19日、第1試合で滋賀短大付(滋賀)と対戦するのが敦賀気比(福井)だ。チームを率いる東哲平監督は2011年に就任。15年春にセンバツ初優勝、21年春から5季連続で甲子園出場の実績もある。しかし、23年夏の県大会準々決勝で敗れた直後、退任表明。学校側の慰留もあり、続投となったが、何があったのか。
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──退任表明の前までは春夏5季連続で甲子園出場。なぜ、一回、甲子園に行けなかっただけで……と思っている高校野球ファンは少なくない。
「あの代の子たちは夏の甲子園優勝を狙っていたチームだったんですが、部員に新型コロナの感染者が大量に出てしまった。その時に僕ら指導者の対応が悪かったこともあり、ベストの状態で県大会に臨ませてやれなかったんです。そうした反省に加えて、もともと僕は監督になってからは『10年で一区切りをつけよう』と思っていた。その2つが重なって、退任の申し出となりました」
──当時は監督就任13年目。県大会の結果に限らず、どこかで区切りをつけようという気持ちはあったと。
「それはありましたよ」
──突然の退任表明に部員や学校サイドも驚いたのでは。
「そうなんですかね? そこはよくわからないです」
──部員から慰留の声などは。
「そこもわからないですね。少なくとも、僕は全然、聞いてないです」
──学校からは、どのような形で慰留されましたか?
「どんなというか……とにかく『続けてほしい』とは何度も言われました。でも、僕も辞めるつもりでしたから」
──学校側とはどんな話を?
「例えば、これからの野球部のこと。『次の監督になる人が、やりやすい形でお願いします』などと話しました。引き継ぎの下準備? それはしていません。後任が誰かは僕ではなく、学校が決めることですから」
──それでも最終的には退任を撤回。決め手となったのは?
「まあ……僕もいろいろな人に相談をしましたし、学校とも話し合いを重ねました。その上で野球部の今後についても意見を交わし、自分の中で納得したので『もう一回、監督をやってもいいかな』と思えたので」
──退任表明から続投まで約2週間。その間に、他校から勧誘の声などはあったのですか?
「ないことはなかった、ですね。でも、他の学校で指導をしようという気持ちはさらさらありませんでしたから。その時は『10年一区切り』ということを考えていましたからね」
──退任表明の前と後で、指導法で変えた部分などはありますか?
「それはありません。とにかく今は、甲子園に出て全国制覇を狙えるチームをつくることだけしか考えていないので」
──ちなみに、続投した後に待遇が変わったりしたのですか?
「待遇?」
──例えば給料とか……。
「変わってないです。そういう話は一切、学校とはしていないので」
(聞き手=阿川大/日刊ゲンダイ)