港区の大手広告代理店で、営業として働くマリア、29歳、彼氏なし。

転職先から内定をもらったマリアだが、競合プレゼンがあるため迂闊に返事もできず、どっちつかずの日々が過ぎていた。そんな時、深夜のオフィスで家出部長から聞いた言葉に、気持ちが救われたような気がした。

30歳目前、マリアが出した答えとは・・・。



指名されてなんぼ、社内の売れっ子たち


最終電車を乗り過ごす、忙しい日々が続いていた。

準備を進める競合プレゼンのチーム構成は、新入社員時代にお世話になったコピーライター・吉本を含む、社内でも名の知れた売れっ子たちばかり。

社内外問わず、バイネームで仕事を取ってくる売れっ子たちにとって、「負け」は彼ら自身のみならず、全社の評判に関わる大きな痛手。そんなことは絶対に許されないのだ。

※バイネーム・・・「指名」のこと。名前が世の中に知れたり、クライアントから評価を受けると、案件ごとに指名で仕事が入ることがあり、代理店の人間にとっては一つのステータスとなっている。

自らアサインした以上彼らの面子をつぶすまいと、マリアは頑張って仕事をこなすのだが、ここ最近のキャリアへの迷いも相まって、いま一つ調子が出なかった。


「頑張る」で評価されるのは学生まで


振り返ってみると、この夏は散々だった。

仕事は中途半端、大切な同期も会社を去り、恋にも破れた。中途半端に始めた転職活動も、結局内定の連絡を保留にしたまま。

そんなぬるま湯に浸るマリアに反して、この業界で成果を出すと決めた売れっ子たちの仕事ぶりは、それはもうとんでもなく情熱的で、マリアは毎日のように厳しい指摘を受けていた。

「レスポンス遅いよ、もっと危機感持って連絡くれないと」

「企画書のこの部分のデータ、ほしいんだけど探せる?明日まで」



挙げ句の果てには、会社一信頼を寄せる吉本からもとどめを刺される始末。

「なんてゆうか、もっとちゃんとやる子だと思ってたんだけど」


本気で勝負する人間を前にすると、中途半端な根性はすぐに見透かされてしまう。



自分なりに頑張ってはいた。

揺れ動く心を必死に安定させて、最終電車を逃しても仕事を頑張った。しかし、かけた時間や想いの強さなど、目には見えない尺度で評価されるのは学生まで。

「頑張る」とは、仕事においてなんの評価にも繋がらない。


すっかり忘れたOG訪問の約束。学生の反応は?

OG訪問の店のチョイスは、学生の印象で決まる


お昼に始まった打ち合わせは白熱した議論を繰り広げ、外はすっかり夕焼けに染まっていた。

くたくたのマリアがデスクに戻りメールボックスをチェックすると、1通のメールが。

「本日16:00にOG訪問をお願いしている者です。ロビーでお待ちしております」


・・・やってしまった。

今日はOG訪問の約束があったのだ。それもよりによって、吉本に頼まれた学生だった。ただでさえ吉本の信頼を失いかけているマリア、致命的なミスに冷や汗が止まらない。

時計を見ると、時刻は16:45。

電話番号を教えておけば良かったと後悔するも、既に時遅し。

さすがにもういないだろうが、急いで1階のロビーに駆け降りると、慣れないリクルートスーツに身を包んだ小柄な女子大生が立っていた。


「本当にごめんなさい!」

駆け寄ったマリアに、学生は安心したように笑った。

「と、と、とんでもないです。お忙しい中お時間頂き、ありがとうございます!」

彼女は45分間、ずっと立ちっぱなしでマリアを待っていたのだろうか。緊張からかつっかえる言葉も初々しくて、すぐに好感を持てた。

もう何度繰り返したか分からないOG訪問。たいていの場合は、近くのチェーンのコーヒーショップで軽く済ませるのだが、満身創痍の自分へのご褒美と、学生への罪滅ぼしを兼ねて、とびきりのスイーツをめがけてタクシーを飛ばした。


「就活」という日本社会に押し込められる学生たち


赤坂の「しろたえ」。

マリアにとって赤坂は、いわゆる「敵陣地」。
いつもは敬遠しがちなエリアだが、この店だけは時々訪れることがあった。

店内のイートインスペースに腰をおろし自己紹介を手短かに済ませると、素早くノートを開く学生。事前に書き出したであろうマリアへの質問項目は、ノートをまるまる1ページ埋め尽くしていた。


看板メニューであるレアチーズケーキの程よい甘さは、マリアの凝り固まった心を解きほぐす。

熱心な学生の質問に、一つずつ返答しながら、いつしかマリアは、学生の姿に当時の自分を重ねていた。


OG訪問という名のタイムマシーン


7年前、確かにマリアも向こう側にいた。

黒髪にリクルートスーツ、一切の個性を奪い去る日本の就活という文化に自分を染め上げ、数えきれない程の説明会とOB訪問を繰り返した。50を超える会社の履歴書を書き、お祈りメールをもらう度に自分を責めた。

※お祈りメール・・・就職活動時、企業から送られる不採用通知のこと。

そこまでしても入りたかった、広告代理店。

当時と比べて広告業界への就職希望者が減っている昨今、こうして代理店に夢を持つ学生がいる事が、素直に嬉しく感じられる。



「最後になりますが、マリアさんはどんなときに仕事のやりがいを感じますか」

学生の質問項目は、ついにノートの最後の行までたどり着いた。

先日深夜のオフィスでマリアが家出部長に向けた質問が、今、そっくりそのまま自分に向かってきていた。


学生からの質問に、マリアはかっこよく答える事ができるのか

一番嬉しい評価は、人づてに聞くお褒めの言葉


代理店女子は、辛いことばかりだ。

仕事では男性と同等の体力と労働時間を強いられ、気がつくとどんどんたくましくなっている。仕事に追われて気がつくとあっという間に30手前、女としての市場価値は確実に下がっていくばかり。

それでも仮に、今目の前に座る学生の目には、マリアが7年前にOG訪問をした、あの時の代理店女子の姿が映っているとしたら。

マリアは学生の夢を崩さぬよう、先日の部長の言葉を少し借りることにした。

「この会社には、新しい挑戦がたくさんあって、その中で成功と失敗を繰り返すと、なんだか人としても成長している気がする。まだまだ私は半人前にも満たないけど、それが仕事を続けていられる理由かな」

半分ウソで、半分ホント。

とっさに思い出した部長の言葉を、自分なりに変換しただけだったのだが、想像以上に前向きに話せている自分自身に驚いた。



マリアが話し終えると、学生は更に目を輝かせた。

「マリアさんって、私の想像通りの代理店女子でした。吉本さんがマリアさんを紹介して下さった時、『代理店目指すなら、マリアに会って刺激を受けた方が良い、彼女みたいにまっすぐな頑張り屋はいない』って、そう言われたんです。」

半ば強引に引き受けることになった、今回のOG訪問。
つい先ほどの打ち合わせでも、吉本からは厳しい指摘を受けたばかりだったので、吉本がそんな風にマリアを紹介してくれていたとは思ってもいなかった。


裏切りたくない人がいる。
本気で向き合わなくてはいけない仕事がある。
そして、やった分だけ見てくれている人が、この会社にはいるみたいだ。

目の前の学生と7年前の自分が重なり合い、マリアはまるで、タイムマシーンにでも乗った気持ちだった。


代理店女子を続けるという、一つの答え


学生と別れたその足で、マリアは吉本のデスクまで会いに行った。
あいにく吉本は席を外しており、ポストイットで一言、メッセージを残すことにした。

「私、頑張ります! マリア」

「頑張る」だけは評価に繋がらない。それでも、自分を奮い立たせる決意表明としては、まだまだ勢いがある言葉だと感じた。



マリアにはもう一つやらなくてはいけないことがあった。意を決してかけた電話の相手は、転職でお世話になったエージェント。


「これだけ回答を先延ばしして、結果お断りしたいってあんまりでしょう」


電話越しからも伝わる、エージェントの温度感。相手が怒るのも無理はない。
一生懸命説得するエージェントの言葉に後ろ髪を引かれながらも、マリアはきっぱりこう告げた。


「代理店女子として、もう少し地べた這いつくばってみます」


電話を切ると、マリアは再び今日のOG訪問を思い出した。

次にOG訪問を受ける時、恐らくマリアは30代に突入しているだろう。
そのときまでには、自分の言葉で仕事のやりがいを話せる代理店女子になっていたいと感じていた。


30目前、まだまだ成長中


デスクに戻ると、案の定未読メールが溢れている。
1時間半席を外しただけで40件、いつもならうんざりするところだが、何故だか今日は気持ちが晴れやかだった。


未読メール処理していると、見慣れた宛先から1通のメールが。


「頑張るって言葉だけじゃなく、ちゃんと態度で示してください。 吉本」


たった29文字に込められた吉本の厳しさと温かさに、思わず笑みがこぼれてしまう。吉本とマリアの師弟関係は、7年経っても相変わらずだ。

長い髪を一つに結わい、気合いを入れ直すと、マリアは最後のインスタグラムをアップしスマホを閉まった。

時刻は20:00まわったところ。
今日もまた、最終電車には乗れそうもない。

-完-
だが、マリアの代理店女子人生は続く……・


代理店女子マリアのInstagramはこちらから @_tokyomaria_