『ラール・エ・ラ・マニエール』は、人生に迷った者が辿り着くという、不思議な、だけど実在するレストラン。”正しい導き方”という意味を持つこのレストランは、東京での生き馬の目を抜くような生活に疲れた時に、その扉が開かれる。
さあ今夜、その扉の前に現れたのは……?

さらにこの物語に出てくる料理は、実際にあなたも味わうことができます。
あなたの物語も綴ってください。
このレストランで、料理とともに……。

第1話:婚約破棄された美人受付嬢を蘇らせた、あるレストランの物語
第2話:離婚届を突き付けられた男を立ち直らせた、ソムリエの機転と、ある意外な料理
第3話:転落したベンチャー企業の元社長。彼に過ちを気付かせた「王道」の料理とは
第4話:元モデルが抱え続ける焦燥感。「何者」にもなれない自分に価値はない?
第5話:初めて愛した人にプロポーズを断られた男が気付いた、自分の存在価値とは?



頭を抱える美人パティシエ。今夜起こった出来事とは・・・


ソムリエの吉岡は、ある事が気になっていた。

いつもさりげない言葉と料理で、訪れる者をもてなす吉岡。彼はお客様に限らず共に働くスタッフの機微にも敏感である。そんな彼が今日、気にしているのはパティシエの宮田のことだ。

繊細で丁寧な仕事と愛嬌のある笑顔で、お客様の心を掴む宮田。それは営業時間外も同じで、彼女の気さくな関西弁は、スタッフ同士の場も和ませてくれる。

だが今日の彼女は、営業終了後に何かを考え込むように一点を見つめていた。表情は暗く落ち込んでいる。ディナー営業開始前、賄いのジャガイモを使った「グラタン・ドフィノワ」を皆で取り分けながら食べていた時は、いつものように楽しそうにしていたが、今その面影はない。



―今日の事で、相当落ち込んでいるな……。

吉岡は今夜の出来事に想いを巡らせた後、シェフの小清水に明日の賄い料理の相談すると、小清水はガラスの器に入れた”あるもの”を吉岡に見せた。

これが、明日の”特別”な賄いの材料となった。



『ラール・エ・ラ・マニエール』では、賄い料理に吉岡が注文をだすことはない。だが時に、例外もある。それは今日のように、スタッフが落ち込んでいる日である。



“賄いの時間”は、スタッフ同士コミュニケーションをとる場として吉岡が大切にしている時間の一つ。

飲食店の賄いの時間は自分で考えた料理を提供する絶好の場であり、お客様の情報共有の場でもあるのだ。

お客様に提供した料理の、余った材料を利用して作る事が多い賄い料理。肉や野菜の一番美味しい所はお客様に食べてもらい、切り落とした端の部分をいかにうまくアレンジするかも、腕の見せ所なのである。


”特別”な賄いと共に、吉岡は何を伝える……?!

翌日の賄いにでてきたのは、土佐のあか牛肉を乗せた、黒トリュフの炊き込みご飯。昨夜「土佐のあか牛フィレ肉と黒トリュフのロッシーニ風」を作る際にそぎ落とした肉を使ったのだ。

ここに使っているのは、ガラスの器の中で黒トリュフと一緒に保存していた米。トリュフの豊潤な香りをたっぷり吸収した米だ。



吉岡は宮田を個室に呼び、ストウブに盛られた料理を向き合って食べ始めた。

「すごい!豪華ですね、今日の賄い!」

宮田は大げさに喜んだ。だが、吉岡の反応がイマイチで話は長く続かない。

宮田は、昨夜の自分のミスの事で呼ばれたのだろうと、内心では構えていた。昨夜、宮田はケーキに付けるべきだった誕生日のネームプレートを、付け忘れたままお客様に提供してしまったのだ。

「昔いた店に、面白いスタッフがいてね……」

しばらくの沈黙の後、吉岡が口を開いた。

「女性2人組のお客様が最初の乾杯をする時に、“おめでとう”と言っていた声が聞こえて、勝手に誕生日だろうと予想して、バースデープレートを出した子がいたんだよ。“おめでとう”って乾杯したからって誕生日とは限らないのに。」

静かに吉岡の話を聞いていた宮田が、少し笑った。

「結婚、昇進、何かの資格に合格……と、お祝いすることはいっぱいある。でもその子はきっと誕生日だと思って“HAPPY BIRTHDAY”って書いたプレートを出した。でも、そのお客様たちは誕生日ではなかった。」

宮田の顔が、怪訝そうな表情に変わる。



「これって失敗だと思う?」

吉岡は宮田に問いかけるが、彼女の答えを聞く前に続けた。

「僕は、とても良いことをしたと思うんだよ。一通りのコースを提供して、特に何の会話もなく“美味しかった”と言ってもらってお帰りいただくだけなら、いっそ失敗した方が良いと思ってる。

バースデープレートを出した子だって、喜んで貰いたい一心でそうしたんだ。我々のような仕事をしている者は、100人いたら100人全員が、“お客様を喜ばせたい”と思っている。でも、それは思うだけでは伝わらない。

その気持ちを伝えるためのチャレンジは何よりも大切だ。ミスをしない人間はいない。ミスをどうケアするかが重要だ。君も、昨日のお客様にお詫びに手作りのジャムを渡してたよね?お客様も笑って帰ってくださった。誠意は、きちんと伝わるよ。」

怒られることも覚悟していた宮田は、怒られるどころか励まされたことに驚いた。

「そっか……ありがとうございます。正直、怒られるかと思ってました。」

宮田は気まずそうに笑う。

「ミスをなくす努力はもちろんしますが、ミスを怖がって小さくなってちゃダメですよね。なんか、”いいんだ”って思えて勇気がでました。気持ち切り換えて、頑張ります!」

宮田の言葉を聞いて、吉岡は無言で頷く。

「こんなに美味しいものを食べられるなら、失敗するのも悪くないですね。」

いたずらっぽく言って、宮田ははにかんだ。

「シェフがお客様の前で削った黒トリュフの残りを大事にとっておいて、お米と一緒に入れてたんだよ。今日は君を元気づけるために特別に作ってくれたんだ。」

それを聞いて大げさに喜ぶ宮田をみて、吉岡は胸を撫で下ろす。先にキッチンへ戻ると、小清水がさりげなく近づいてきた。

「どうでしたか、宮田は。少しは元気になってましたか?」

「うん、いつものように笑ってくれたよ。」

それを聞き、小清水も安心したようだ。だが、吉岡には他にも気になる事があった。

「ただ、スー・シェフの松藤くんも最近悩んでる事があるようなんだよ。」

そう言うと吉岡は、考えるように右手で顎を撫でて、ある日の松藤の姿を思い浮かべた。


スー・シェフのために吉岡が考えた、フレンチではあり得ない料理とは?!


フレンチレストランが本気で作ったラーメン。そこに込めた想いとは・・・


スー・シェフ(副料理長)としてシェフの小清水をサポートしている松藤。彼が最近ふとした時に見せる表情を吉岡は気にしており、ある日の賄いの時間、彼を個室に呼んだ。松藤はテーブルに置かれた見慣れない料理を見て、首を傾げた。その後、吉岡の言葉を不思議そうに繰り返した。

「ラーメン?」

「そう、フランス料理の材料だけで作ったラーメン。鶏のブイヨンとコラーゲンで作ったスープに、ベシャメルソースでとろみをつけて、最後にマッシュルームソースの泡を乗せている。それに、低温で1時間かけて火を入れた、しっとり柔らかい鶏ムネ肉のチャーシューも乗せてるんだよ。」

「チャーシュー?フレンチで、ラーメンですか……?」

吉岡は楽しそうに話すが、松藤はすぐに理解することが出来なかった。目の前には鶏肉、マッシュルーム、セルバチコが添えられた、確かにラーメンのようなものがある。



テーブルに置いた皿を見ながら、吉岡はいたずらっぽく笑うと「まあ、麺がのびないうちに食べよう」と言って、松藤に座るよう促した。

二人は並んで座り、ほぼ同時にラーメンを食べ始める。濃厚な鶏のスープは麺によく絡んでいる。ラーメンと聞いて驚いた松藤だったが、確かにフランス料理らしい複雑で豊かな香りを感じられ、まっとうなフランス料理になっている。

松藤がじっくり味わいながら食べていると、ふいに吉岡から質問を投げられた。

「最近、何かに悩んでるみたいだね?」

少しの間を置くと、松藤は気まずそうに話し始めた。

「実は……。すぐにっていう話ではないですが、いずれは僕も独立したいと考えています。ただ、独立する前にフランスに行きたい気持ちもあって、どちらにするべきか迷ってます。」

吉岡は無言のままラーメンを食べ続け、スプーンで掬ったスープを一口飲むと、ようやく口を開いた。

「なるほど。僕はフランスに行ってたから余計にそう思うのかもしれないけど、若い子にはやはり一度はフランスに行ってもらいたいと思うけどね。」

吉岡の言葉を聞いて、松藤は無言のまま深くゆっくり頷く。



「正直、フランスで出来ることは大抵日本でもできてしまう。それでもやはりフランスでしかできない経験は山ほどある。僕のようにソムリエの場合だと、お客様にワインの説明をするのに、そのワインが作られた畑の景色を知っているのと知らないのでは、話せる内容が変わってくる。

ブルゴーニュ、シャンパーニュ、ボルドーとワインの産地は一通り回ったし、ロマネコンティの畑の風景は、今でも目に焼き付いている。生産者がどんな気持ちで作っているのかも直接聞いた。それがお客様とお話する時の、僕の引き出しになっているのは確かだ。」

吉岡は淡々と喋り終えると、スープを掬いながら続けた。

「フレンチの材料と技術を駆使して作ったラーメン。材料も味付けもとてもシンプルだけど、シンプルな事ほど難しい。大体、フレンチでラーメンなんて、面白いだろ?僕はこれを、ランチでも出してみようと思うんだよね。」

「え、冗談ですよね?」

松藤は思わず変な声を出してしまった。だが、吉岡は気にせず答えるのだった。

「もちろん本気だよ。期間限定だけどね。」

「はぁ……。」

―それってアリなんですか……?

半信半疑のまま、松藤が首を傾げていると、吉岡は続けた。

「活躍しているシェフほど好奇心があり、発想が柔軟で何でも取り入れようとするものなんだよ。フランス料理に味噌を取り入れるフランス人シェフだっているんだ。フランスに行って、たとえ思い通りにいかなくて、もがいて苦しんでも、その分人間として大きくなれるよ。」

吉岡は言い終ると同時ににこりと笑い、松藤より先に席を立った。
その背中が見えなくなると、松藤は空になった器に目を移して、今聞いた言葉を頭の中で繰り返した。

松藤自身も、やはり一度はフランスで修業したいと考えていた。だが、「仕事を辞めてまで行くのに結果がでなかったらどうしよう」、「早く自分の店を持たないと、同年代のシェフに遅れをとってしまうのではないか」という焦りや不安から自分を追い込んでいた。

だが吉岡が言った「人間として大きくなれる」の一言で、今まで自分の中で引っ掛かっていた悩みが小さいものに思えたのだ。

―料理人である前に一人の人間だ。人間として成長できるだけでも十分じゃないか。

気持ちが晴れた松藤は、スマホを見ると慌てて席を立った。オープン時間が迫っていたのだ。

器を持ってキッチンに入る。その足取りは軽やかだった。


もしあなたが今、何かに迷っているなら『ラール・エ・ラ・マニエール』の扉を見つけてください。
10/8(土)〜10/22(土)の期間中のランチタイムで、ご来店の2日前までにご予約をいただければ、「ラール・エ・ラ・マニエール風ラーメン」と共に、ソムリエ・吉岡とシェフ・小清水があなたをお待ちしております。