鉄道ジャーナル社の協力を得て、『鉄道ジャーナル』2016年11月号「電車はだれのもの ベビーカー論争に思う」(筆者:鍋倉紀子)の一部を抜粋して掲載します。

ベビーカー論争は、鉄道会社が条件付きにせよ「ベビーカーを広げたまま乗ってかまいませんよ」とお墨付きを与えたものの、どのような状況ではどうするか、実際の決定は個々の良識と判断にゆだねられているところにある。

近年、街や駅のバリアフリーは著しい進化を遂げた。高齢者や体の不自由な方々はもちろん、昔はある程度大きくなるまで自宅近辺以外出かけるすべのなかった幼い子連れも、自家用車を使わず楽にあちこち移動することが可能になった。さらに共働きによる保育園通いやお子様歓迎の施設も増えたことで、子連れが鉄道やバスを利用する機会はさらに増えている。

バリアフリーが事態を深刻化させた?

バリアフリー自体大変よいことであるが、その功績がベビーカー論争のような現象を引き起こすひとつの要因となっていると言えなくもない。待機児童の多い自治体が解消に努めたところ、その成果が人を呼び込み、事態がさらに深刻になることがあるように、ある不便の解消のために費やされる努力は、成果と同時に新たな不便を連れてくるのが常だからである。

輸入物のかさばるベビーカーをずらりと並べて駅を闊歩するママ友軍団、あるいは、明らかに不要不急の、用事とは思えぬいでたちで座席を占拠し騒ぐ親子、そういう人々が少なからず存在するため、一般の乗客はベビーカーあるいは子連れそのものに不快な印象を抱かざるをえない。

もちろん、大半の子連れは端の車両の狭い空間に身を縮め、子どもの言動に全神経を尖らせ、とにかく他人に迷惑をかけないよう必死だ。周囲の乗客も、そのような子連れを積極的に肯定はしないものの、まあ多少のことは許容するつもりで、もし困っていればすぐに手を貸すことをまったく厭わない善良な人が大半だ。

しかし、迷惑な子連れと彼らにまったく寛容になることができない一部の乗客の言動は、慎んで行動する子連れと無言で見守る一般の乗客に比べて少数の割に目立つため、両者の対立ばかりがクローズアップされてしまう。

他人や騒音に対する寛容度は本来個人差があってしかるべきものだが、ここ近年、総体的には下がる一方だろう。