

一見スマートでも、それは男の表の顔。秘書の仕事とは...?


チーム全体がそんなにバタバタしていたとは露知らず、ゆったりと朝食をとってギリギリに出社した自分に、ミドリはやっと自己嫌悪と反省を覚えた。

―村上さんのメールボックスをチェックしてフォローするって、そういう意味だったんだ...。

泰子に直接謝りに行こうかとも思ったが、仕事の邪魔をするのも躊躇われたし、何よりあの美しい顔が鬼のように変わったのはトラウマに近く、まだ対面する勇気はない。

ミドリは、とにかく謝罪と感謝の気持ちを込めたメールを、緊張しながらも泰子に送信した。

少しすると、泰子の部屋に呼ばれた。ミドリは恐る恐る角部屋の個室をノックして入ると、そこにはいつもの優雅で上品な彼女がいた。



「さっきは、急に怒鳴ったりして、ごめんなさいね。少しお茶でもどうかしら。これ、一緒に戴きましょう。」

泰子の机には、綺麗に食べやすく切られた、立派なメロンが乗った皿とコーヒーが並んでいた。

「英治さん宛てに銀座から届いたフルーツよ。水商売の方って、なぜかいつも生モノを送って寄越すのよ。給湯室の冷蔵庫にあるものは、いつでも好きに召し上がって頂戴ね。」

今朝の般若の形相が嘘のように、泰子の表情は柔らかい。英治というのは、泰子の上司だ。この会社の創業者であるが、もうセミリタイア状態に近く、会社にはほとんど現れないらしい。

「ミドリさん、正直に言うわ。うちの会社は、新卒採用していないのは知ってるわね。それは、経験値が高く、即戦力になる人材の集団だからよ。秘書も同じなの。その分、お給料も高いわね。あなたは秘書として、未熟すぎる。」

泰子の言葉は、早速ミドリの胸に刺さる。

「コンサルタントたちは、一見スマートに見えるかも知れないけれど、それは表の顔なのよ。まだ会社に慣れていない、若いあなたのような秘書さんには、仕事一つ頼むのも緊張してしまうような、臆病な人たちなの。もっと積極的に、彼らのサポートをしてあげてちょうだい。」

「そうします...。すみませんでした...。」

ミドリは秘書経験がないとはいえ、反論の余地もなく、またしても泣きそうになる。

「ミドリさん、泣かないで。いざという時に上司を支えるのも秘書の仕事なの。男勝りになる必要はないけど、強くあることも仕事の一つよ。それと、ミーハー心は禁物ね。」

ハッキリとミーハーと言われ、ミドリは一気に恥ずかしくなった。

「それに、彼らは外見でよく誤解されるけど、まるで子供だから気を付けて。誠一さんなんて、赤ん坊に近いわ。」

「え...?村上さんが、あ、赤ちゃんって...?!」

次週9月28日水曜更新
「王子」と呼ばれる村上が赤ちゃんと言われる所以は、一体...?!