NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』で創刊時のエピソードがドラマ化され、再び注目が集まっている『暮しの手帖』(暮しの手帖社 刊)。戦後、幸せな生活があれば、二度と戦争は起きない。そう信じて創刊されたこの本には、私たちの日々を考えるうえでも、雑誌作りを考えるうえでも欠かせない基本が、創刊から約70年の時を経た今も脈々と受け継がれている。



そんな『暮しの手帖』の編集長に、80号(2016年1月25日発売)から就任した澤田康彦さん。2016年9月24日(土)発売の最新号(84号)の制作秘話を中心に、現在の『暮しの手帖』がどんな風に作られているのか伺ううち、本作りのワクワクが浮かび上がってきた。



『暮しの手帖』84号(2016年9月24日発売)

『暮しの手帖』84号(2016年9月24日発売)




雑誌作りは“脇道”の面白さ



もともと本や雑誌が大好きだった澤田さんは上智大学在学中、椎名誠編集長の『本の雑誌』のアルバイトで本作りの第一歩を踏み出す。「本を読むだけでなく、本の匂いや重さや手触り……編集すること、販売することの楽しさを学びました」。大学卒業後、マガジンハウスに入社。『BRUTUS』にはじまる約30年間、マガジンハウスで編集者としてたくさんの雑誌や本を送り出した。



――マガジンハウス時代のお仕事で、今の雑誌作りにつながっていると思われることは?



『BRUTUS』でハリウッドの西部劇を取材した号ですね。初めての海外取材で、半泣きで作っていました(笑)。アメリカ人のコーディネーターが同行して、往年の西部劇の俳優さんの取材をするため、アカデミー協会や俳優協会に電話して下さったのですが一向に返事がない。ホテルの部屋でずっと待機。それを見ていた日本人のコーディネーターの方が、「街へ出ようよ、澤田さん」と。クルマで広いLA中を巡りながら、たまたま街のウェスタンショップの店主のおばさまに声をかけたら、「あさって、ベン・ジョンソン(『ワイルド・バンチ』『ラスト・ショー』などに出ているオスカー俳優)がパナマ帽を買いに来るよ」って言うんですよ。「電話をかけてあげる」ってすぐにかけてくれて、「取材オッケーよ」って。そういう出会いが雑誌として一番面白いんです。





――予想外の出会いですね。



そうです。別の日に街を歩いていたら、ウェスタンスタイルのカフェに小さな新聞があって、とある西部劇俳優が「ウォーク・オブ・フェイム(スターの手形が並ぶハリウッドの名所)」に名を連ねるお祝いのパーティーが週末にあると書かれていたんです。そこに潜り込んだら、ジョン・フォードやハワード・ホークス、サム・ペキンパーの傑作に出ていたそうそうたるお爺ちゃん俳優たちがいるんですよ。



ご本人たちに直談判すると、みんな「いいよ!」って気さくでした。日本から来てくれた取材者のぼくらをとてもフレンドリーに扱ってくれました。こうして往年のガンマンたちに取材することができたんです。ベン・ジョンソンなんて家にまで呼んでくれて、投げ縄の名手なのですが、目の前でやって見せてくれましたね。まぶしかった。すごく感動しました。なんとか協会とかを通した企画書から始まる手続きばかりではなく、自ら動いて現場に出て偶然の出会い、発見から人とつながっていくこと、良質の温度のあるコミュニケーションをとり続けることがいい記事になっていくし、一生胸に残るものになるんだと知りましたね。この感覚は現在にもつながっていると思います。



――とおっしゃると?



例えば、80号の「自然薯(じねんじょ)を掘りに行く」という企画は、銀座の焼き鳥屋の大将と交わした話がもとになっているんです。「ものすごくおもしろいんだよ」「美学なんだよ」って。1メートルを超える長イモを慎重に掘り出すその作業を女子にぜひ体験してもらいたいなあ、ということで、最もそういうことをしそうにない人……女優で作家の西山繭子さんにお願いした、というのがあのページです。



遊びの中で企画が生まれる



――最新号(84号)巻頭の<あのから揚げの作り方>もおいしそうですね。今泉久美先生が出ていらっしゃいます。



僕が編集長になってから意識しているのは、単にレシピを入れるのでなく、できるだけ人間を入れようということ。どんな人がどんな意識でその企画を出し、料理を作っているのかを大事にしたいというのがあります。から揚げの企画も今泉先生とチャーハンの企画(81号)をやっている時に出てきたものなんです。撮影が終わるなり、料理写真家の木村拓さんが「先生、いつもの!」って。何だろう?と思ったら、ジューって音が聞こえて、とびっきりのから揚げが出て来たんですよ。



「あの唐揚げの作り方」特集

「あのから揚げの作り方」(P12-13より)




――楽しいセッションですね。おいしいものが寄って来る感じがします。



それが大事なんです。今泉先生が「母ゆずりのレシピなのよ」と話してくださって、「ぜひ記事に」って。机の上で企画会議をしてテーマを持ち寄っても、リアリティを欠いたものになりがちですよね。例えば“冬だから鍋”といっても、一流の先生方だから、それ相応のものにはなりますが、もう一歩、もう二歩踏み込みたい。先生とその料理との関わりや、私たちの空気を写し取りたいなと思っています。誰かにおいしいものを作ってあげようとする、その行為の気高さ、優しさまで撮れればいいなあ、と。



――編集長自ら、現場にいらっしゃるのですね。



『暮しの手帖』は広告がないので、編集長がスポンサーや代理店に営業しに行かなくてもいいというのはとてもありがたいですね。その分、打合せや撮影の現場に出向く時間も増やせるんですね。



料理家さんやカメラマン、スタイリストさんたちが今現在どんな気持ちで何を考え、どんな好みや主張で仕事をやっているのか、そういうことを確認し、話し合っているのが面白くて。そこを律儀に踏まえたうえで出来上がるのが雑誌だと思うんです。それはとても手間がかかりますが、他の雑誌とアプローチが違う方法なのかもしれないですね。



まっすぐに読者と向かい合う



――最新号の<「ある日本人の暮し」のふたり>も気になります。






花森安治さんたちが取材した「ある日本人の暮し」(暮しの手帖別冊「花森安治」より)






最新号「『ある日本人の暮し』のふたり」(P2-3より)






かつて、「ある日本人の暮し」という花森(安治)の肝いりの連載があって、名もなき庶民の暮らしをすくい上げて届けるルポのページなのですが、そこに登場された当時まだ若かった国鉄機関士のご夫婦がアンケートはがきにそのことを書いて送って下さったんですね。87歳で今もご健在だと。うれしくて、編集部員が手紙を書いたら、また返事を下さった。「結婚60年の中でいちばん素敵な思い出があの取材でした」と。それで編集部員とカメラマンが今のご夫婦に会いに行ったページなんです。



――読者との交流からページが生まれるのが素敵です。



『暮しの手帖』が読者と直接向かい合っている一例だと思います。人間とのつきあいを丁寧にやる以外に大事なことってないのかもしれない。料理やルポ、手芸や随筆と掲載の形はいろいろだけれど、ベースにはすべて人の暮らしというものがある。それだけは編集部の全員が意識していると思います。広告をいただいていないから、まっすぐに読者を見られる。それが、こんなに大きなことだったのかとつくづく思いますね。花森や大橋(鎭子)が遺してくれたそういう姿勢が暮しの手帖社の基本形であり、平たく言えば社風。ほとんどが中途採用の若い人たちなのですが、入社すると、その空気の中に自然と入るんですよ。僕もそのひとりです。最初はちょっと面食うところもありましたが。



――どんなところにですか?



典型例でいうと試作ですね。取材してきたお料理を会社に戻って編集者がもう1回、先生から頂いたレシピのまま忠実に試作するんです。うまくいかなかったら、また先生と協議する。レシピを書き直す。できたものをみんなでいただいて、感想を言い合う。はじめはびっくりしましたが、今では絶対に必要なプロセスだと思っています。最近は、試作だけでは飽き足らず、「試作室から」というページも始めたんですよ。



試作室から(p150・151)

「試作室から」(p150-151より)




先生に編集部に来ていただいて、担当編集者と試作するさまを記録していくんです。通常、編集者というのは先生が料理するのを見ているだけなので、編集部に帰って試作する時は記憶に頼ってやるしかない。けれど、先生を隣にしてアドバイスをいただきながら試作することにより、編集者がその料理をおいしく作るコツをつかめると思ったんです。さらには編集部の皆が先生と直接触れ合えて、次の企画が生まれたりしますし。今号来ていただいた今泉先生については、おでん→チャーハン→から揚げ……とつながってきています。もちろん各料理家は個性も魅力もある方が大勢いらっしゃるので、そのおつきあいをそれぞれの編集部員がちゃんと続けることで自分たちの雑誌のポテンシャルが上がるんだと思います。



受け継がれる手仕事の美しさ



――最新号の<くつしたのお直し>もいいですね。



これは編集部員の企画で、友だちからもらった高価な靴下が、履いたらすぐに穴が開いてしまったと(笑)。かわいく直したら、また使えるなということから始まったページです。



「くつしたのお直し」特集(P46、47)

「くつしたのお直し」(P46-47より)




ダーニング・マッシュルームというかわいらしい木の道具を布地の下からあてて、刺繍みたいに直すんです。ここには『暮しの手帖』の骨子があって、愛着のあるものに穴が開いたら、お直しの技術でもって手あてしようと。昔はほころびを直すのは貧しさの象徴だったけれど、今は個性。家族が直してくれるそれには、「もったいない」の精神も、愛情もこもっていて、そこに価値がある。簡単に新しいものを買わないで、愛着あるものを大事にしよう、と。一般的な商業誌だと、新製品購入、お買い物をうったえる必要があるのですが、それちょっと待った! というのも『暮しの手帖』ならではの仕事ですよね。「美しいものは、いつの世でもお金やヒマとは関係がない/みがかれた感覚と、まいにちの暮しへの、しっかりした眼と、そして絶えず努力する手だけが、一番うつくしいものを、いつも作り上げる」というのが創刊からの花森の教えであり、今も僕らが無意識に続けていることなんだと……最近気づいてきました。



――最近ですか?



そうなんですよ。編集長も一緒にやりながら現在進行形で気づいていくんです。だからこそ、現場を回らないとダメなんですね。人と話し続けていないと。僕が編集長になってから、アートディレクターにも取材の現場に来てもらっているんですよ。そうすると、写真に写っている料理の味もわかるし、作っている先生の佇まいもわかるし、現場の温度だとか、そういうものがデザインとなって定着するはずなんです。平たく言えば、ひとつ釜の飯を食べるということ。毎日のように一緒にいるから、気も合うというもので。



――その場で感動したことを皆さんが編集部に持って帰って雑誌にしているのが伝わってきます。



ありがとうございます。口はばったい言い方をすると、仲間なんだということですよね。もっと言うと、そうやって皆で作っている場が最高だし、いちばん楽しいし、そのために生きている。そこをちゃんとしておいたら、いい成果物ができるはずなんですよ。そこから先の、売れるとか、評価を得るとかはご褒美みたいなもので。そこに至るまでのプロセスでお互いがコミュニケーションをとって、時には言い合うことがあっても、最終的にまとまって楽しんだ結果の雑誌がこれなんです。打ち上げもしよう。次の企画打合せもおいしいもの食べながら考えよう、と。編集長はその「いい循環」を生み出す仕事なんだなと思いますね。



日々の暮らしの情報収集のため、本棚には参考書類がびっしり。

時代をすくい上げるため、本棚には参考資料がジャンル別にびっしり。




――今後の展望は?



その場その場で考えているから、来年の『暮しの手帖』は? と聞かれてもうまく答えられないんですよ。現代はサイクルが短いから、皆がほしいもの、読みたいものは何だろうと考えると、今ここでの空気を感じながらという、その場その場の判断でないと無理なんです。『暮しの手帖』は隔月発行なのがじれったくもあり、同時にありがたくもありますね。そして歴史的に必然的にそうなっているんだと思います。季刊でも月刊でもなく、2か月に一回が、ていねいに検証しながら進めていける、いちばん心地いい適切なペースなのだなと感じています。



――いきものっぽい作りをされているなと思います。街に出て、予想外のものに出会うという最初の話がすべてですね。



そうです。それは僕だけじゃなくて、編集者、社員全員がやることが大事。若くて、いろいろなことを吸収している最中で、僕よりもっと現在進行形、エネルギーのある振幅のある動きをしているはずだから、そこから生まれてくる企画を全面的に信頼しています。あまりにも普通の企画しか出てこなかったら、どうしたの? というつっこみもするし。僕も楽しんでいるけど、皆も楽しんでいるのがわかるので、それが何よりですね。みんな楽しんでいる……と思うんですけどね(笑)。いつもちょっとだけ弱気。


「どの企画についても、このページに至るまでのストーリーをお話できるんですよ。テンションの高いものづくりが出来ていると思います」と澤田さん。取材させて頂いた部屋の壁にも、同じ特集のレイアウトが微妙な違いで何パターンも貼られ、“テンションの高いものづくり”の一端が。何より編集部の皆さんの表情がいい。帰りは編集長と管理部の方が玄関先まで見送りに出て下さった。心地よい一軒家のような編集部。旧知の友人の家を後にするような気分になった。



(インタビュー・文:多賀谷浩子)



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『暮しの手帖』編集長

澤田康彦(さわだ・やすひこ)



上智大学卒業後、マガジンハウスに入社。『BRUTUS』『Tarzan』『Olive』などの雑誌編集や、書籍部編集長を経て、2016年1月25日発売の80号から『暮しの手帖』編集長に。