頂点に立った喜びはもう過去のことだ。2025年シーズン開幕を前に、横浜DeNAベイスターズの筒香嘉智外野手は静かに牙を研いでいる。
「その喜びは記憶にも思い出にも残っていますけどね。ただ、今の日常とそれが繋がるかと言えば、繋がってはいないです。新しい挑戦というか、今自分のやるべきことがありますから」
激動の1年だった。昨年4月、米球界から5年ぶりにDeNAに復帰。夏場に左肋骨の疲労骨折で離脱したこともあって打撃成績(57試合、打率.188、7本塁打)は不完全燃焼に終わったが、リーグ3位からポストシーズンを勝ち抜いて迎えた日本シリーズでは抜群の勝負強さを見せつけた。
「野球はやりやすいですよ、日本は。何より環境が海外と違うので、野球のやりやすさというのは戻ってきて改めて感じました。ただ、去年は全然貢献できなかったですから。もう一回ここでしっかり自分を立て直して、新たな『背番号25』をファンの方に見ていただけたらな、と思っています」
野球界は変わらなければいけない筒香にとって第一義は、プレイヤーとして持てる力を尽くし、チームのために結果を残すことだ。しかし一方で野球界、とりわけ育成年代の環境について問題意識を持ち、自身の信念を発信してきた。
2018年11月に出版した自著『空に向かってかっ飛ばせ! 未来のアスリートたちへ』(文藝春秋刊)では、自身の野球人生を振り返りながら、甲子園で勝つことを究極の目標にした「勝利至上主義」が及ぼす弊害を問題提起。野球界は変わらなければいけない、と訴えて自ら具体的な提言を行っている。
出版後、筒香はさらに豊かな野球経験を積んだ。2019年オフにはポスティングシステムを利用してMLBに移籍。レイズを足がかりに、ドジャースやパイレーツでプレーするとともに、マイナーリーグや独立リーグなど様々な環境で挑戦を続けた。「かけがえのない財産になった」と振り返るアメリカ生活では、子どもたちから高校生、大学生まで、育成年代の現場を見る機会もあったという。
「多くの日本人は、アメリカの野球って自由に楽しくやっているというイメージを持っていると思うんです。でも実際には規律がしっかりしていて、球場では監督と選手はきっちりと線引きされている。グラウンドを離れればフラットな関係に戻るんですけど、野球に関してはかなり厳しいと感じました」
もちろん「厳しさ」とは理不尽な叱責や、絶対的な上下関係を意味するものではない。
「高校、大学の野球を見る機会もありましたが、例えば指導者に対して選手の返事ひとつにしてもしっかりしている。集合時間に遅れたり、グラウンドで個々が好き勝手するようなこともなく、きびきび動いているなという印象を受けました。小学生の子はもちろん楽しく野球をやっていますが、それでも規律はきちんとしていると感じましたね」
アメリカ生活を経て感じた“ギャップ”一方で、甲子園に象徴されるトーナメント戦が重視される日本とは違って、アメリカの多様な試合のあり方は印象に残ったという。
「基本的にはリーグ戦がほとんどです。でも、そのほかに夏休み期間中は帰省する学生のために、それぞれの地元でチームを作って試合をするサマーリーグというものもある。冬になればアメリカンフットボールやアイスホッケーをするというのも普通のことですしね」
実際にロッカールームでチームメートから「ヨシはなんのスポーツをやっていたの?」と聞かれることも多かったという。トップレベルの選手でも野球一筋ではなく、子どもの頃から様々なスポーツに触れてきた経験がある。
「ごく自然に、いろいろなスポーツの話題になるんですよ。実際に、アメフトのボールを捕ったり投げたりする感覚が外野の守備に役立っているとか、速い球を投げられる基礎になっていると話していた選手もいた。体の扱い方という意味では、違うスポーツによって身につける部分も沢山あると感じました」
一方で、アメリカ生活を経て帰国した後に感じた“ギャップ”もあったという。
「今は映像やデータが簡単に手に入りますから、例えばアメリカで流行っている打ち方をアマチュア選手が見よう見まねで簡単に取り入れることもできる。正しく理解しているケースもありますが、似て非なるものになっていたり、実際にアメリカで教えているヒッティングコーチとは全く違うアプローチで日本の指導者が伝えているケースもある。情報が多くなっているのはいいけれど、その意味は本当に正しく理解されているのか……子ども達のためになっているのかはなかなか判断しづらいと感じます」
データ重視では感性が失われしまう野球界は急速に情報化が進む。アマチュアからプロ選手まで、スマホひとつでトップレベルの打撃や投球技術が分析できる時代だ。自分自身で試行錯誤したり、指導者に教えを乞うなど時間をかけて技術を培うより、手っ取り早く「見て真似をする」、「データ通りにプレーする」方が、いわゆる“タイパ”がいいのかもしれない。
「いい部分もあるけれど、データばかり重視することは、フィールドで自然に感じる感性が失われてしまう気がするんですよね。自分が持っている、自分にしかない感性って絶対に一人一人あると思うので、そこを削られるのは違うかなと思います」
スポーツ界のデータ重視の流れに対する違和感は、今年1月に日米で野球殿堂入りしたイチロー氏(マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)も「Number」1114号(2025年2月発売)のインタビューで語っている。パドレスのダルビッシュ有投手も以前、テレビ番組で「問題集と一緒で答えが横にあって解いていくのはあんまり面白くない」と同様の考えを明かしていた。
「そうなんですよね。自分の力で探した答えが10だとしたら、“目からもらう”答えは2とか3しか入ってこないイメージなんです。だからその情報に頼る選手は、また1週間後に違うことをやっている、1カ月後に違うことをやっている。その場しのぎを永遠に繰り返してる感じがあって、軸ができない、幹ができないように僕は感じてしまう。
特に子どもたちにとっては、自分がなりたいものに向き合って、考えながら自分のものにしていく過程は凄く貴重だと思っているんです。誤魔化さない。その場しのぎをしないというのは本当に大事なこと。野球だけの話ではなく、社会に出た時もそうやって過ごしていく傾向が出てしまうのは心配だなと感じています」
何が正解、というのは分からない高校野球界に視点を移すと、ここ数年では今までとは違う流れも出てきた。日本高等学校野球連盟(高野連)に所属せず「甲子園を目指さない」ことを掲げる野球部も現れ、選手レベルでは、花巻東高からスタンフォード大学に進学した佐々木麟太郎や、桐朋高校からアスレチックスとマイナー契約を結んだ森井翔太郎のようなケースも出てきた。
「何が正解、というのは分からないです。ただ、僕個人の考えとしては甲子園で勝つためだけに野球をするというのは違うと思いますね。甲子園に出たい子もいるし、高校で野球はやめるという子もいる。もちろんプロになりたいという子も。いろいろな人生があるからこそ、指導者の方は高校を卒業した後にも役立つ考え、思考回路に導いてほしいなと思っています」
重視するのは「結果」ではなく「過程」自身の活動としては大きな変化があった。2023年12月に、出身地の和歌山県に2億円もの私費を投じて建設した総合スポーツ施設「TSUTSUGO SPORTS ACADEMY」が完成。両翼100mで内外野ともに天然芝を使用した球場に加え、サブグラウンドや室内練習場も備えた施設で、少年野球チームや体操教室などの活動が本格的にスタートした。
施設の管理・運営は兄の筒香裕史さんが中心となって行ない、兄弟の二人三脚で「子どもたちが失敗を恐れずのびのびとプレーできるチームづくり」を目指し挑戦を続けている。この社会貢献活動が評価され、昨年12月には「HEROs AWARD」を受賞した。
「実際に子どもたちを見ると、凄く楽しそうに野球をやっていますよね。このアカデミーに来てくれてる子どもはチャレンジすることに抵抗がない子が多いのかなとは感じています」
子どもたちの自主性を重んじて、コーチが罵声を浴びせるような指導はしない。重視しているのは、「結果」ではなく「過程」だ。
「例えば、小学1年生の子が集まって練習の順番待ちをしている時に、多くの方は『喋るなよ』と指導すると思うんですけど、1年生の子にとっては喋っているのが普通で、それを我慢している方が僕は不自然に感じる。でも、お喋りをしていて自分の番が来た時に出来ないのであれば、何で出来ないのか、しっかり話を聞いてやってみようか、他の子がやるのを見てみようか、となるわけです。子どもたちが自分で考えて答えを見つける“自然”を大切にしたい。その思いで指導者の方達も取り組んでくださっています」
スタートしたばかりでまだ課題も多いというが、試行錯誤を繰り返しながらも大きな夢に向けてチャレンジは続く。
「もちろん、僕自身はプレイヤーとしてが最優先です。その上で、あと何年か経った時にアカデミーもいろいろなものが見えてくるんじゃないかなと思っています。今は小学部ですけど、中学部を作るのか、高校の部まで作るのか……。本当は高野連に属さなくても、アカデミーからドラフトできるシステムになっていったら、かなり幅は広がると思う。いろいろな家庭の事情もあるし、高校野球の部活に通えないお子さんもいるでしょうから。子どもたちが本当にやりたいことをやり続けられるように、いろいろなチャレンジをしていきたいと思っています」
文=佐藤春佳
photograph by Yuki Suenaga