みんなの意見
2012年02月22日 19時25分コメントID:c129997(リンク)
個人の中で『知っている事』と『知らない事』を、自らが進んで明確にするという学習が必要で、学校の授業時間、総合学習という時間があるのかどうか知りませんが、そういう時間で子供たちには徹底的に学習してもらい、それを受ける形で、大人も含んで地域全体で、コミュニケーションを取りながら、お互いに教え合う生涯学習の形で進めるべきだと思います。
実際津波や地震が起こり得ることや過去の津波の到達点が石碑として立っていることを知っていても、起こりうる地震津波の規模は予測できないものであるという「知と不知」の色分けを明確にしていない場合が殆どだと思います。
学校の先生にしても児童の家周辺や位置を知っていても、その周りの環境をよく知っているわけでは有りません。
視線や視野など大人と子供ではその範囲や注目する対象が異なるように、子供の避難可能経路と大人の避難可能経路などは違う部分も有るでしょう。
『自学自習』という言葉は『自主勉強』などという言葉に変わって、自分の不知を恥ずかしいことだという意識を大人が植え込んで、個人の中で、明確に整理できない雰囲気を学校全体や社会全体が持っている気がします。、
『自分の知っていることと知らない事』を自分の中で整理し、周りの環境を自分なりに理解して、災害に対して、自らが判断して、率先避難者になるという事を教えるべきではないでしょうか?
そういう過程を経ることで、他者への理解も可能になり、共に助け合う可能性も生まれるのでしょう。
そういう判断が可能なような場所や時間を公的な経費を使って確保するべきではないでしょうか?
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ワンパターン
2012年02月22日 10時24分コメントID:c129988(リンク)
これは「個人主義」教育が確りと根付いた結果であり、「津波てんでんこ」が広く流布されたからだろう。
生きるとは常に「一人一人」の個々の戦いであり、たとえ一卵性双生児でも全く同じ状況であるわけが無い。
だから「自主独立・自由意志」の元、一人一人が自ら判断する「個人主義」教育が非常に大事だ。
日本には福沢諭吉の書いた「学問のすゝめ」があるが、これなどは「個人主義」教育本として大変良いので必読スベキだろう。
そもそも他人に自分の心など絶対に判らないし、他者への共感はあっても他人は自分とは同一では無いのだから、他人である相手に対し、何もかも依存する事が如何に間違いであるかは明白だ。
だから人を愛すれば「たとえ愛されなくても良い」のであり、全ての自分の行動に対するあらゆる反応が、運・不運も含めて自分で出来る範囲は率先して行動して、可能な限りは対応しなければ、自ら生きているとは言えない。
もちろん自分が苦労すれば「他者への共感」が育ち、他人が困っていると感じたら声を掛けるなど自然に出来るようになる。
これが「個人主義」であり「自由」の意味なのだ。
だから他者への甘えを自ら絶ち自ら苦労するからこそ、他者への労わりの気持ちが生まれる。
だから「情けは人の為ならず 巡り巡って己が為(諺)」となるのであり、自主独立心が成るからこそ「自分の価値は自分で決めることさ。つらくて貧乏でも自分で自分を殺すことだけはしちゃいけねぇよ。(勝海舟)」となるのだ。
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ryunoitizoku
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2012年02月21日 11時35分コメントID:c129978(リンク)
2012年02月21日 11時16分コメントID:c129973(リンク)
上記の釣りに出かけていた子供の親です。
恥ずかしながら子供が心配で、大津波警報の中海沿いを歩き探し回りました。今考えると大変危険な行為です。
私は『津浪てんでんこ』(津波が来たら、てんでばらばらに逃げる事)と言う言葉を津波以降に知りました。
後から聞くと『津浪てんでんこ』と言う言葉を、子供の自分がわかってるのに親が知らないはずがないと思っていたようです。
この点では我が家は落第点です。
防災意識は、親から子へではなく子から親へが重要かと思います。
親は自分の命より子供の命が大事です。
子供が逃げているという確信は、親の命も救うことになります。
無責任な言い方かもしれませんが、子供が率先者・指導者であるべきだと思います。
大人はへそまがりです(笑)
子供への防災教育は、学校などで一律してやることにより地域全体の防災教育の定着に繋がるかと思います。
例えば親子在宅中に災害が起きたとして、親は家にとどまる事を選択したとしても、
子供が自ら避難すれば親は仕方なくでも子供について行きますから。
by
いきいき生きる 男/40代/東北




