「俺の部屋に来ない?」

ラグジュアリーブランドでPRとして働くレイナ、28歳。

「部屋を見れば、その人の全てが分かる」とはよく言ったものだが、レイナは男たちの選ぶ街と部屋を見ることで、次第にその正体を知っていくことになる。

これまで行った部屋は代々木公園在住のこだわり男洋介、広尾在住の残念なイケメン商社マン・浩志など。今宵、訪れた部屋は…?



アラサー男子の悩み「今の会社と結婚できるか?」


「レイナちゃん、俺起業しようかと思うんだけどさぁ…。」

―また始まった。

レイナは内心うんざりしながら、相槌を打つ。

28歳。結婚したり子供がいたり、転職したり。大学を卒業して、一斉に社会へのスタートラインに立ったはずが、この歳になると大分差が出てきている。

男性は30歳前に悩むのか、最近よく聞かされる話題が「起業」だった。

起業を考える男性は、総じて二極化する。熱弁を奮うだけで結局行動に起こさないタイプと、周囲も気付かないうちにしれっと会社を辞めているタイプだ。

レイナはよくこの「熱弁タイプ」の話に付き合わされる。今日は3ヶ月だけ付き合った西麻布在住の健太から久しぶりに連絡があり、何かと思ったら、もうこうして2時間ほど彼の起業話を聞かされている。

健太は大手メガバンクのエリートサラリーマンだ。この「熱弁タイプ」は圧倒的に大企業勤務のサラリーマンが多い。女が30手前に結婚に焦るのと同じで、男も今いる会社との結び付きに悩むのだろう。65歳まで、相手から一生好かれる(順調に出世できる)可能性の方が少ないからだ。

しかしこの手のタイプは、起業もしなければ転職もしない。レイナはこの話題を早く打ち切りたくて、こう言った。

「健太君は上司にも可愛がられているし、今の会社で頑張っている姿も格好いいよ。」

(典型的なA型気質で、組織で認められることに喜びを感じるタイプ。起業は向かないと思うよ…。)

ちょうどそのときLINEが鳴った。最近気になっているデザイナーの達也からで、「今から飲もう」という誘いだった。

「じゃあまたね!」

元彼とはいえ途中で帰るのは気まずい。それでも今は達也に会いたい。


デートを途中ですっぽかし、向かった先は?

「結婚はおろか彼女も欲しくない」と豪語した達也とは…?


達也は大手広告代理店にいたデザイナーで、年齢は30歳。最近同期と一緒に起業したばかりだ。「熱弁タイプ」の健太とは違い、起業を決めてからは「風のように」会社を辞めたらしい。

出会いは、広告代理店との食事会だった。

奥の方でちびちびとジントニックをすすっていた達也は、明らかにやる気がなさそうで、数合わせで来たというのが丸分かりだ。しかも彼は、序盤から「結婚はおろか彼女さえ今は欲しくない」と豪語し、女性陣は目を白黒させ、一緒に来ていた男性陣も慌てていた。

「やっぱりデザイナーの人って、少し変わり者なのかなぁ。」

しかし、レイナはその変わり者の達也が気になってしまい、食事会の間ずっと2人で話し込んでしまった。

その日以来、恋愛には「100%受け身」なはずのレイナが、何度か達也を飲みに誘った。OKと言われれば天にも昇る気分で、ダメだったら地の底まで落ちるような気分だ。

彼は、会社を辞めてちょうど独立するタイミングで、これから冒険を待ち構えた少年のように目をキラキラさせながら仕事の話をしていた。

そんな彼に、会う度に惹かれていたが、「結婚はおろか彼女さえ欲しくない」という人を好きになるのは不毛だった。

この際、告白してきっぱり振られてしまった方が、次の恋に進めるのではないだろうか。

そんなことを考えて矢先の連絡だった。「もう会わない方がいいのかな」と思いつつ、連絡があれば飛んで行ってしまう。



告白しようか悩んでいるときの、まさかの誘い…?


今日は、先週だった29歳のレイナの誕生日をお祝いしてくれるらしい。気持ちは充分嬉しいのだが、「先週の誕生日を祝う」という距離感がもどかしい。

2人とも食事は済ませていたので、軽く飲むことになった。場所は北青山の『PR BAR』。外苑西通りにあるこの店は、アパレル関係の人間が多い、いかにも隠れ家的なバーだ。



知り合いに会ったのか、達也はテーブル席で何やら談笑していた。レイナは先にカウンターに座り、シャンパンを頼んだ。カレーが有名なのか、この時間帯なのにカレーを食べている客が多い。

達也は尊敬するデザイナーの話や、好きな作家の話を延々としていた。あの画集は見ておいた方がいいとか、あのデザイン書は読んでおけとか、人に興味のなさそうなフリして結構お節介な部分があることを、何度か会っているのでもう知っている。

「結婚願望どころか彼女もいらない」という彼に告白すべきかどうか、ソワソワしてしまって、何となく話に集中できないでいた。「そうだねぇ」とか「機会があったら」と適当に返していたら、「よし、じゃあ今から俺の部屋に行って全部貸してあげる!」と言い出した。

何度か会ってはいるが、もちろん彼の部屋に行ったことはない。その勢いに気圧されるかたちで、店を出て彼の家があるという青山通りに向かった。


デザイナーという職業柄、インテリアには凝っているのかと思いきや…?

「狭ければ狭いほど落ち着く」20平米ほどのワンルーム


彼の家は渋谷と表参道の中間地点で、青山通り沿いから一本入ったところにあるマンションだった。端正なホワイトグレーを基調に、木目調のオブジェが飾ってあるエントランス。このエリアの洗練された雰囲気そのままだ。



レイナは数々のショップが立ち並ぶ青山通りが大好きで、少々不便でも買い物は表参道が多かった。この通りを歩くと自然と姿勢がしゃんとなって、店のウィンドウに映る自分の姿をついついチェックしてしまう。

そのマンションは、築2、3年だろうか。新築の独特の匂いがまだ少し残っている。15階建のマンションの、彼の部屋は2階にあった。

部屋は20平米あるかないかのワンルーム。立地はいいが狭い部屋なので、家賃は12、13万円程度だろうか。玄関を入るとすぐにキッチンがあり、6畳の部屋は収納スペースにかなり場所を取られている。「15平米くらいのところに住んだことがある」と話す彼は、狭ければ狭いほど落ち着くらしい。

デザイナーという職業柄、インテリアには大分凝っているのだろうと勝手に想像していたが、驚くほど何もない部屋だった。テレビもなければパソコンもなく、ベッドさえもない。

「大体のものが骨董通りのオフィスにある」らしく、部屋にはローテーブルと壁一面に立てかけられている大きな本棚だけ。部屋の主が仕事に没頭し過ぎて、この部屋は何となく手持無沙汰だ。


村上春樹好きの男が語る「永遠のマドンナ」とは?


達也は部屋に着くなり本棚に向かい、お勧めのデザイン書や本を選びだした。この部屋で、本棚だけはいびつに熱を発しているようだ。

彼が一番熱く語っていたのは、村上春樹の「蜂蜜パイ」という短編だった。この話に出てくる小夜子という人物が、彼の永遠のマドンナらしい。

告白するなら今なのだろうか。そんな想いも一瞬かすめたが、この狭い部屋のせいで、いつもより緊張してうまく言葉が見つからない。

結局、「遅くなっちゃったけど大丈夫?」という一言で立ち上がった。両手にはたくさんの本を抱えながら、何も進展しないまま終わってしまった。

帰り際、彼は表参道駅まで送ってくれた。

「今さ、すごい仕事楽しいんだよね。会社辞めて不安もあったけど、本当良かった。」

そんな彼を見ていると、自分の気持ちなんてどうにも届かないような気がしてた。

あの後何度か会ったが、結局告白はしなかった。半年後、レイナは友人の紹介で新しい彼ができた。

しかし今でも青山通りを歩くと、達也の生き生きとした目と、あのやけに狭い部屋を思い出してしまう。



『蜂蜜パイ』の主人公は、小説家として生計を立てており、狭い部屋でひっそり物語を描き続けている。しかし36歳のときに、学生時代から友人関係だった小夜子とようやく結ばれる。村上春樹にしては珍しい、ハッピーエンドの物語だ。

こんなことが本当に起こればいいのに。

そんな想いが、ふと胸をよぎった。


次週10.21金曜日更新
男同士のルームシェア。その知られざる秘密とは…?