ドラフトで1番最後に名前を読み上げられた選手とは、すなわちプロ野球選手になれる人間となれない人間の境目にいる選手。

 そのような選手がどのような野球人生を送ってきたのかを紹介するのが、ライター・村瀬秀信のルポルタージュ「ドラフト最下位指名選手」。本誌『野球太郎』の人気連載企画だ。

 今回は発売中の最新号『野球太郎 No0.20 2016ドラフト直前第特集号』に掲載された「ドラフト最下位指名選手 【2005年(大学生・社会人ドラフト)】 山崎隆広(楽天9巡目)の場合」をダイジェストでお届けしよう。

 2005年、楽天から9巡目に指名を受けた山崎隆広が辿った野球人生とは?

◎居場所を見つけられなかった学生時代

「ハードな野球人生だったと思います」。自分のこれまでの歩みを、山崎はこう振り返った。

 静岡県に生まれ、名門・静岡商業高校に進学した山崎だったが、いたって平凡な投手だったという。プロなどまったく頭になく、大学進学を前に野球をやめようと考えたこともあったそうだ。

 それでも縁あって入った中部大学で心機一転、上を目指そうと決意。しかし大学では、本人と周囲のモチベーションの違いに悩み、退学することに……。

その後はアメリカ行きも考えるが、社会人野球のNTT東海から誘われたことで新たな道に進むことを決める。


◎野球人生の転機を見つけた社会人時代

 山崎はNTT東海に入社したあとに、将来を考えるいくつかのきっかけに出くわす。

 同期の岩瀬仁紀(中日)との出会い。NTT支社チームの統合。初めて出場した都市対抗野球での覚醒と、2000年に行われたシドニー五輪代表候補への躍進。

 これらが重なり、いよいよ山崎はプロ野球選手を意識し始める。

 そして紆余曲折がありながらも、2005年に新球団の楽天から指名の連絡が入る。ただ、このとき、山崎は29歳になっていた。

◎念願のプロ。そして引退後……

「最後のチャンスだと思っています」。ドラフト指名後に、山崎は記者会見でそう発し、1年目から1軍に昇格。初安打を記録した。

 しかし一度も1軍から声がかからなかった4年目に戦力外通告。そのときに返した第一声は、「ありがとうございました」だったという。「燃え尽きることができた」という気持ちが、すべて詰め込まれた一言だ。

 今は楽天イーグルスベースボールスクールで、ジュニアコーチの指導者を務めている山崎。そこでは自身の野球人生を、小中学生に、こう伝えているそうだ。

「技術はそんなに簡単に上達するものではありません。ですが諦めなければ、まれに僕のような出来事も起こります」

 遅咲きのプロ野球選手・山崎のドラマを、本誌でもご覧いただきたい。

(※本稿は『野球太郎No.020』に掲載された「ドラフト最下位指名選手 【2005年(大学生・社会人ドラフト)】 山崎隆広(楽天9巡目)の場合」をリライト、転載したものです)


文=森田真悟(もりた・しんご)