欲望が渦巻き、誰もが成功を願う街、東京。

この大都会に長く住めば住むほど、大切な何かを失っていく気がしないでもない。

独特の東京の空気に飲まれて心の純粋さを失い、幼い頃に描いていた夢を失い、そして本来の自分らしさも徐々に消え失せていく。

長野県から上京してきた美穂と慎吾。大都会に揉まれながら、東京に染まっていく二人は都会の片隅でイノセントさを失わずにいられるのだろうか?



東京に染まっていく上京女子


あの夜に見た、東京タワーが忘れられない。

燃えるように真っ赤にライトアップされた東京タワーを桜田通りの交差点越しに見た時、ついに東京に来れた自分を褒めてあげたくなった。

東京なら、どんな夢でも叶う気がした。



「美穂、今日のお食事会の相手は医者だよ?そんな田舎者丸出しの格好で行くわけ?」

貿易会社の同期、マリエからゲキが飛ぶ。実家がある長野県の中で一番の都市、松本のデパートで上京前に母が買ってくれた白いワンピース。お気に入りだったのに、マリエからダサいと一喝され母にも申し訳ない気持ちになる。

「え、これダメかな...結構気に入ってるんだけど」

同期のマリエは成城出身で、学生時代から読者モデルとして活動していた。何度か雑誌で見かけたこともあるほど、綺麗で華やかだった。

「も〜美穂、いい加減に東京ファッション覚えてよ。そんなんじゃいい人ゲットできないよ!そして可愛い友達が多いって言ってる、私の顔も潰さないで」

会社のお手洗いでディオールのリップグロスを塗りながら、マリエは“自分は可愛い”と確認するかのように、鏡の中の自分に向かってニッコリと微笑んだ。

それを見て、レブロンのリップグロスを慌てて鞄の中に隠す。同じ同期でも、持ち物も生活レベルも全てが違った。マリエはいつもハイブランド物を持っていた。

「今日の医者、タクシー代出るかなぁ。医者って意外にケチだからなぁ」

地元・長野でお医者さんは大エースだった。しかし東京では(特にマリエの中では)あまりその肩書きに惹かれないらしい。

「マリエって、本当凄いよね」

「ふふ、ありがとう。自称生まれつきの勝ち組だから。ほら、美穂行くよ!」


丸の内は賑わっていた。前を歩くマリエがキラキラと輝いて見えた。


東京出身のマリエと長野県出身の美穂。この時は、まだマリエの方が圧倒的優位だった...

小さな嘘は大きな嘘の始まり


「美穂ちゃん、長野県出身なんだ。彼氏はいるの?」

外科医だという伸宏が優しい目をして話しかけてきた。

地元の信州大学を卒業して約半年。同じ大学に通っていた彼氏である慎吾は浪人したのでまだ信州で大学生をしている。高校から付き合っている慎吾は 一緒にいると楽しくて、家族同然の仲だった。 今でも毎日LINEはしているが、最近少し面倒くさくなってきている。

「えっと...いません!」

とっさに口から嘘が出る。

いないと言ってから、嘘をついてしまったことを後悔した。何で隠しちゃったのかな...そう思った時、マリエとその隣に座っている拓哉の会話が耳に入る。

「私、大学時代からずっと付き合っていた彼氏と別れたばかりで...」

大嘘だった。

知っているだけでも、マリエには現在彼氏が二人いる。一人は5つ上の商社マン・純也で、もう一人はかなり年上の、IT系企業を経営している陽平だった。マリエが持っている鞄や洋服は、かなりの割合で陽平から買ってもらっている。

「こんな可愛いのに彼氏いないの!?マリエちゃん、俺とかどう?」

え〜と言いながら、マリエのお得意のスキンシップ作戦が始まった。毎回この光景を見ている。上手に巻かれた髪に、女性らしい身体のライン。マリエが少し寄り添うだけで、男性陣の目尻は下がる。とてもじゃないけれど、そんな真似はできなかった。

食事会の後、マリエと拓哉の二人はタクシーに乗って夜の街へと消えていった。伸宏は送るよ、と言ってくれたが電車で帰った。



「マリエ、昨日大丈夫だった?」

翌朝LINEを送ったが、昼過ぎまで既読にならず、返信が来たのは夕方だった。

「全然平気。しかし朝起きてよく見たら、そんないい男でもなかった(爆)」

マリエからの返信を見て小さな溜息をつく。毎回、食事会の度に誰かと消えていくマリエ。今日は彼氏と夕方からデートだと言っていたのに、どうするんだろう。

「ってか、昨日の伸宏さん超〜〜リッチらしいよ!私、今度拓哉じゃなくて伸宏さんとご飯行きたいから美穂、根回し宜しくね。」

分かった、と打ちかけたが手を止める。芝公園近くにあるラトゥールとかいうマンションに住んでいる、と伸宏が言っていたことをふと思い出した。

「マンション名まで言うなんて、変な人。」

伸宏から、またご飯に行こうと言われていた。
グループLINEとは別に、個別で来ていたLINEに返信を打つ。


「今度、二人でお食事どうですか?マリエとか抜きで」


常に上位にいるマリエに対する小さな反撃。美穂の人生の歯車が少しずつ狂いだす...

踏み入れてしまった、東京というブラックホール


慶應出身だという伸宏は生粋の東京男子だった。

「『アッピア』でいいかな?それか家から近いし『ばさら』とか?」

どちらも知らなかった。

「そっか、上京したばかりだもんね。東京は美味しいお店で溢れてるから、これから色々と連れて行ってあげるよ」

「すみません、何も知らなくて...」

恥ずかしかった。しかし伸宏はそんなこと気にもしていない様子で、 『アッピア』を予約してくれた。ワゴンで運ばれてくる料理に感動した。

「幼稚舎がこのお店のすぐ近くにあって、天現寺交差点を通るたびに色々と思い出すんだよね。もう卒業して何十年も経つのにね」

そう言いながら笑う伸宏の笑顔を見ながら、こんな所で生まれ育った伸宏を羨ましく思った。地元に置いてきた慎吾のことは、もう忘れていた。

「美穂ちゃんって、東京に染まってない感じがいいよね」

「それ、褒め言葉じゃないですよ。笑」

話を聞いているうちに、伸宏のような“みんなが羨む人”の彼女になったら、自分も東京の女になれる気がしてきた。

伸宏のような人と付き合えば、東京ヒエラルキーの中で、自分も上に行ける。

永遠に追いつけない東京女子・マリエ。いつかマリエのようになりたくて、東京育ちと名乗りたくて、慣れないワインの力を借りて、その晩伸宏の胸に飛び込んだ。


後に、伸宏がわざわざ“ラトゥール”と言った理由がよく分かった。まるでホテルのようなエントランス。エレベーターに乗ってきたのは芸能人。大学まで過ごした場所とは、全てが桁違いだった。


—肌で感じる東京—

伸宏の家の窓からは、赤く燃える、東京タワーが見えた。



急に色褪せて見えた、田舎に置いてきた彼氏


机の上で携帯電話が鳴っている。慎吾からだった。

「そっか、今日は日曜日か...」

日曜日の20時は、慎吾と電話をする時間だった。

「慎吾、ごめん...」

鳴り続ける携帯電話の画面を見つめながら、着信音が途切れるまで画面を見つめ続ける。

「慎吾、本当にごめん」

ゴロンと横になった瞬間、狭い家の片隅に両親が送ってくれた信州産の野菜が入った段ボール箱が目に入る。両親と慎吾の顔が思い浮かび、心が痛む。結局、あの日以来伸宏には会っていない。小さな罪悪感に苛まされ、会えなかった。


もう、二度とこんなことはしない。
そう誓ったはずだったのに。



東京にいる限り、今日という日が一番ピュアだ。明日になれば、もっと不純になっていく。日々イノセントさが失われていくことに、まだ気がついていなかった。


次週10月19日水曜日更新予定
上京を決意した慎吾。東京に染まりゆく美穂は自分らしさを探して東京を彷徨う...