【阪神伝説の打点王・今岡真訪 感性のチカラ】#21
「このままではユニホームを脱げない。もう一度、自分の気持ちをスカッとさせたい。一歩踏み出すことが今の自分にとっていいこと。球団からの引退試合の打診? ありがたい話ですけど、現役にこだわらせていただきますと。トライアウト? 当然行きます。決まるまで最大限の努力はします」
2009年10月10日、球団からの「盛大な引退試合」の提案を丁重に断り、僕は退団会見でこう答えた。
さかのぼること3年前、06年にはこんなことがあった。
右手に死球を受けて二軍でリハビリをしていたところ、新たにその右手尺骨の骨挫傷が全治1カ月以上と診断された。
これを機に05年途中から悪化していた持病である中指の「バネ指(指の腱鞘炎の一種)」の手術を行うことにした。
両手の中指の関節にロックがかかり、送球ができなくなる。しかも、いつ症状が出るか分からないというくせもので、打撃より守備に影響が出ていた。手術は送球を行う右手中指の腱鞘を削るものだった。
バネ指の手術から復帰した07年は、開幕から「5番・三塁」として出場したものの、一向に打撃の調子は上向かない。僕は長距離打者ではなく、アベレージヒッターだけに、本塁打や打点が求められる5番は向いていなかった。
それでも周囲には05年に147打点を叩き出したイメージがあるのだろう。僕自身も05年の幻影を追っていた。当然結果も出ず、07年7月末から2カ月間ほど二軍落ちを経験した。阪神でレギュラーに定着した02年以降、ケガ以外の理由では初めてのことだった。
打てないのだから、レギュラーから外されるのは当然だが、会見で「自分の気持ちをスカッとさせたい」と言ったのは、不完全燃焼が続いていたからだ。
10月に入り自由契約となったが、他球団からのオファーはなかった。僕がトライアウトを受けると言うと、周囲から猛反発を食らった。
「ホンマにそんなもん受けるのか?」
「今岡にはプライドがないんか?」
阪神は僕を育ててくれた球団。愛着以上の気持ちがある。それでも、野球を続けたい気持ちが勝った。オリックスの指揮官に就任したばかりの岡田彰布監督も「なんで今岡をさらしもんにするんや」と心配してくれた。
会見から1カ月後の11月11日、トライアウトの会場は、本拠地・甲子園球場である。
(今岡真訪/元プロ野球選手)