【知識】【観念】という言葉を用いて表面に流れる情報だけでなく、自らの内面に問いかけて根をおろす「自ら律する」ことの喜びを説いてる記事を読みました。タイトルの『「知っている」が学ぶ心を妨げる』は【知識】が【観念】を妨げるという意味だと思いますが、そこで自分の内面に【観念】【力を与えてくれる古典的な言葉】を持つことは大切だと思います。
【知識】【観念】という言葉を用いて表面に流れる情報だけでなく、自らの内面に問いかけて根をおろす「自ら律する」ことの喜びを説いてる記事を読みました。タイトルの『「知っている」が学ぶ心を妨げる』は【知識】が【観念】を妨げるという意味だと思いますが、そこで自分の内面に【観念】【力を与えてくれる古典的な言葉】を持つことは大切だと思います。
「知っている」が学ぶ心を妨げる/村山 昇(INSIGHT NOW!) - goo ニュース
http://news.goo.ne.jp/article/insightnow/bizskills/insightno...[html]
> 私たちは「ああ、それなら知ってるよ」と思ったとたん、それ以降の「考えること」をしなくなります。
> 人生とはよくできているもので、こうした情報狩りに忙しい人も、ハウツー情報狩りに忙しい人も、いつかのタイミングで古典的な言葉に目を向けるときが必ず来ます。
> 誰しも、悩みや惑い、苦しみに陥るときがあるからです。
> 人は何か深みに落ちたときに、断片の知識や要領のいい即効ワザだけでは自分を立て直せないと自覚します。
> そんなとき、自分に力を与えてくれるのが古典的な言葉です。
> 日本人の1人1人が、「知ること」を超えて、「掘り起こすこと」に喜びを見出していくなら、日本はひとつ強くなれると思います。
そこで自分の観念や古典的な言葉について考えると、【観念】といえば、ハンドル名【龍の一族】は、日本列島を【龍】に見立てて、そこに住む【一族】=大和民族という意味で、私は大和民族という観念があります。【言葉】というと昔から「自分の価値は自分で決める」ですが、この言葉は「自分の価値は他人が決める」という社用族・サラリーマン根性への反発心から生まれた言葉です。
しかし昔から同じ事を考える人がいて、勝海舟先生が
> 自分の価値は自分で決めることさ
> 辛くて貧乏でも自分で自分を殺すことだけはしちゃいけねぇよ
> 人はみな、さまざまに長ずるところ、信ずるところを行えばよいのさ
> 行動は俺のもの、批判は他のもの、俺の知ったことじゃない
と述べたそうで、この言葉は奇しくも自分の思いと同じです。勝先生に感謝です。その意味では「自分の価値は自分で決める」が私の古典的な言葉になるでしょうか。
さて皆さんには、各々どんな【観念】【力を与えてくれる古典的な言葉】がありますか?