センバツ ズバッ!村田マジック 横浜を頂点に導いた小刻み継投 村田浩明監督「この子たちと勝ててうれしい」

第97回選抜高校野球大会最終日(30日、甲子園)横浜(神奈川)が決勝で智弁和歌山を11−4で下し、2006年以来19年ぶり4度目の優勝を果たした。甲子園通算51勝を誇る渡辺元智(もとのり)元監督(80)からバトンを託され、20年から指揮を執る同校OBの村田浩明監督(38)は、時代にあった指導で〝令和の横浜野球〟を築き上げた。

優勝をたぐり寄せる継投だった。3−1の六回1死三塁。横浜の背番号18、片山大輔投手(3年)が、4番・福元へ投じた初球の内角スライダーで空振り三振に抑えると、4万2600人の観衆を集めた聖地は大歓声に包まれた。カウント2−2という異例の場面で2番手としてマウンドに上がった左腕は拳を握った。

直後、村田監督は片山から3番手で左翼にいたエースの奥村頼を投入。片山を1球で降板させる大胆な采配で無失点で切り抜け、「あそこの場面はピンチに強い片山だと思った。それだけ練習をしてきているので迷いなくいけた。(片山のスライダーは)初見では打てない。1球に全集中してくれた」と感謝した。

指揮官は歴代5位タイの甲子園通算51勝を誇る渡辺監督の下、1学年上の成瀬善久、同学年の涌井秀章とバッテリーを組み、2003年春に準優勝を経験した野球部OB。日体大卒業後は強豪ひしめく神奈川で「県立校から甲子園に行きたい」と公立の白山高などで監督を務めたが、「お前しかいない」との恩師の言葉に心を動かされ、20年4月に母校の監督に就任した。

21、22年夏に甲子園出場を果たしたが、23、24年夏は2年連続で神奈川大会の決勝で敗退。東海大相模に逆転負けを喫した昨夏の決勝後、村田監督は一本の電話をかけた。電話の相手は渡辺氏。「思い切って変えていきます」と宣言した。

母校の監督に就任して5年目。名門の伝統を「継承しなくては」と考えるあまり「自分の色が出せていなかった」と気が付いた。「吹っ切れて自分でやるしかない。選手と一緒に覚悟を決めてやる」と決意。「やらせる」野球からの脱却を目指し、改革した。

掲げたのは「全員野球」だ。これまではレギュラーメンバー中心だったノックは全員が参加。主力が多くやっていたウエートトレーニングの量も同じにした。練習試合の出場機会も平等に。全員にチャンスを与え、競争は激化。個の力がアップし、「選手が目標を決めていくチームになった。だから負けない」と進化を遂げた。

決勝では織田、片山、奥村頼、山脇の4投手をマウンドへ送り出した。〝片山の1球継投〟は全員で一つのアウトをもぎ取る「全員野球」の象徴ともいえるシーンだった。「この子たちと勝ててうれしい。負けを知った人間がはい上がると強いとわかった」。新チーム結成時に村田監督がホワイトボードに記した文字がある。新風−。春の日本一という最高の形で、生まれ変わった横浜野球の力を証明した。(武田千怜)

■村田 浩明(むらた・ひろあき) 1986(昭和61)年7月17日生まれ、38歳。神奈川県出身。横浜高2時の2003年春の選抜大会に捕手として出場し、涌井(中日)、成瀬(元ヤクルト)らとバッテリーを組み、準優勝に貢献。主将を務めた3年時は、04年夏の甲子園でチームを8強に導いた。日体大時代には母校の横浜で学生コーチも経験した。大学卒業後は09年から公立の霧が丘高で野球部の部長を務め、13〜20年は白山高で監督を担った。20年4月に横浜高の監督に就任。保健体育科教諭。家族は妻と息子1人。

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