【2025年春のセンバツ 監督突撃インタビュー】
岡田龍生監督(東洋大姫路/63歳)
24日の2回戦で広島商に敗れたものの、20日に壱岐を破り、2011年以来の甲子園で初戦突破した東洋大姫路。22年3月まで履正社(大阪)を指揮して全国制覇も経験。就任後、初めて母校を甲子園に導いた岡田監督に話を聞いた。
◇ ◇ ◇
──就任の経緯を教えてください。
「本当は、戻ってくる予定はなかったんですよ(笑)。履正社は60歳の定年で辞めましたが、本当は65歳までの再任用で(履正社に)残ろうと思っていた。ただ、監督業自体は、もっと早く現在の多田監督に譲る予定だった。彼も僕の下で16年間、コーチをしていましたからね。それが19年夏に優勝したから延びてしまった」
──それ以前に母校の東洋大姫路から誘いはなかったんですか?
「全然なかったです。ウチは東洋大姫路から東洋大に進学した人しか監督になっていませんから(岡田監督は日体大)。僕自身も戻ってくる気はなかったのですが、やはり熱意というか、僕もここでお世話になりましたからね」
──東洋大姫路から監督の打診があったのはいつですか?
「履正社を辞める少し前くらいですね。その時に前任の藤田監督(現明星大監督)が65歳で退任。実際にどういう経緯で僕に話が来たのかはわかりませんが……」
──就任の決め手になったのは?
「最初はまあ、どうしようか……と考えましたよ。でも、熱意もありましたし、『そこまで言ってくれるなら』と揺れました。僕の高校時代の恩師で、すでに亡くなった当時の監督や副部長がもし生きていて『おまえやれ』なんて言われたら嫌とは言えないよなあ……なんて思いながら決断しました」
──近年、東洋大姫路は低迷。母校として気にはなっていましたか?
「年に1回、練習試合をしていましたからね。苦しんでいるな、とは思っていましたが、僕も自分のチームのことで手いっぱいでしたから……」
──就任当初、履正社とのレベル差は大きかった?
「まず、入部する子の考え方が違う。履正社に『野球は高校で引退します』という子はいませんでしたが、逆にここでは『卒業後も次のステージで続けます』という子がほとんどいなかった」
──就任後は何を重点的に教えましたか?
「まずは体づくりですね。技術よりも、食事やトレーニングの改善、強化に努めました」
──履正社時代は各家庭と協力しながら食事教育をし、体格が立派な選手も多かった。
「東洋大姫路は寮があって、管理栄養士もいるので、寮がない履正社よりもやりやすさはあります。ただ、全員が寮生ではありませんからね。履正社時代も、最初から体格のいい子ばかりを集めたわけじゃない。入学して、食事とトレーニングで体を大きくしていった。なにせ、同じ大阪府内に大阪桐蔭があるので、彼らに勝つためにはどうすべきかと考え、十数年前から取り組みました。東洋大姫路も最初は小さくて細い子ばかりでしたが、今はだいぶ、履正社と変わらないくらいの体格の子が増えた」
──選手集めも監督自らやっているのですか?
「そうですね。その時には食事指導も説明します。ウチの寮はパンが出ないので、『朝からお米を食べられる子じゃないと、来ても大変ですよ』と。こうしたことは最初に僕の口から、きちんと説明しておかないとダメ。後になって『聞いていません』ではお互いに困りますから」
(聞き手=阿川大/日刊ゲンダイ)