今では地域によって異なる設計の電車が増えたが、かつての国鉄は1987年の分割民営化まで、通勤電車に関してはほぼ関東地区と同様の国電(国鉄電車)を共通で使用していた。

だが、並行する私鉄との激しい乗客獲得からか、あるいは電車へのこだわりからか、京阪神、名古屋では国鉄時代から独自の電車を導入してきた経緯がある。特に京阪神間では、私鉄とのスピード競争のためにその時代において画期的な電車を常に投入してきた。その姿勢はJRの今も変わっていない。

最先端の流線型車体で登場

京阪神間の高速列車による輸送は戦前からスタートした。1936(昭和11)年、当時世界的流行だったスタイルを取り入れた独特の美しい流線形でさっそうとデビューしたのが、「流電」と呼ばれたモハ52形電車である。京阪神専用の急電(急行電車)に使用することを主に製造された本格的高速電車で、1948年には高速度試験で最高速度119km/hを記録している。

京阪神間の運転から退いた後は阪和線などで使用されたが、1958年には飯田線に転属となり、その後は長く同線で活躍を続けた。1983年8月には最後まで残った車両も廃車され、現在も一部が静態保存されている。この電車は、京阪神で現在活躍中の「新快速」電車の先駆けとなった電車といえよう。