5月3日の静岡国際陸上女子400mで日本記録を0.04秒上回る51秒71で優勝した日体大3年生のフロレス・アリエ。父がペルーと日本、母はイタリアとペルーにルーツを持ち、現在は日本国籍取得を申請中のため「日本新記録」とはならなかったものの、17年ぶりの「日本記録超え」のタイムは大きなインパクトを残した。
昨年までの自己ベストは53秒台。突然の覚醒にはどんな理由があったのだろうか。
上位選手と比べ…痛感した「上半身の差」3度日本選手権を制し、日本歴代2位の記録を持つ松本奈菜子(東邦銀行)ら実力者たちは上半身の筋肉が鍛え抜かれている。自分と彼女たちを比較したとき、上半身の筋力アップの必要性があると痛感した。
「ウェイトトレーニングで筋肉が重くなりすぎて走れなくなるかもしれないし、逆に自分に合うかもしれない。でも、いずれにしてもやってみないと分からないし、レースのない冬季にしかチャレンジできないと考えて取り組みました。
それに私は腕に乳酸が溜まってしまうタイプで腕が割れちゃう(疲労で痛んだり、だるさや重さを感じる)んです。それを改善したいという意図もあって上半身を中心に鍛えました。筋肉量が増えたことで無理をしなくても腕を大きく振れるようになり、ストライドも伸びたと思いますし。その結果、前半からスピードに乗れるようになりました」
レース後半になっても勢いが落ちないのも彼女の持ち味だ。
静岡国際では最終コーナーを抜けるあたりでトップを走っていた松本に追いつき、残り60〜70m付近で逆転。ゴールする瞬間まで力強い走りを見せ続けた。
「もちろん疲れるのは疲れるんですけど、足は乳酸が溜まりにくい体質みたいで踏ん張りが利くというか。それが活かせたと思いますし、自分の一番の強みといっていいのかもしれません」
「向かい風が一番走りやすい」静岡国際の翌週の関東インカレ女子400mでも強い向かい風に見舞われながらも最後の直線で周りの選手の追随を許さなかった。
「個人的には向かい風が一番走りやすいですね。レースのラスト100m、ゴールに向かうきついところで体を動かすことがこの400mの魅力だなと思っていて。だから100mも200mも向かい風だったら楽しいのになってよく思うんですよ。でも、誰も共感してくれませんけど(笑)」
一般的には追い風を好むスプリンターが多い。風の抵抗を大きく受ける短距離種目においてそれを最小限に留めたいと考えるのが普通だ。だが、彼女にとってはその状況さえも「魅力的」に映っている。
一方で、大舞台でも臆することない走りで驚異的なタイムを記録しているものの、「走る前はちょっとメンタルが弱いんです」と意外な言葉も。
「静岡国際でもレース前は本当に走るのが嫌で……(苦笑)。招集所に行く直前に先生(日体大の大塚光雄女子スプリントコーチ)が『今どのくらい走れているのかという確認で走ってくればいいよ』『なるようになるよ』と声をかけてくれて、それで気持ちが楽になってレースに臨めたんです。
いつも『1周走ってくればいいよ』とか『走り切ってくれば大丈夫』とプレッシャーをかけずに送り出してくれるんですが、そういう言葉があるからこそメンタル的にもいい状態でスタート地点に立つことができていますね」
ただ、51秒71というタイムを記録し、国際大会やインカレで結果を残した。すると、自分が先頭に立って日体大を引っ張っていかなければというチームの中心選手としての自覚も芽生えた。
「個人だけではなく4継やマイルもあるので、4ブロ(※400mブロック)は自分が先頭に立って走ってマイルにつなげられる走りができたらと思っています」
直近の目標は6月5日から岡山で開催される日本インカレ、そして昨年は国籍の問題で出場できずに涙をのんだ7月の日本選手権だ。
「大学に入って初めて大号泣したのが去年の日本選手権でした。『出られない』と言われて、それが悔しかったというか。今まで自分のために動いてくれたり、支えてくれた先生方のことを考えると本当に申し訳なくて。出場できないと言われたあの日から、『来年は絶対に出場して52秒台で走ってやる!』と心に決めていたんです」
国籍が取れれば「また日本記録に挑戦したい」順調にいけば7月には日本国籍を取得する予定で、念願の舞台にも出場できる。
「日本国籍を取得できたらまた日本記録に挑戦したいですね。静岡国際のタイムは日本記録にはなりませんでしたけど、また挑戦できるチャンスをいただけたとポジティブに捉えていて。逆に(記録が)プレッシャーにならずに臨めるのでいいメンタルで挑めるような気がします」
静岡国際では開催国枠エントリー設定記録を上回っており、9月に開催される東京世界陸上の個人出場も十分に狙える位置にいる。
「試合の前の日は必ず生姜焼きを食べるのがルーティンなんですよ。4日連続で食べても平気なくらい大好き。自分で作るときは牛肉と豚肉を半分ずつにするのがこだわりです」と茶目っ気たっぷりに話す21歳は、伸びしろも、魅力も無限大だ。
文=石井宏美
photograph by Yuki Suenaga