ー総合商社に入れば、人生、一生安泰で勝ち組。ー

東京において、商社マンというのは一見、社会的ステータスの高い、万能なカードに見える。

しかし、果たしてそれは事実なのか?

花形部署に任命され、無敵だと信じていた24歳、異例の部署変え人事で同期の賢治とトレードされた27歳。フィリピンで海外赴任の寂しさを知り、 海外赴任アバンチュールを麻里子と楽しんだ直後に麻里子の妊娠が発覚した28歳。

バナナ・プリンスになって日本に帰国し、スーパーマーケット事業部に飛ばされた31歳。同期との出世レースが始まる中、32歳になった優作は遂に結婚を決意する。



終身雇用制・一生安泰の商社?


「馬鹿野郎!!お前、なんでこんな事態になってんだよ!」

荒木課長から会議室に呼び出され、扉を開いた途端に物凄い勢いで罵声を浴びさせられた。

「お前この契約の意味分かってるだろ?こんな大きな契約を... 」

大手スーパーマーケットのワイン事業が苦戦しており、うちの事業部が去年から立て直しに入っていた。今回の狙いとしては彼らの物流システムと国内のコネクションを利用し、フランスの大手ワイナリーと独占契約を結んで市場に流通させるはずだった。

「突如製造ラインがストップしたって連絡が来たんだよ。出荷も危うい状況らしいし、どうすんだよ、これ。」

卸先のクライアントはもう動き出している。今回、この事業が成功して結果を出せば社内評価が上がる大きな仕事だった。そんな大仕事を任されて舞い上がっていたが、現実は厳しかった。

「申し訳ございません...」

謝ることしかできない自分がいた。

「何とかしろ、この事態。お前だから任せようと思ったんだからな。」

「分かりました、至急対応します。」

久々の大きな失敗。フランスでも有名な老舗のワインメーカーで、信頼度も高く、安心していた。今後の対応を考えながら会議室を後にする。

会社の廊下を歩きながら、(こんな状況で不謹慎だと思うが)商社に属していて良かったと思った。ミスをしても、昼寝をしてもクビにはならない。万が一、独立して自分一人でこの損失を被らないといけない状況だったら... 想像するだけで背筋が凍りついた。


日系企業のぬるま湯に浸かっている優作。家庭も仕事も守りに入り、つまらない男になっている!?

思い描いていた理想の家庭像と現実のギャップ


「優作さん、今日は何時に帰ってくる?ご飯いるかどうか連絡してね」

結婚して早半年。夕方、新妻の由美からメールが入っていた。真っ直ぐ家に帰ろうと思えば帰れるが、今日みたいに仕事で大きな失敗をした日は家に帰る気もせず、一杯飲みたい気分だった。

「純也でも誘うか。」

家に帰ると誰かが居てくれる安心感と、それに伴う責任感は生まれた。しかし実感もわかず、仕事の途中にふと目に入る左手の薬指にはめられたシルバーの指輪に未だに違和感を覚えている。

「優作王子もついに嫁に行っちゃってさ、俺は寂しいよ」

『パイス バスコ』のカウンターで泣くフリをしている純也を横目に、嫁ではないだろ!と突っ込みを入れたかったが、今日はその気力もない。



「どうよ?新婚生活?いいなぁ〜結婚。俺もそろそろしようかな。」

「まぁ...普通だよ。常に由美が家にいるからあまり遅くには帰れないし、前みたいにバカ騒ぎはできなくなったけど。別に俺自身変わってないしね。」

「商社マンで33歳だったら、普通結婚してるよな。同期で未だ独身なのって俺と賢治くらいだし。最近はみんな子連れで集まって、週末は家族でBBQだろ?なんか俺、そういうの苦手で。」

前回賢治に会った時、そういえば恋愛の話など全くなかったことに気がつく。そっか、賢治も未だ独身だったな...

確かに、最近同期の集まりは嫁同伴、もしくは子供と一緒に家族みんなで遊ぶスタイルに変わってきた。前のように男同士だけで集まり、酔っ払うまで飲むこともなくなった。

「純也さ、仕事楽しい?」

「どうした急に?楽しいと自分に言い聞かせてるよ。社会人になって早10年、若干馴れ合いになっている部分もあるけど、元々商社第一志望だったし。俺の生きる道はここだと思ってるから。」


「そっか、お前会社のこと異様に好きだからなぁ。」

純也の話を聞きながら、前のように熱意を持っていない自分を省みる。今日の失敗も、成功していれば大きなチャンスとなるはずだった。しかし前ほどの出世欲も無く、日々淡々と仕事をこなしているだけの自分がいた。

「優作は今が幸せのピークだな!結婚して可愛い嫁がいて、仕事も順調。しかしここから俺の追い上げは凄いから見とけよ、優作王子!」

「楽しみにしてるよ、さっさと抜いてくれ」

純也の言葉に適当に相槌を打ちつつ、目の前にあるタコを摘みながらふと考える。

「俺、今幸せなのかな...」

思わず口に出た言葉を慌てて呑み込む。可愛いお嫁さんと良い仕事。側から見れば文句が無いはずだ。しかしポッカリ穴が空いたような、心の空洞が埋められない。


結婚すれば変わると思っていた。でも、変わらなかった。


仕事で落ち込んだ日、本来なら真っ先に会いたいのは妻である由美のはずだ。しかし何故か、麻里子に会いたかった。


優作の中で永遠のマドンナ・麻里子。その麻里子が遂に仕事復帰し、再会を果たしたその時に...

マドンナは人の心を突然掻き乱す


「優作さん元気ですか?結婚したと風の噂で聞きました。今月から会社に戻り、ようやく社会復帰しました(笑)」

やる気を削がれていた水曜日の午後、一通の社内メールが入った。
麻里子からのメールだった。

「お〜お帰り。一応結婚しました。元気?子供は?」

「シングルマザーは大変ですwでも何とかやってます。近々ご飯でも如何ですか?」

一瞬、メールを打つ手が止まった。しかし行かない理由もない。翌週、会社の人に会わないように、中目黒にある『88 WANOBA』の半個室で待ち合わせた。



「 優作さん、全然変わってないですね。」

シンプルな黒のノースリーブニットに白色のミドル丈のスカート。久しぶりに会う麻里子は相変わらず綺麗だった。少しだけ顔つきが柔らかくなっていたが、話し始めると二人の間だけ時間が止まっていたような錯覚に陥った。

「ここのお店、美味しいですね。久しぶりにお酒飲んだから酔っ払ってきました」

ふふ、と笑う麻里子を見て思わず笑みがこぼれる。最初に麻里子に出会った時から変わらない笑顔だった。

「実は今日、子供は祖父母の所に遊びに行ってて...優作さん、奥様は大丈夫ですか?」



そこからは記憶が無い。

ただ、明け方に家へ帰ると由美が未だ起きており、散々帰りが遅いことに対して文句を言われたことだけは覚えている。1週間くらい由美の機嫌は悪かったが、仕事の飲みなら仕方ないと納得したらしく、いつの間にかこの話は消え去っていった。

麻里子とはそれ以来会社でも会っていないが、ぼんやりとした幻想みたいだった。

「いつからこんな中途半端な人間になったんだろう」

仕事も家庭も恋愛も、全て中途半端だった。33歳にもなって、何をやってんだ...気持ちが晴れない日が続いた。



そんな時、突然呼び出された純也から思いもよらない言葉を聞くことになる。


「俺、ヘッドハンティングされて。商社辞めて外資に移ることにしたわ 。」


一生、商社マンでいると信じて疑わなかった同期、純也の華々しい転職だった。胸のざわめきが抑えられない。自分だけ、取り残された気がした。


次週10月2日日曜更新
純也の転職に動揺する優作。そして賢治が日本に帰国し、真っ向勝負が始まる...