『ラール・エ・ラ・マニエール』は、人生に迷った者が辿り着くという、不思議な、だけど実在するレストラン。”正しい導き方”という意味を持つこのレストランは、東京での生き馬の目を抜くような生活に疲れた時に、その扉が開かれる。
さあ今夜、その扉の前に現れたのは……?

さらにこの物語に出てくる料理は、実際にあなたも味わうことができます。
あなたの物語も綴ってください。
このレストランで、料理とともに……。



今回のお話は、6話目の前夜の物語。
スタッフたちが食べた賄い料理の、一番美味しい所を使ったお料理が提供されます。
同じ食材を使ってお客様に提供する場合と、賄いとしてスタッフがいただく場合、その違いも一緒にお楽しみください。

第1話:婚約破棄された美人受付嬢を蘇らせた、あるレストランの物語
第2話:離婚届を突き付けられた男を立ち直らせた、ソムリエの機転と、ある意外な料理
第3話:転落したベンチャー企業の元社長。彼に過ちを気付かせた「王道」の料理とは
第4話:元モデルが抱え続ける焦燥感。「何者」にもなれない自分に価値はない?
第5話:初めて愛した人にプロポーズを断られた男が気付いた、自分の存在価値とは?
第6話:悩めるスタッフを救った、一流レストランの“特別”な賄い料理とは?



『ラール・エ・ラ・マニエール』の噂を聞いて、美奈子(38歳)は早速銀座に降り立った。

“思い立ったら即行動“が信条の美奈子。友人から「面白いソムリエがいるらしい」という話を聞き、すぐに足を運ぶことにしたのだ。

店内に入り席につくなり「吉岡さんですか?」と吉岡に確認すると、喋ることが好きな美奈子は、勢いよく自分の事を話し始めた。



美奈子は、海外から美容関連の商材を仕入れる会社を経営している。実店舗は持たず、ECサイトのみでの販売で、価格設定を安くしているため売れ行きは好調。

スタート当初は副業で始めたのだが思った以上に軌道に乗り、それまで勤めていた不動産会社での営業を辞め、5年前に会社を作った。社員5名の小さな会社だが、アットホームに仲良くやっている。

美奈子の年収は現在1,300万円。不自由ない暮らしをしているが、大きくて漠然とした不安が頭の隅から離れない。“おひとり様”として生きて行く覚悟への不安だ。

結婚したいと思っていた時期もあった。事業拡大なんて考えず、結婚して主婦をしながら多めのお小遣いを稼ぐくらいのスタンスで、気ままに続けたいと切実に願い婚活に奔走した事もある。

だが、30半ばの自営業女性に、同年代の会社員男性たちはなぜだかとても冷たい。その理由に気付いたのは、何度かの食事会を経た後だった。


美奈子が男性たちから敬遠されてしまった、その意外な理由とは?!

「美容関係の会社社長」という肩書は、世の一般的な会社員男性たちの委縮と嫉妬を受ける対象だった。彼らはなぜか、美奈子のことを「厳しそう」、「お金がかかりそう」、「派手好き」などと勝手に想像して、美奈子に近寄ろうとはしなかった。

不動産会社に勤めていた頃も同じような事があった。当時の美奈子は、法人向けの営業に夢中になっていたが、美奈子が仕事を頑張れば頑張る程、恋愛からは離れていった。

―男の人はお金を稼げば稼ぐほど女たちが寄ってくるのに、女の私は間逆になっちゃうの……?!

男性たちに対する不満は溜まる一方だった。その頃から男性に期待することをやめて“おひとり様”の人生を覚悟するようになった。だが、20年後も一人でいる自分の姿を想像すると、言いようのない不安に襲われることがあるのだった。



「私ね老後の事が心配でたまらないんですよ。」

コース料理をいただきながら、自分のこれまでの事を話し終えて、ようやく今一番の悩みを相談した。

「そんな事考えるのはまだ早いと思われるかもしれませんが、本当に不安なんです。お金なんていくらあっても足りないように思えるし、身体が動かなくなったら……と考えだしたらもう夜も眠れない。」

冗談のように笑顔で明るく言うが、美奈子にとっては最近の真剣な悩みなのだ。

「親友がいてくれるのが、唯一の救いですけどね。」

親友の理沙は高校からの友人だ。合鍵を渡し合い、「何かあったらすぐに助け合おう」と固い約束を交わしている。現在、美奈子は八丁堀、理沙は神谷町に住んでいるが、同じ駅に引っ越すことも考えているほどだ。

理沙は離婚経験があり、バツイチだが子供はいない。保険会社でバリバリ働いているキレ者だ。「何かあれば理沙がいてくれる」と思えるだけで、どんなに救われているか分からない。

吉岡に喋る暇を与えない程、途切れることなくテンポよく話す美奈子。彼女の話が一旦落ち着いたことを感じて、吉岡はようやく口を開いた。

「それでは、メインはお客様にピッタリのお料理をお持ちいたします。」

「わたしにピッタリ?」

美奈子は嬉しそうに瞳を輝かせた。どういう意味なのかイマイチわからないが、レストランでそんなことを言われたのは初めてだ。美奈子の期待は高まった。



「“土佐のあか牛フィレ肉と黒トリュフのロッシーニ風”でございます。こちらのお料理の仕上げはテーブルにてシェフが行わせていただきます。」



料理を運んできた吉岡が言うと、後ろから道具を持ったシェフの小清水が現れた。準備された道具からは、もくもくと冷気のような白煙が溢れている。


美奈子の目の前で繰り広げられる、驚きの仕上げとは?!


準備を進めながら小清水が説明を始めた。

「仕上げにお乗せするフォアグラの泡のソースを、液体窒素で固めます。」

「液体窒素?テレビでよく、お花なんかを一瞬で凍らせるあの液体ですか?」

「はい、さようでございます。」

小清水は美奈子に説明しながら、「それでは」と言って美奈子の目の前でテキパキ動き始めた。



それはまさに一瞬で、小清水がスプーンにとったフォワグラの泡を液体窒素の中に入れて数秒後に取りだすと、泡だったものがまるでメレンゲで作ったお菓子のような、軽いクッキーのような形状に変化していたのだ。

まずは小清水が、デモンストレーションとして液体窒素から出した泡を口に含む。すると彼の口からはもくもくと白煙が溢れ、美奈子は「すごーい、魔法みたい!」と思わず声を上げた。



美奈子も小清水と同じように、チャレンジしてみることにした。口に含むと軽い口当たりで、自分の口から白煙がもくもく出ていることがわかり、なんだか可笑しくなってしまった。

その後、もう一度泡を固めてもらい、今度はお肉の上に乗せてもらった。



ナイフとフォークを持ち、ゆっくりとお肉を切り分ける。その柔らかさにまずは驚き、口に運ぶと満面の笑みを見せた。固められたフォアグラの泡が食感の良いアクセントになり、お肉の柔らかさと見事に調和しているのだ。
美奈子の喜ぶ顔を見て、吉岡は料理の説明を始めた。

「こちらはあか牛肉のフィレの中でも一番美味しい所を丁寧にくりぬいております。お肉にかけているのはソース・ペリグー。その上に1カ月半熟成させた黒トリュフの厚切りを乗せております。どうぞそのまま齧ってみてください。横に添えているのはグラタン・ドフィノワでございます。」

熱心に吉岡の話を聞くと、さっそく黒トリュフを齧る。

「すごい……もうこの香りだけで幸せです。」

言葉では表せないとでも言うように、それだけ言うと眼を閉じて鼻に残った香りを楽しんだ。黒トリュフの香りを堪能した後、再度お肉を口に運ぶ。そこでひとつ思い出し、ゆっくり咀嚼した後口を開いた。


「そういえば、私にぴったりのメイン料理と仰ってましたけど、それってこのお料理のことですよね?どの辺がピッタリなのかしら?」

吉岡は、美奈子の言葉を聞いて「はい。」と答えると、一呼吸おいて続けた。

「液体窒素で固めたフォワグラの泡をお楽しみいただけたかと思いますが、あれはその瞬間を閉じ込めたもの。人生はまさに、今この瞬間の積み重ねです。
時の流れは不思議なもので、1日単位で考えると何も怖くないのに、数年単位で考えると妙に恐ろしく思える時があります。でもいくら考えても私たちは、今を生きることしかできません。」

美奈子は無言のまま頷き、吉岡の言葉の意味をじっくり考え始めた。

―確かに、1日単位で考えれば私は十分幸せ。昨日も、今日も、きっと明日も。でも、数十年後は、やっぱり不安……。

仕事、お金、体調、それらの事を考えると、美奈子はやはり気が重くなってしまう。

―でも不安がってるだけじゃ何の解決にもならないのは、分かってる。きっと何をしても不安はつきまとう……?

さっきまでノンストップで喋っていた美奈子だが、黙って考え続けた。

そこで吉岡が、また一呼吸おいて口を開いた。



「何事もバランスが大切です。今この一瞬を楽しむもことはもちろん大切ですし、将来の事を考えるのだって大切。料理も、全体のバランスが取れてこそ最高の一皿になります。将来の事を考えるのと同時に、今を楽しむ事も大切になさってください。」

その言葉で、美奈子の中でひっかかっていたものが、ストンと落ちたように感じた。

「そっか、最近の私の考え方はちょっと極端になりすぎていたのかもしれません。今を大切にすることを忘れて、勝手に不安だけを膨らませていた。」

美奈子は、言葉を選ぶようにゆっくり続けた。

「この瞬間を楽しむって、もっと若い頃は当たり前に思っていたのに、いつの間にか忘れちゃってました。確かに年齢を重ねても素敵な人って、その瞬間を楽しんでいる人たちのような気がします。まさか液体窒素でそれを教えてくださるなんて。」

いたずらっぽく笑いながら吉岡を見上げると、彼は白い歯をチラリと見せて、頬を緩めた。

「美味しいお料理とワインをいただけて、今日も幸せです!この瞬間を重ねていけるよう心がけます。」

明るく言うと、ワインをごくりと喉に流し込む。
「はぁ」と大きく息を吐き、ワインの香りが鼻に抜けるのを感じた時、心が少しだけ軽くなったように思えた。



帰り際、美奈子は化粧室に入り鏡に映る自分を見た。
自分に喝を入れるように、「よしっ」と小さくひとつ声を出す。

鏡には、いつもより晴れやか顔をした自分がいた。

もしあなたが今、何かに迷っているなら『ラール・エ・ラ・マニエール』の扉を見つけてください。
10/15(土)〜10/29(土)の期間中、ご来店の2日前までにご予約をいただければ、「土佐のあか牛フィレ肉と黒トリュフのロッシーニ風」と共に、ソムリエ・吉岡とシェフ・小清水があなたをお待ちしております。