「茶の心をパリで伝えたい」 フランスで初の茶懐石店をオープンし、ミシュラン一つ星を獲得 茶懐石に目覚めたきっかけ

 石造りの建物が並ぶフランス・パリの街で、ひときわ異彩を放つ木の外観。2023年1月にオープンした「茶懐石 秋吉」です。オーナーシェフは、京都・南禅寺の「瓢亭」別館で料理長を務め、その後パリでOECD(経済協力開発機構)の公邸料理人として働いた経験のある秋吉雄一朗さん。パリで仕事をするうちに「この地で自分の店を持ちたい」という思いが募り、フランス初の茶懐石料理店をオープンすると、ほどなくミシュランの一つ星を獲得しました。日本の文化「茶懐石」を伝えるべく、日々奮闘する秋吉さんのインタビューをお届けします。1回目は、「茶懐石」との出合いを伺いました。

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「茶の心をパリで伝えたい」との思いを込めた店内

 ひょうたんがかたどられた引手で木戸を開けると、パリの喧騒は遠のき、静寂が訪れました。ユネスコ近くにある、パリ15区の約50平米の空間。出迎えてくれるのは、広々としたスギのカウンターテーブルです。また、個室のように設えられたスペースのテーブルには、一枚板のトチノキを用いています。

 伝統工芸「鹿田室礼」のすだれ、漆喰の壁、栗の木の床板。釘を一本も使っていないこの空間は、佐賀の職人が日本で組み立てたあと、パーツをばらしてパリに運び、再度パリで組み立て直したという数寄屋造り。板場の上には伊勢神宮の神棚もあり、和の厳かな雰囲気が漂います。

「茶の心をパリで伝えたい」――秋吉さんの情熱が詰まった店内で振る舞われるのは、本格的な茶懐石です。茶懐石は、茶の湯の席で出される食事として、日本で古くから親しまれてきた懐石料理。季節ごとの素材本来の味わいを生かした料理におもてなしの心も添える、日本の伝統的な食文化のひとつです。

父は料理人 高校時代、友人に料理を喜ばれたのがきっかけ

 秋吉さんは、1984年、福岡県飯塚市生まれ。父親が老舗料亭「茶寮このみ」の料理長だったこともあり、幼少の頃から料理が身近な環境で育ちました。しかし「将来は料理人になる」という思いは、それほど強くなかったといいます。

 料理人への進路を決めたのは、高校生のとき。中華料理店でアルバイトを始めた秋吉さんが、友人に料理を振る舞ったところ喜ばれた経験が大きなきっかけでした。その頃、父親の縁で、京都にある懐石料理の名店「瓢亭(ひょうてい)」の存在を知ります。創業400年余り。その歴史に触れるほど、衝撃を受けたそうです。高校卒業後、専門学校には行かず、すぐに瓢亭の門を叩きました。

高校卒業後、京都の懐石料理の名店「瓢亭」で修業

 そんな由緒ある料亭で、経験ゼロの10代から修業を始めた秋吉さん。鍋磨きや運転手などから始め、ごはん炊きと器の洗い物が最初の担当でした。「若い世代の人たちが切磋琢磨する場で、みんながライバルといった環境でした。もちろん悩んだこともありましたよ」と振り返ります。

「瓢亭」では毎月1〜2回、茶道の稽古があり、「一期一会」の心で料理を作る精神を「千利休の侘び茶」から習得したそうです。茶懐石は、派手なことはせず、シンプルなものを質素に出す侘び寂びの世界。茶懐石の基礎を学んでいきました。

 修業中は同世代の切磋琢磨に加え、14代目の高橋英一さん(※高ははしごだか)から学んだことや、老舗の名店だからこそできた経験も大きかったといいます。

「高橋さんからは、料理人としての精神だけではなく、茶道の基本、お花、技術だけでなく、茶道や華道、設えなど多くを学びました。出張仕事が多く、お寺、富裕層の個人宅での茶会やお茶屋さんに出入りする機会が多々ありました。華やかな世界のバックステージを覗いたり、政財界の著名な方とも会話をしたりする機会もあり、刺激的な毎日でした」

熱心な学び 6年目の20代で別館の料理長に

 さまざまな経験をしていくなかで、秋吉さんは、フランス料理の魅力に気づきます。リヨン料理を食べるために、国内のビストロへ通っていたそうです。いろいろな味を知って、「瓢亭」とは別のベクトルで料理を考えることで「『瓢亭』らしさ」とは何かを理解していくことも大切な要素だったといいます。

 ワインの勉強も開始。店で初のソムリエとなり、ワインセレクトを任されるように。後輩を育成、指導する立場になり、6年目には別館の料理長になりました。「たまたま先輩が卒業するタイミングでラッキーだっただけ」と、さらりと笑う秋吉さんですが、20代で老舗料亭のトップに就いた裏には、地道な努力と学びがあったからなのでしょう。

 次回は、どのようにしてパリのOECD公邸料理人の道が開けたかを語っていただきます。

Miki D'Angelo Yamashita

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