【プロキャディー25年 梅ちゃんのツアー漫遊記】#25
藤田寛之さんが2011年に初めて出場したマスターズ。初日、2アンダー14位と最高のスタートを切りましたが、オーガスタの魔女は2日連続でほほ笑んではくれませんでした。フローリング上でのパット練習も奏功せず、2日目はカップに届かないことが何度もありました。普段、ショートすることなどほとんどないのに手がスムーズに動かない。5ボギー1ダブルボギーの79と大きく崩れ、通算5オーバーの75位で予選落ちでした。
「(高速グリーンへの)恐怖でパットが打てなくなった……」
藤田さんのそんな言葉を聞いたのは、後にも先にもこの時だけ。その後、イップスにならずに本当によかった。
05年全英、08年全米プロ、10年全米オープンは、初出場でもすべて予選を通過したのに、4大メジャーでマスターズだけは、厚い壁に阻まれました。ロングアイアンで限られたエリアにボールを止めなければならないオーガスタは、藤田さん向きではないと思いました。
ちなみに、この大会に日本のアマチュアとして初めて出場した松山英樹君(当時・東北福祉大)は、通算1アンダー27位でローアマを獲得。その10年後にグリーンジャケットを着たのですから、やはり怪物です。
12年、藤田さんは43歳で年間4勝を挙げ、初の賞金王になり、年末の世界ランク43位でマスターズから2度目の招待状が届きました。ところが、2月のハワイ合宿で右脇腹を痛め、診察を受けると肋骨を疲労骨折していたのです。予定していたこの年初戦のWGCアクセンチュア・マッチプレー選手権は痛み止めの薬を飲んで出場するも1回戦負け。次戦のキャデラック選手権を欠場し、マスターズに備えましたが、思うような調整ができずに現地に入りました。
この時も石川遼君と練習ラウンドをこなすなどお世話になりましたが、100%の状態でも予選通過が厳しいコースです。準備不足では通用するはずもなく、通算20オーバーで決勝へ進めませんでした。藤田さんはオーガスタの魔女に嫌われていたのかもしれません。
結局、この年はシーズン前の故障で出はなをくじかれ、4大メジャーすべてに予選落ち。国内ツアーでも調子は上がらずに予選落ち7度、08年から続いていた年間1勝以上も途切れました。2度目のマスターズで雪辱を果たすため、年初からトレーニングなど無理をしていたのかもしれません。
(梅原敦/プロキャディー)