偏差値71を誇る桐朋高(東京都国立市)の森井翔太郎は今秋、高卒でのメジャー挑戦を表明した。都内でも有数の進学校のため、平日は18時に完全下校。限られた練習時間の中で自らを高め、投げては153キロ、打っては通算45本塁打と、二刀流で多くの注目を集めた。
大谷へのコメントは…海の向こうでは、今季からドジャースに移籍した大谷翔平が、前人未到の54本塁打59盗塁を達成し、2年連続3回目、DHとしては史上初となるMVPを獲得した。来季からは投手復帰も予想される二刀流の大先輩に、森井は何を思うのか。
「憧れとかではなく、自分なんかではちょっと語れないです(笑)。同じ人間ではないというか……。ちょっと分からないですね」
ただ、森井の怪物伝説も、本家に負けず劣らず、枚挙にいとまがない。今春に行われた、甲子園出場校を含む約200校が参加した運動具メーカー主催の体力測定では、3キロほどあるメディシンボールの背面投げで20メートルをマーク。肩関節の柔らかさとともに全国2位だった。ヨガインストラクターの母・純子さんから教わったヨガは、体幹強化や柔軟性アップの面で役立った。
「背筋やジャンプ力は自分の体の特徴かなと思います。肩関節も特筆するほど柔らかい訳ではないですが、元々柔らかい方だったと思います」
驚異的な飛距離背筋力は、投手の球速や打者の飛距離に直結する。桐朋高の専用グラウンドは、本塁から右翼まで87.5メートル。高さ10メートルほどの防球ネットを越えれば本塁打となる。その後方には、防球ネットの倍以上あるヒマラヤスギやイチョウの木が、フェンウェイ・パークの「グリーンモンスター」のようにそびえ立つ。ただ、森井は、防球ネットはおろか、この木々すらも軽々越え、その奥にあるプールに「スプラッシュ・ヒット」させるのは日常茶飯事。時にはプールすら越えていくこともあるという。
指導歴30年を超える田中隆文監督も「過去に木の間からプールまで飛ばした子はいましたが、木の上を越えてプールを越えていったのは森井が初めてではないでしょうか」と、推定130メートルほどの飛距離に驚きを隠せない。
低反発バットも関係なかった高校野球では今春から低反発バットが導入され、対応に苦慮する選手が多く見られたが、森井にとっては「(それまで使用していたバットと)全然変わらなかったです」と、どこ吹く風だ。
今春の広島遠征、広島商との練習試合では、同校グラウンドの右翼後方にある4階建て校舎を越える特大本塁打を放った。柳田悠岐(ソフトバンク)ら、数々の名選手を輩出している伝統校でも、そこまで飛ばすことは稀有で、視察したプロスカウトや関係者がざわついたという。
練習参加した青学大でも、本塁から95メートルある右翼後方にある防球ネットを越してみせた。今季、西川史礁外野手(ロッテドラフト1位)や佐々木泰内野手(広島ドラフト1位)らを擁し、大学4冠を達成した東都の雄に、強烈なインパクトを残した。
「森井先輩は化け物です」新チームから主将を務める八嶋道人(るうと)内野手(2年)は、1学年上の先輩を「化け物です」と評する。
「あの広島商の本塁打が、森井先輩がこれまで打った中で一番飛んだのではないでしょうか。帰りにバスに乗ろうと思ったら、校舎の後ろの駐車場にボールが落ちていたので、『えっ?』という感じで、本当にビックリしました。学校でも、文系で私立大や芸術の方に行く人は数学をあまり選択しないのですが、先輩はプロ志望で大学に行かないにもかかわらず、数学をきっちりと選択して勉強しており、凄く尊敬しています」
高校入学時の178センチ、76キロから、3年時は183センチ、86キロまで成長。ウエイトトレーニングを一切行わず、自重のみで鍛え上げたしなやかな肉体から、投げては最速153キロまで到達し、強肩と華麗なグラブさばきを生かした遊撃守備の評価も高い。自分で課題を見つけて取り組むチームカラーがマッチし、プロやメジャーが注目する選手となった。
最後の大会は初戦敗退ただ、一人で勝てるほど野球は甘くない。3年夏、都富士森との西東京大会初戦、日米14球団42人のスカウト・編成関係者が詰めかける中、「3番遊撃」で出場も、初回から先発投手が5点を奪われ、急遽リリーフ登板。最速147キロをマークするなど、4回2/3を1失点と粘りの投球を見せるが、打席では3打数無安打と結果を残せなかった。結局2対9で7回コールド負け。甲子園はほど遠く、短い高校野球生活は幕を閉じた。
「中学から6年間やってきた仲間たちと長く野球をやりたいと思っていましたけど、球場に入った時の観客の多さであったり、ちょっと異様な雰囲気を感じて、出だしがよくなくて……。最後の大会は悔しさしかないです」
注目の進路は、この時点で「日本のプロ野球」「米国の大学進学」の2択だったという。
「メジャーのことは自分もよく分かっていませんでした。まずはマイナー契約からで、最下位に位置づけられるルーキーリーグから始まるのですが、正直言って情報不足でした。その時点では、メジャーのことはちょっと考えられないかなと思っていました」
渡米して見えたビジョンただ、9月上旬に家族で渡米し、メジャー、1Aの試合を自らの目で見たことで、状況が一変した。メジャーリーガーになるという最終目標を再確認し、そのためにはマイナーから這い上がっていくことが一番の近道だという思いに至った。
「試合を見ながら、米国の生活がどういう風になっていくのかなとイメージして、『ここでやっていくんだ』という明確なビジョンができました。自分は結構適当というか、そこまでカッチリしているタイプではないので、米国のフランクな感じがあっている部分はあるのかなと思いました」
6日間の視察から帰国後、正式に米球界挑戦を表明した。MLB球団と接触する場合も、プロ志望届の提出が必要で、森井も渡米前に提出済み。ただ、花巻東時代に米球界入りを希望した大谷翔平を日本ハムが強行指名したように、NPB球団は本人の意思に関わらず、ドラフトで名前を挙げることができる。
そこで、田中監督は、森井本人や家族、学校長らの署名を入れ、NPB12球団に指名回避の要望書を送付。米国行きの夢を後押しした。
たとえ1位指名でも「日本の球団には、1位指名されても行きませんとお伝えしました。どこかの球団が指名するんじゃないかというのはギリギリまでありましたが、最後は森井本人の意思を尊重してくれました」
ドラフトでは、最後まで森井の名が呼ばれることはなかった。当日は試験期間中で、テレビを観ることはなく、勉強に没頭していたという。「みんな受験モードで、自分の成績は最近落ちてきている」というが、それまでは学年で中位をキープしており、難関私大も十分狙えるレベルにあった。
「スカウトの方とも何回も話をして、自分の中で揺るがない意思を伝えてきました。なので、指名されることへの不安とかはあまりなかったですね」
交渉も自分たちで今は来年1月中旬頃の本契約に向け、球団の絞り込み作業も最終段階に入っている。当面は代理人を立てず、田中監督と母・純子さんが窓口となり、交渉を進めているというのも珍しいケースだ。契約後に渡米してキャンプに合流。卒業式で一時帰国した後、再渡米して本格的にメジャー挑戦の戦いが始まる。
「まずは二刀流をやりたいという思いが強くて、それで活躍できたらいいですけど、向き不向きもあると思います。例えば投手がメジャーレベルで、打者がそうではなかったら、自分は投手でメジャーに行くことを選びます。マイナーでもいいから二刀流を続けるということはないですね」
「自分は普通のことをするだけ」NPB球団を経ずにメジャーまで辿り着いた日本人選手は、マック鈴木、多田野数人、田澤純一の投手3人のみ。ましてやルーキーリーグからの挑戦は茨の道のりだ。
「逆に、マイナーを経験しないでメジャーに昇格することが異例で、自分は向こうでは普通のことをするだけだと思っています。もちろん、厳しい環境になるというのは重々承知しているので、自分のできることを最大限やっていきたいなと思っています」
米国で幼い頃からの夢を叶えるべく、森井は覚悟を持って海を渡る。
文=内田勝治
photograph by Takashi Shimizu