この原稿は、現地時間の10月8日午後21時45分、オーストラリアはメルボルンのドックランドという地域にあるホテルで書いている。6日の日本vsイラク戦を取材後、翌日の夕方に成田を飛び立ち、バンコク経由で今日の午後2時過ぎにメルボルンへ到着。ホテルにチェックイン後、トラムで30分ほどのところにあるレイクサイド・スタジアムで午後5時30分からの練習を取材して戻り、ホテルの机に向かっている次第だ。

9月のW杯初戦はUAEに逆転負けする“まさか”のスタートとなった。タイには何とか勝って初勝利を奪ったものの、10月の2連戦に招集予定の武藤嘉紀と宇佐美貴史がケガで辞退を最初のトラブルに見舞われる。武藤はともかく、海外移籍したとはいえここ1年はJリーグでも代表でもこれといった目立つパフォーマンスのない宇佐美を、なぜ続けてハリルホジッチ監督が呼んだのが不思議だっただけに、斉藤学の追加招集はうれしい出来事だった。

ところが6日のイラク戦では右サイドバックの酒井宏樹が2枚目のイエローカードでオーストラリア戦が出場停止となる。ブンデスリーガでは反則にならなくても、アジアの笛は違うことをUAE戦のジャッジで学ばなかったのかと思うほど、不要なファウルが目立った。日本にとって痛手ではあるが、試合後はこれで「酒井高徳が右サイドバックに回り、左サイドバックは久々に長友佑都のプレーが見られる」と期待したものだ。

ところが翌7日の練習で長友と槙野智章が激突して長友が負傷。脳震とうという診断からオーストラリアへの遠征メンバーから外れた。予想外の出来事である3度目に不運である。そして7日の国内では室内練習を続けていた岡崎慎司が、オーストラリアに来たものの、練習は最初からフィジカルコーチとマンツーマンでのストレッチに終始してロッカールームに引き上げた。イラク戦の低調なプレーを思い起こすと、単に時差や移動によるコンディション不良だけでなく、肉体的な負担も抱えていたことが予想できる。

結果、武藤、宇佐美に始まり10月のW杯予選は岡崎、長友と短期間に4選手がチームを離脱することになった。時間もないため追加招集はできない。そして迎える相手はアウェイのオーストラリア戦と、今年の大一番だ。思い起こすにザッケローニ時代は選手も伸び盛りか円熟期を迎えていたのとは、あまりにも対照的なハリルホジッチ・ジャパンである。主力選手の直前の離脱に代役も限られているが、ものは考えようだ。この苦境を脱することができれば、チームも自信を取り戻せるかもしれない。

なぜなら、これ以上はない最悪の状況での、アジア最大のライバルであるオーストラリアとの決戦だからだ。どんな結果になるのか、日本が崖っぷちに立たされるという状況は1997年以来と記憶するが、スリリングな状況もW杯予選の醍醐味だと思う。だからこそ11日までの3日間をハラハラドキドキしながら楽しもうではないか。ロシアへの道は一日にしてならず、である。
【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。