【橘高淳連載#最終回】満員の甲子園で節目の3000試合出場…思い出は宝物です

【橘高淳 審眼(最終回)】2022年9月18日、阪神―ヤクルト22回戦(甲子園)で三塁塁審を務めました。その試合が私にとって一軍公式戦出場3000試合という節目のゲームでした。1987年9月8日の阪神―ヤクルト21回戦(甲子園)で、左翼外審(線審)でデビューしてから35年もの月日が経過していましたが、過ぎてみれば早かったですね。

 3000試合出場の時には試合が成立した5回終了時、ボールガールが私の元に来てくれて記念の花束をいただきました。球場の四方に向けてあいさつをして、球団スタッフの方に写真を撮影してもらいました。三塁側のヤクルトベンチから杉村繁打撃コーチが「橘高くん、橘高くん、おめでとう」と声を掛け、激励してもらったことを覚えてます。この時点で私は59歳。年長者といえば杉村さんくらいでしたからね。

 節目の試合と最終出場となった同20日の阪神―DeNA25回戦(甲子園=一塁塁審)の2試合には家族もみんな来てくれました。これまで球場に来たことがなかった妻、長男家族4人、娘に加えて友人4人が甲子園に足を運んでくれました。自宅のご近所にお住まいの方々もご自身でチケットを買って何人かで駆け付けてくれました。

 審判員の控室では出場メンバー、公式記録員から「おめでとうございます」とねぎらいの言葉を掛けられ、ボールに3000試合出場の文言とサインを書いてもらい贈っていただきました。

 甲子園という球場にはご縁がありますね。高校3年の春と夏には滋賀県代表、瀬田工高の捕手としてプレーさせてもらいました。その後、阪神の選手としては一軍で結果を残すことはできませんでしたが、甲子園は職場としても本当に大好きな球場です。歴代のウグイス嬢さん、球場職員さん、阪神園芸スタッフの皆さまにも大変お世話になりました。

 5万人の大観衆が見守る中で、3000試合出場の試合が成立した瞬間は大きな拍手もいただきました。私に対してアンチな方々も多いはずですが、満員の甲子園での思い出は宝物です。

 9月に入り、京セラドーム大阪でのゲームに審判長が来られ、22年限りでの契約満了を告げられました。自分としては60歳で体力はあり余っていましたが、ここらが潮時かと…。60歳まで現役だった前例はなく、私も例に漏れずこの年限りで60歳になるシーズンで引退だということを通達されました。

 実は3001試合目にも私の引退試合にセレモニー、花束贈呈をと提案していただいたのですが、その試合は阪神・矢野燿大監督にとっても甲子園最終戦だったんです。私としましては3000試合出場の時点でねぎらっていただいてますので、それは結構ですとお断りさせていただきました。もうそれで十分です。

 このコラムのおかげで友人、知人からもたくさん連絡をもらい、選手時代の同期には「次、名前を出すからな」と話しておりました。皆さんから「読んでるよ」と声を掛けていただきありがたいです。

 超一流のプロ選手は一握りですが、多くの人間が野球というスポーツに携わる仕事をしています。その一つの審判員という仕事を経験した私の目線が、読者の皆さんから新鮮に映ったとすれば幸いです。楽しんでいただけましたでしょうか。長い間、お付き合いいただきありがとうございました。

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