25時の表参道。

東京のエネルギーが集結する港区にあって、そこだけ取り残さてしまったかのような静寂が流れている。

昼間は多くの人で賑わうが、深夜になると、隣の六本木とはまるで違った景色を見せる。

赤坂にある広告代理店に勤めるフミヤ・美月・亮は仲の良い同期3人組で、フミヤと美月は付き合っていた。しかし、フミヤと亮が37歳の既婚女性・静香に恋に落ち、3人の運命が狂い出す。

嫉妬に狂う美月は、静香を呼び出すが全く相手にされない。その翌日、フミヤは静香の旦那に遭遇してしまう。一方、美月は同期のツテを辿り、静香の旦那にある忠告をするが…?



フミヤ「少しでも静香さんの気配を感じていたい」


「信じてくれないかもしれないけれど、私はあなたのことが大好きなのよ。」

セルリアンタワー37階で聞いた、静香さんの言葉を頭の中で何度も反芻する。

静香さんに連れられてきて以来、足繁く通うようになった『バー・ラジオ』に、最近は一人で入り浸るようになった。カウンター越しのマスターに聞きながら、彼女の好きなウィスキーの知識を少しずつ増やしている。

あの日以来、静香さんから連絡はない。ようやく教えてもらったプライベート用のアドレスに何通か連絡を入れているが、返信は全くなかった。次は、一体いつ会えるのかさえ分からない。

そして、最近美月の様子が明らかにおかしい。毎日泣き暮らしていた彼女が、ある日を境にすっかり機嫌が良くなった。顔を合わせるたびに別れ話をしていた僕たちが、何事もなかったかのように穏やかに暮らしている。

しかし、これが嵐の前の静けさだったなんて、一体誰が想像していただろうか。


嵐を巻き起こすきっかけとなるのは3人のうち誰なのか?

急に届いた1通のメールで、有頂天になるフミヤ


「明日の夜は、空いてるかしら?」

そのそっけない一文が来た時、ちょうど静香さんの大好きなお酒、ラガヴーリンにチャレンジしているところだった。

「もちろん、空いてるよ。」

そう返信すると、すぐさま店の場所と時間が送られてきた。

―それじゃあ、明日20時に南青山の『ルメルシマン オカモト』で。

僕の胸は瞬時に高鳴った。彼女との食事は久しぶりだ。いつもバーで落ちあってそのまま別れるか、運が良ければそのまま泊まるか。

尋常ではない仕事量をこなしながら、人妻でもある静香さんとゆっくり食事をする時間は、残念ながらほとんどない。

彼女と久しぶりに会える高揚感を少しでも静めさせようと、ラガヴーリンをゆっくり口に運ぶ。初めは薬のような味がして全く受け付けなかった味が、徐々に僕の舌に馴染んでいくのを感じた。





「あれから、大丈夫だった?」

あれから、というのは彼女の旦那と朝の表参道で鉢合わせして以来、ということだ。その後2週間近く音信不通だったため、何かあったのではないかと気が気ではなかった。

会ってしばらくしても、彼女がその件について触れる様子はなかったので、コース料理の中盤、僕は思い切って聞いてみた。

北海道産の食材を使ったフレンチのフルコース。静香さんは、フレンチが好きだ。「美味しいフレンチは、そのまま食べるより素材そのものの味に近くなる」というのが彼女の見解だったが、正直僕にはよく分からない。ただ、目の前に運ばれてくる一品一品は素晴らしく美味しかったことだけは確かだ。

彼女は、その質問には答えず、僕の方を見てにっこりと笑った。

「ずっと、ずっと会いたかったの。」

黒目がちな目はたっぷりと潤んでいて、目の前の彼女を滅茶苦茶に抱きしめたくなった。

その目を見ていたら、「僕もだよ」という一言が言えなくなってしまって、カラカラに乾いた喉を潤すために、水を一気飲みした。

彼女は、僕の想いを全て見透かしているかのように、微笑みながらその様子を見ていた。


幸せな夜は、このまま続くのか?

幸福なひとときも、一瞬で残酷で非情な時間に変わる


そのレストランから、歩いて『バー・ラジオ』に向かった。たっぷりワインを飲んだ僕たちの足はいつもより軽やかで、静香さんも終始ご機嫌だった。

歩きながら、初めて2人で飲んだときのことを思い出した。静香さんはどんなピンヒールでも、本当に器用に、素早く歩く。彼女が白い息を吐きながら、かつかつとヒールを歩いている姿が、僕はたまらなく好きだった。

凛としていて、強くて、でも儚くて。少女のように可憐で。僕が人生で初めて「心を奪われた」女性。それが、藤堂静香だった。



『バー・ラジオ』に着いて、既に酔いもたっぷり回って陽気だった僕たちは、カウンターで肩を寄せ合いながら、ゆっくりとウィスキーを飲んだ。静香さんはまだ話し足りないのか、いつもより少し饒舌だった。

静香さんの青山の実家近くにあるという、どこよりも早く咲く梅の花。お正月はいつも親戚の集まりの手伝いをさせられるのがすごく嫌だったことや、それでもおばあちゃんが作るお汁粉を楽しみに何とか頑張ったということ(静香さんは甘い物が嫌いだが、これだけは食べられるらしい)。

なぜ人は、断片的で無駄な話をする方が、距離が縮まる気がするのだろう。

いつも静香さんと会うのは一瞬で、しかも会った瞬間から終わりの時間を気にしてしまうので、会うまでが一番楽しい時間だ。

でも、この日ばかりは違った。僕らは驚くほどによく食べてよく飲んで、よく喋った。

過不足なく幸福で満ち足りた夜とは、こういう時間を言うのだろう。

そのときだった。

「カラン」

僕らを静かに見守ってくれていたマスターの視線が、入口のドア付近に向いて、それまで2人の世界に夢中だった僕も、何となくその方向に目をやった。

4人ほどのサラリーマンの集団。しかし、その顔ぶれを見て僕は固まった。

亮と、営業統括の局長、あとは見知らぬ顔が2人ほど。

「お!フミヤ!」

カウンターにいる僕に亮は平然と声をかけ、僕は慌てて静香さんに耳打ちした。

「あれ?藤堂君?」



時計に手をやりながら、局長は真っ先に静香さんに声をかけた。(恐らく僕のことは誰なのか認識していないのだろう。)静香さんはようやく事態を把握したらしく、いつもの様子にすぐ戻り、「あら」と言いながら、立ち上がってにこやかに彼らと話し始めた。

その場に取り残された僕は、呆然とした。

彼らが店に入ったとき、僕たちは恋人のように寄り添っていたし、その様子を、静香さんの直属の上司である局長は目にしたはずだ。亮は、彼らとの新年会の二次会の場所を、わざわざここにしたのだろうか。


―亮にハメられた。


映画の字幕のような一文が、頭を駆け巡った。血の気が引くってこういうことなんだと、後から思うとかなり冷静に、その一部始終を見守っていた。

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上司に関係をばれてしまったフミヤと静香。2人の行く末は…?