東京都港区。

東京の中心であるこのエリアには、数多くの“ロマンス”が詰まっている。ドラマみたいな出来事や、ドラマ以上の出来事が港区で過ごしていれば、降りかかってくることもある。

この“港区ラブストーリー”は、2007年に出逢った26歳の女と24歳の男の2016年までの恋模様、“あの日、あの時、港区で”の様子を描き出していく。

2007年、麻布十番で知り合った、ラジオ局勤務のさとみとテレビ局でADをしている潤。付き合いだした二人は麻布十番で半同棲生活を送るなど、幸せな日々を送っていたが、潤の度重なる浮気が発覚し、二人は別れてしまう。

それからさとみは婚約し、潤には彼女ができた。そんな二人が、2013年友人の結婚式で再会する。お互いの事が気になりながらも、それきり二人は会うこともなかったが、2015年に潤が結婚したことをさとみはFacebookで知る。



2016年:ガーデンテラス紀尾井町オープン


金曜日の夜、さとみはいつものように会社を出て、早歩きで腕時計を見た。

大学時代の友人たちと、7月にオープンした『ガーデンテラス紀尾井町』で会う約束をしているのだ。さとみは完全に遅刻だと思いながら、急ぎ足で向かう。

時計から目を上げると一人の男が近付いてきた。それは、忘れたくても忘れられない、潤だった。

潤に会うのは2013年以来のはずだ。だが、Facebookに流れてくる写真でたまに顔を見ていたせいか、それほど懐かしさを感じなかった。

最後に潤の写真を見た時、彼は光沢あるグレーのタキシードを着た花婿さんだった。その姿はなかなか様になっており、余計にさとみの心をチクチクと痛めたのだった。

その潤が、さとみの目の前まで来ると興奮した様子で言った。

「さとみ、俺とやり直して欲しい。さとみと結婚したい!」

ただでさえ、潤が突然目の前に現れ驚いているのに、結婚して間もない潤がそんなことを言ったため、さとみの頭には一気に血が上った。だが、さとみは一呼吸おいて、あえて冷静に返す。

「結婚したこと知らないとでも思ってるの?どこまでいい加減なの?」

「違うんだ、俺結婚してないんだ。」



潤はそれを何度も繰り返した。さとみは、会社のビルの前で話していることを思い出し、急いで彼の腕をひっぱりビルの陰へ連れて行く。そこで落ち着くと、潤はもう一度「違うんだ、詳しいことを説明させて」と言って、ゆっくりと口を開いた。


「結婚していない」は真実なのか?!潤は何を語る……?!


潤と彼女である由梨は、確かに結婚式を挙げ婚姻届も提出した。当初の予定通り土曜日に区役所へ提出し、日曜日に式を挙げるとそのまま新婚旅行で沖縄に行った。だが、提出した婚姻届に不備があることを、区役所の担当窓口からの電話で知らされた。

沖縄にいた二人は「ドジっちゃったね」と笑い合い、東京に戻ったらまたすぐ区役所に行こうと約束した。だが、その2日後の夜、由梨は突然告白したのだ。

浮気してしまったこと、子供はその人との子供だと思うこと……。

由梨はベッドの上で泣きながら話した。

「由梨、何を言ってるの?冗談だろ?」

潤はオウムのように、覇気のない声で何度もそれを繰り返した。

由梨は一生秘密にしようと決めたが、それを守り通すことはできなかった。罪悪感と、バレた時の恐怖を考えて眠れない日が続いていた。由梨も限界だったのだ。

婚姻届が受理されなかったのが、最後の選択のチャンスを与えられたように感じて、迷った挙句、打ち明ける事に決めた。



由梨の裏切りを知った潤だが、それでも自分の子供の可能性も捨てきれず、苦悩の日々が始まった。出した答えは、赤ちゃんが生まれたらDNA鑑定をすること。その結果次第で2人の、いや赤ちゃんも含めて3人の未来を決めよう、ということだった。

そして生れた小さな赤ちゃんは、潤との生物学上の親子関係はないという結果だった。

潤は決めていた。

一人で色々な可能性を考えるようになって、もし赤ちゃんが自分の子供でないとしたら、もう一度さとみに会いに行こうと思うようになっていたのだ。さとみへの想いは、ずっと心の奥に引っ掛かっていた。子供ができたことをきっかけに腹を決めたが……。

潤はこの数カ月考えて出した答えを、今日決行したのだ。

「そんなこと急に言われても……!」

さとみはよく分からない驚きと怒りで混乱した。

「驚かせてごめん。でもオレ本気で言ってるから。」

潤は力強くさとみを見つめて言うのだった。

その後さとみは、潤と別れて予定通り紀尾井町に行ったが友人たちとの会話には上の空で、ずっと潤のことばかりを考えていた。友人たちに相談したくても、自分の中でも整理がついておらず、何から話せばいいのか分からなかった。


さとみが潤にかけた、意外な言葉とは……?!

1週間後、さとみは潤に会うことにした。場所は、広尾の『天現寺カフェ』。二人にとって思い出深い店だ。

しばらく沈黙が続いた後、堰を切ったようにさとみが強い口調で話し始めた。

「私、一度別れた相手とはヨリを戻さない主義なの。」

「大体アンタ、私に対して自分が何したか覚えてる?」

「向こうがダメだったからこっちって、都合良すぎじゃない?」

「そもそも、一度は結婚しようとまで思った相手も、あっさり捨ててきたんでしょ?」

立て続けに潤を責めるような言葉を言ったが、最後の言葉にだけは潤が反論してきた。

「それは違う。由梨…彼女は赤ちゃんの本当の父親と結婚したよ。向こうは彼女が好きだったみたいでさ。赤ちゃんのためにもそれが一番良いと思うし。」

潤の困ったような、落ち込んだような顔を見て、さとみは少し意地悪な言い方をしてしまった事を反省した。だが、そのお陰でさとみの気分はすっきりしていた。

潤と結婚しようとしていた彼女にも、少しの同情を覚えた。浮気したことには同情できないが、彼女が散々悩んだことは同じ女として手に取るように分かるからだ。



「なんだか私たち、すごくすごーく遠回りしてきたのかもね、色んな事を。私たち、出会って10年だよ、10年。」

「そうだな」

力なく言って、うつむいたまま潤も少しだけ笑った。

「いっそ、潤もバツイチになっていればよかったのに。未遂で終わるなんて。」

そう言われて、潤は困った顔のまま笑う。

「私ね、残念ながらあなたといると、幸せなんだよね。」

さとみは突然言った。さとみの心はもう決まっていたのだ。本当はずっと前、何年も前から決まっていたのかもしれない。

「覚悟しときなさいよ、もう絶対別れないから。」

喝を入れるように、鼻に小さく皺を寄せて言った直後、さとみは満面の笑みを浮かべた。それにつられたように潤も笑顔になる。

さとみは、せっかく東京にいるのになんだか狭い所でしか生きていないように思えて、寂しい気持ちも覚えた。東京にいても行動のほとんどは港区の中で完結しているからだ。港区で仕事をして、ご飯を食べて、眠りについて、恋をしている。

それでも、この10年で数え切れないほど多くの人に出会ってきた。どれだけの人に出会っても、こんなに好きになれる相手が潤以外いなかったことも、あまり認めたくないが事実だった。

その事実に気付き、二人のタイミングが合うまでに10年という時間がかかってしまった。

さとみは潤を見つめながら、これからは10年後の今日も、20年後の今日も、彼と一緒にいる自分を想像して、幸福な気持ちで満たされた。

賑やかな店内。隣のテーブルでは、若いカップルが楽しそうに喋っている。これから映画を見に行くようで、その後の食事をどこにしようかと話している。テラス席にも仲良さそうに話すカップルがいる。明治通りではさわやかな初秋の街を、腕を絡ませるように歩く男女がいる。

今日も港区では、ラブストーリーが続いている。

(おわり)