『ラール・エ・ラ・マニエール』は、人生に迷った者が辿り着くという、不思議な、だけど実在するレストラン。”正しい導き方”という意味を持つこのレストランは、東京での生き馬の目を抜くような生活に疲れた時に、その扉が開かれる。
さあ今夜、その扉の前に現れたのは……?

さらにこの物語に出てくる料理は、実際にあなたも味わうことができます。
あなたの物語も綴ってください。
このレストランで、料理とともに……。

第1話:婚約破棄された美人受付嬢を蘇らせた、あるレストランの物語
第2話:離婚届を突き付けられた男を立ち直らせた、ソムリエの機転と、ある意外な料理
第3話:転落したベンチャー企業の元社長。彼に過ちを気付かせた「王道」の料理とは
第4話:元モデルが抱え続ける焦燥感。「何者」にもなれない自分に価値はない?
第5話:初めて愛した人にプロポーズを断られた男が気付いた、自分の存在価値とは?
第6話:悩めるスタッフを救った、一流レストランの“特別”な賄い料理とは?
第7話:“おひとり様”を覚悟した女性を癒した、フレンチ×液体窒素の魔法とは



「聞いた事ありますか?上階から下りてくるエレベーターを止めてはいけないって。」

『ラール・エ・ラ・マニエール』を訪れ、ソムリエの吉岡に問いかけたのは、豊洲のタワーマンションに住む朋美(31歳)だ。

彼女は1ヵ月に一度、一人で美味しいものを食べに行くのが趣味で、今月は『ラール・エ・ラ・マニエール』を訪れていた。美味しい料理とお酒を味わい、店のスタッフと話しをするのが、何よりのストレス解消になっているのだ。

「最初は高層階の人からクレームが出たんですって。まるで各駅停車で、1階に辿り着くまで5分以上かかるって。それが今では正式なルールとなって、管理組合がエレベーターの横に張り紙してるんですよ。」

朋美はあきれた顔で笑いながら、自分が住むタワーマンションのルールを説明した。

朋美は、夫の直之(33歳)と二人で、40階建てタワーマンションの3階に住んでいる。結婚前に直之が親の遺産を相続して買い替えていたマンションだ。ローンはなく、管理費だけの支払いで済んでいるため、家計への負担がほとんどなく、朋美は助かっている。

だが、「3階」というのがどうしても気に食わない。いや、正しくは結婚当初は気にしていなかった。震災の後で、高層階に住むことに不安もあった。だが、実際に住み始めてみると、低層階であることに不満が溜まっていった。

低層階用のエレベーターに向かう時、エレベーターで人の視線を気にしながら「3」の数字を押す時、何も知らない時に下りてくるエレベーターを止めてしまい乗っていた人にジロリと冷たい視線を向けられた時……。

低層階の住人は「格下」のように見られるのだと、身をもって経験する度に「なんで3階なんて買ったのよ」と、何の罪もない直之を責めたい気持ちになるのだった。

彼曰く、通勤の利便性、セキュリティやコンシェルジュなどの各種サービス、供用スペースなどが充実しているなどの理由でタワーマンションを選んだだけで、階数に大きなこだわりはなかったそうだ。

確かに、大手メーカーに勤める年収700万の直之と、同じ業界の別会社で事務職をしている年収450万の朋美では、タワーマンションの高層階は不相応なのかもしれない、と朋美自身も感じている。




メディアで取り沙汰されるタワマンでのマウンティングなんて、事実を誇張しているだけだと思っていた。だがそれが誇張でも何でもなかった事を朋美が知るのに、時間はそうかからなかった。


朋美が驚愕した、タワマン女性たちの実態とは?!

朋美は今のマンションに引っ越したばかりの頃、マンション内にあるバーに行ってみた。すると同年代くらいの派手な服装の女性が近付いてきたかと思うと、いきなり「初めまして、開業医の妻です」と自己紹介してきたのだ。名前ではなく、まず初めに夫の職業を伝えることに大きな違和感を覚えた。

他にも、マンション内の誰かの話をする時は必ず、住んでいる階数か乗っている車種名を名前の前につけるのだ。「30階の斉藤さん」、「レクサスの小島さん」などだ。

住んでいいる階=その家庭の生活レベルであり、財力こそが判断基準なのだ。

だが朋美と直之も、世帯年収では1,100万円以上あり、決して悪い金額ではない。ローンだってないのだ。だが、このマンションに居る限り、今のようなモヤモヤした気持ちを持ち続ける事になるのだと考えると、朋美は暗い気持ちになった。

「上に住んでるからって、別に偉いわけじゃないのに」

胸の中で叫びたくなる事もある。強がりでもなく、本心でそう思っている。

それでもやはり、エレベーターで「3」を押す時は何とも言えない劣等感のようなものを抱える。逆に、上層階でも「賃貸」で住んでいると聞けば心の隅で優越感を覚える自分がいる。

自分の矛盾した考えに、心がばらばらになりそうな危うさを感じる事さえある。



「そん風に考えるなんて馬鹿らしいなって思うのに、やっぱり気になっちゃうんですよね。35歳までには子供も欲しいと思ってるんですが、あそこで育てる自信もなくて……。」

付け加えるように朋美は呟いた。

タワマンでは住んでいる階で、子供のヒエラルキーまで決まってしまうからだ。小さい頃から「自分はまわりのお友達より劣っているんだ」という考えを、嫌でも植えつけられるだろう。そんな環境で子供を育てる自信が持てなくなっていた。

「なんだかすみません、愚痴ばかり言ってしまって。でも、聞いて貰えて随分楽になりました。」

笑顔を作って、吉岡に礼を述べた。吉岡はにこりと頷き「それではデザートをお持ちします」と告げてテーブルを離れた。





「栗を使ったデザートです。」

「わあ、素敵!」

吉岡が運んできたデザートを見て、朋美は感嘆の声をあげた。

ガラスの器の上には、イガグリを模したチョコレートや、葉っぱの形の焼き菓子、アイスクリームなどが美しく配されている。さらに器の下には、本物のイガグリが並んでいるのだ。



「真ん中は栗のスープ、イガグリを模したチョコレートはパイ生地の上に栗のクリームを絞り、スティック状にしたチョコレートを刺しています。左隣はアイスクリーム。アイスクリームの上にはメレンゲのスティックを乗せています。焼き菓子とスープにかけているのは栗のパウダー。それと右上は栗の渋皮煮でございます。すべてを栗で作ったデザートです。」

「栗のスープ?」


栗のデザートが、朋美の悩みを軽くした理由とは……?!


「はい、まずはそのままお召し上がりいただき、次はぜひスープを付けながら味の違いを楽しみください。ワインは“ヴァン・ド・パイユ”という甘いワインをどうぞ。パイユとは藁という意味で、その名前の通り収穫したブドウを藁の上で乾燥させて、ブドウを凝縮させてからワインにするため、藁の香りがするワインです。」



吉岡の説明を聞いて、朋美は頷きながらスプーンとフォークを手に持った。
まずはスープを口に運ぶ。口の中には栗の濃厚な味と香りが一気に広がり、目を閉じてその味を堪能した。



次にチョコレートを割ると、確かに中にはクリームとパイ生地が見えた。まずはそのまま、次はスープを付けて、吉岡に言われた通り味の違いを楽しむ。



「スープを付けると味に深みと華やかさが増しますね。じゃあ次はこの大きな渋皮煮をいただこうかな。」

楽しげに言って、渋皮煮にフォークを入れた。

「こちらのお皿はすべて、栗の王様と言われる丹波栗を使用しています。京都の丹波は、日本の代表的な栗の産地です。大きくて甘いのが特徴ですが、やはり中にはお客様にはお出しできないようなものもございます。実際、いくつもの殻を割ってみて一番良いものを選んで使用しております。」

「そうなんですね。自然のものですからね、たとえブランド品種でも良いものがあれば悪いものもありますよね。」



朋美は笑いながら渋皮煮を頬張り、また目を閉じて味を楽しむ。

「はい、逆に丹波栗でなくても同じくらい素晴らしい栗もあります。そのため、私たちは育った環境や品種よりも一粒一粒の本質を見るよう心がけております。」

「そうなんですね。」

なるほどと思いながら朋美は呟いた。
2~3度頷いた後、何かがひっかかり吉岡の言葉を頭の中で繰り返した。

「育った環境や品種よりも、本質を見る……。そうしてみんなが、本質を見てくれればいいのにな。住んでる部屋が何階だとか、どこのブランドのバッグを持ってるとか、そんなことじゃなくて。その人の本質で判断してくれればいいのに。」

吉岡は口を結んだまま深くゆっくり頷いた。

「でも、だったら逆に自分の本質をしっかり磨いていればいいのかな。あんな、旦那の職業を名乗っちゃう女なんか気にならないくらいに。」

いたずらっぽく笑うが、大切な事に気付けそうな気がして、さらに深く考える。

朋美が住むマンションには2,000戸近くの世帯が入ってる。一括りに“タワマンの人たち”と言って片づけてしまっているが、自分が思っている以上に色んな人がいるのだろう。その中には、同じような違和感を抱えている人がきっといるはずだ。

タワマンの住人全てが敵のように思えるが、自分自身も一人一人の本質を見ずに決めつけるべきではないのではないか。

いつか生れるかもしれない子供のために今の環境を嘆くよりも、親が子供の本質をきちんと育てれば問題ないのではなないか。

今まで思いつかなかった考え方が、朋美の頭の中に一気に押し寄せてきた。

朋美は、甘いワインをごくりと喉に流し込み、大きく息を吐いた。それは朋美の中に溜まっていたモヤモヤを吐き出すような、大きな一息だった。



吉岡を見上げると、さっきまで固く結ばれていた口元がきゅっと上がる。反対に目尻は下がり笑顔になった。それは秘密を共有する共犯者のような、寒い冬の日を照らす灯りのような優しい笑顔だった。


もしあなたが今、何かに迷っているなら『ラール・エ・ラ・マニエール』の扉を見つけてください。
10/22(土)〜11/5(土)の期間中、ご来店の2日前までにご予約をいただければ、「栗のデザート」と共に、ソムリエ・吉岡があなたをお待ちしております。

次回、10月27日(木)更新
最終回、吉岡にとっても特別なワインで悩めるインスタグラマーを導きます。