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「戦後」から「災後」へ、これからの日本の社会の理想像は?

掲載:2012年02月10日 14時48分(最終更新:2012年04月07日 09時13分) コメントの受付は締め切りました by  ニュース畑編集部

ジャンル:社会 キーワード:復興提言

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東日本大震災は、実際の物理的被害もさることながら、多くの人の「考え方」を大きく変えたと言われています。東京都の副知事でもある猪瀬直樹氏は、これからは自己責任の時代がくるとする一方で「自分で自分を助ける「自助」をベースに、個人がともに助け合う「共助」、公的に支援する「公助」という3つの要素を重ね合わせなければいけない。」とも主張しています。

みんなの意見

2012年03月02日 15時34分コメントID:c130145(リンク

  • 5ポイント (2人が評価)

 ご存知のようにこの度の福島第一原発の事故では、政府も東電も「想定外」という言葉で言い訳を繰り返してきています。実体の見えない「安全神話」に上に胡坐をかき、「不測の事態」を想定してこなかったのです。否、むしろ不測の事態を敢えて直視しようとしてこなかったのです。
 同様に、「国土防衛」においても日本政府は長きにわたり「有事」や「紛争」を想定もせず、実体の見えない「平和」の上に胡坐を掻き続けてきました。しかし近年、日本を取り巻く状況は刻一刻と緊張が高まり、さらに悪化の一途を辿っています。北方領土に土足で踏み込んでいるロシアは着々と国後、択捉の軍事要塞化を進め、北方領土から更に南下を目論んでいます。日本の弱腰と足元を見透かした韓国は易々と竹島を実効支配しました。更に軍事大国となった中国が巨大空母を完成させ、やがて沖縄を含む南西諸島へと軍事進攻に踏みこんでくることはもはや誰の目にも明らかでしょう。

 戦後の日本は「国防」という国家の大事をアメリカ軍に丸投げし、自らは経済成長ばかりを追い求めてきました。戦後10年ほどの混乱期であればそれもやむを得えなかったことでしょう。しかし、長らく続いたアメリカ軍依存体制の中でやがて国民の間にも「日本国家」というアイデンティティが薄れ、いつしか国民からは愛国心さえも消え失せていったのです。
 
 戦後65年を経た今、頼りにしているアメリカの国力が急速に衰え、わが国の想定を超えて米中軍事関係が緊密となれば、日本の安全保障は一気に危機に瀕する恐れがあるのです。今こそ日本は「自主防衛の国」へと生まれ変わらなければなりません。わが国の国土はわが国民が血を流して守るべきです。それが本来あるべき独立国家の姿なのです。自分の国を自分で守ろうとしない独立国家など世界のどこにあるでしょうか? 日本は段階的であっても「自主防衛」へと大きく舵を切るべきです。そして新たな防衛産業を興し、迫りくる「有事」や「紛争」に備えるべきなのです。(言うまでもありませんが、武力を備えることと行使とは別の問題です。)

by  加藤 清 男/50代/近畿

2012年02月29日 19時23分コメントID:c130113(リンク

  • 14ポイント (5人が評価)

戦後、長らく日本はアメリカにわが国の「国防」を委ねてきましたが、そうしたアメリカ依存体制は今では様々な綻びが生じています。
今や頼りのアメリカは国力が衰え、代わって軍事大国となった中国が巨大空母を完成させ、沖縄を含めた南西諸島への侵攻を虎視眈眈と窺っています。
日本は今こそ、アメリカ依存から脱却し、本来の「自主防衛」へと段階的にでも移行していくべきです。そして、新たにわが国独自の防衛産業を興していくべきなのです。
「自分の国は自分で守る」という国家としての意思を示さない限り、真の独立はあり得ないし、また「アメリカとの対等な関係」もあり得ません。
他国に国防を委ねておいて、国民の間に正しい「国家観」や愛国心が生まれるはずもないのです。
戦後における最大の被害をもたらした昨年の東日本大震災と続く原発事故は、まさに我が国の「有事」であり、「戦争」といってもいいような状況でありました。
日本は今こそ平和ボケから目覚め、他力本願の国から自力の国へ、「自主防衛の国」へと大きく発想を変えるべき時なのです。
まずは迫り来る中国の脅威に備えて、与那国島から尖閣に至る本土防衛ラインをしっかりと構築することが急務です。
なんとなれば普天間の代替施設の一部(レーダー基地など)は尖閣に設置してもいいのです。

by  山本寛介 男/20代/中部

2012年02月29日 13時02分コメントID:c130091(リンク

  • 3ポイント (1人が評価)

必ず命を失う人間の集まり社会なのに、助け合う強い意思を育てない家庭教育、学校教育をそのままにして
幸福は存在しない。私の友人の視力障害者は、白状1本で行動している時に、「ヘルプゆう」と、声をかけてくるのは、
外国の人が多い。と、語ります。資源の無い日本での生命の持続には、個々から集団で助け合う相互扶助の
行動で、日本は存在してきた。生活水準の中級を素直に受け入れて資源を使ってきた過去の日本に戻ることを恐れずに
社会組織の再構築を図るべきである。 集団社会の絶対数の減少対策を国家は、個人は深く考えずにいて
集団即ち国家が、家庭が滅亡にいたると、嘆くのはおろかです。国家ありてこそ、個人の尊厳が確立します。世界一の教育国であった日本を、助け合いの優れた日本人よまだ遅くない、個人の存在は、父母祖先が在っての事を思うと同時に、一人で社会が成り立たぬ厳しい現実を見つめ、”物より心””他を利する事が自分に幸福をもたらす”社会実現を個人がすべき今である。
必ず 死に至る生命体人間は、死の意味を父母の死から学び、子供に伝えているか?世界各地の紛争地域の多さに
日本人は、目をむけ国家の存在を理解せよ。自然災害は、必ず起こりうる。 人間は必ず死を迎え世代交代をする。
世代交代の場を家庭で行う尊厳に労を惜しむな。我が父は、死を感じて自ら自然死(絶食した。)
民族の絶対数の確保は、女性の意識改革しかない。今のままでは、一人で死を迎える現実を女性が望んでいるとしか
思えない、相互扶助の原点である家庭の構築は、親兄弟姉妹の生活が一家でなさるべきである。
個人の尊重を別々に住んでいては、実感しない。子孫を残す事は、自分の存在を子孫受け継ぐ事でもある。
絶対数が足りないから、税を基本にしている社会サービスをも行えなくしている。
絶対数の増加は資源確保を如何にと論ずる事も厭わず、生活の水準を考えれば解決する。

by  微進行性がんの男 男/70代以上/中部

2012年02月27日 11時18分コメントID:c130067(リンク

  • 15ポイント (5人が評価)

自己責任について
詳細については
| >>続きは復興ニッポンへ
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20111226/294841/?P=...[html]
で下記のごとく書かれてある。

> 同時に、災後社会は自己責任の時代ということでもある。それは個人がすべてを負うのではなく、日本列島で災害を生き抜いてきた記憶を持つ一員として責任を分担するという意味だ。

>  震災後には、人々のあいだで「国難」という言葉が自然に出てきた。災害を生き抜く日本人の共通の記憶が呼び起こされたからだろう。孤立した個人ではなく、共通の基盤、認識のうえに立つ個人として戦っていく、災後型の自己責任社会が求められている。

ここで見ていたら人によっては、自己責任の役割分担や範囲についてとらえ方が違う。

それは、自助・共助・公助というものに影響が及ぼすと思う。

代表的なのは
イラク日本人人質事件 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%AF%E6%...[html]

こんなのも
「上から目線」の自己責任論が、自分を責め抜き疲れ切っている弱者を黙らせさらに痛めつける|すくらむ
http://ameblo.jp/kokkoippan/entry-10324546631.html

はたまたこんなのも
JR福知山線脱線事故に関して
天海大地の世相に喝!: JR福知山線脱線事故マンション住人の自己責任
http://pub.ne.jp/tenkaidaichi/?entry_id=2823260
> 線路のカーブにある物件を選んだのは住人の自己責任であり、慰謝料は別に支払われているのだから購入金額を越える物件代金を要求するのは筋違いである。
>  最近はこの手の、何でも自己の責任を他人に転嫁する輩が非常に多い。

 同じ問題でも
責任 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%AC%E4%BB%BB
> 列車が衝突したマンションの住民に対して自己責任論を唱える人物もいる。マンションは線路のカーブから近接した場所にあり、最悪の事態も想定できたであろうから、損害の一部は住民が自己責任として負担すべきという。

この特集の根本ともなる問題。
再度、問うが自己責任の範囲が曖昧となれば、自助・共助・公助ましてや以降のそれぞれのトピに波及するのは明らかだ。
自己責任とは?

by  唯我独尊

2012年02月20日 16時03分コメントID:c129965(リンク

  • 17ポイント (6人が評価)

理想像を云々する前に、理解しておくべきことがあります。
それは、光が当たる向こう側には必ず影が出来るように、すべての事柄には対極となる二面性があるということです。
つまり、一切の影が無く光で満ち溢れた社会は存在しえないということです。大切なのは、光と影のバランスです。強い陽射しは濃い影を生み、薄曇りならば影もそれなりに薄くなる。
また、晴天ばかりでは人の営みはおろか自然の営みは成り立ちません。曇りや雨の日も必要です。これは当たり前のことではありますが、えてして人は当たり前である「自然の理」を忘れてしまいがちです。

晴天が続くことを理想と勘違いしている感が無きにしも非ず、ではないでしょうか。そうであるなら、到底たどり着けない空虚な世界を追い求めることになってしまいます。

この度の東日本大震災で、我々人間は自然の前で如何に無力であるかを思い知らされました。震災から学ぶべきことは多々ありますが、最も重要なのは自然に対する畏敬の念ではないでしょうか。
自然との共存と言えば聞こえは良いですが、根底に自然をコントロールできるかのような錯覚があったのでは?原発事故の在り様がそれを物語っているようにも思えます。

現代のように科学的知識に乏しかった時代、人は自然に対してもっと謙虚だった。そして、自然の恵みに感謝し自然の力に対して畏怖し、決して逆らおうとはしませんでした。
それは、単に人間が無知だったからでしょうか?
現代人より、はるかに多くのそして奥深い生活の知恵を持っていたのでは?少なくとも現代人より、豊かさの本質を理解していたのではないでしょうか。

人間も他の動植物と同じように、自然のサイクルに組み込まれた存在でしかない。その大原則に立ち返った発想でこれからの社会がどうあるべきかを考えなければならない。

利便性や物質的な豊かさを追い求めてきた結果、社会は多くの捩じれや矛盾を多く生み出してきました。今の豊かさや利便性を享受する生活が当たり前と言う前提では道は開けません。
社会の影を薄く少なくしたければ、光を弱めたり角度を調節するといった工夫をする必要があります。
人は誰もが自分さえ良ければ、という思いを心の何処かに持っているものです。しかし、その思いが影を生んでいる事に目を向けようとしない。
自分に降り注ぐ陽射しはそのままにして、影をなくすことなど出来ません。影を薄く少なくするには、それなりの我慢や犠牲、奉仕が必要です。

光と影、善と悪、優しさと厳しさなど、それぞれ対極にある要素が片方だけでは成り立たないのが自然の理です。複雑になった社会で、対極にある要素のバランスを上手く調整する智慧が求められているのです。

by  十種塾 男/50代/中国

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