アーカイブの危機とメンテナンスの大事さ

無駄に長くネットで文章を書いていると、自分の中にあるネットに関する常識が、時代に合わなくなっているのに気付くことがあります。

例えば、こうした技術コラムを書くのであれば、(Googleと名前を出すたびにGoogleのトップページにリンクをはるようなやり方は過剰としても)必要に応じて他のサイトのページにリンクすべきであり、参照リンクがウェブにおける説明責任を担保し、元の文章の主張を補強するのが当然のように考えてきました。

昨年末、某セキュリティベンダーの技術ブログがいつの間にかパパ活ブログに変わっていたのに驚く投稿(https://x.com/yomoyomo/status/1872585906286141922)をしたところ、意図せずバズり、結果やじうまの杜(https://forest.watch.impress.co.jp/docs/serial/yajiuma/1652003.html)やITmedia NEWS(https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2501/10/news166.html)に取り上げられました。これはいわゆる「ドロップキャッチ」事例であり、それ自体は珍しくはないのですが、セキュリティベンダーのドメインでそれが起こったのが注目を惹いたのだと思われます。利用終了したドメインの終活(https://engineers.ntt.com/entry/202412-enddomain-log/entry)は簡単ではないようです。

この事例で思い出したのは、あるブロガーの方が、自身のブログの文章でリンクしていた先が知らぬ間にこのドロップキャッチによりアダルトサイトになっていたらしく、そのためGoogleから違法が疑われるサイトへのリンクを理由に広告料停止の警告を受けたという話です。ワタシの「必要なだけ外部サイトのリンクを入れる」という方針は、その観点からすると危険かもしれないわけです。

先のセキュリティベンダーの事例を見ても、企業のページなら、公的機関のページなら、報道機関のページなら安心、とはもはや言い切れません。文中に張るリンク先をすべてインターネットアーカイブのWayback Machine(https://web.archive.org/)(の検索結果)にしてしまうのは、さすがにやりすぎというか、なにより面倒です。

まさに昨年末に公開された朝日新聞デジタルの記事(https://digital.asahi.com/articles/ASSDW30W9SDWUCVL052M.html)で津田大介氏も語っていた、ウェブにおける「アーカイブ機能の喪失」の問題なわけです。

今、00年代の情報を検索するのは難しい。たくさんあった無料のホームページサービスも、たいていなくなった。グーグルの検索も年々使い物にならなくなっている。かつては紙の本は絶版になると接しにくくなり、インターネットは情報が消えないと思われていたのが、今はネットの古い情報の方がアクセスしづらくなっています。

みそもくそも一緒になった巨大な知のデータベースだったインターネットが、リアルタイムウェブに駆逐されたことによって、アーカイブ機能がどんどん弱くなり、その結果、リアルタイムで発信される扇情的で、真偽不確かな情報の流通プラットフォームになってしまった。

先ほど名前を出したインターネットアーカイブも、昨年10月に「消えゆく文化:我々の脆弱な文化記録に関する報告書(https://blog.archive.org/2024/10/30/vanishing-culture-a-report-on-our-fragile-cultural-record/)」を公開しています。

この報告書は、昨年10月にインターネットアーカイブがサイバー攻撃を受けて数日間のサービス停止(https://japan.zdnet.com/article/35224841/)を余儀なくされ、デジタルアーカイブの脆弱性が浮き彫りになった話から始まります。

その上で、デジタルインフラの保護と文化的記録の保存の重要性を説いていますが、特に強調されるのは、デジタル化されたコンテンツが急速に消失している現状、そしてデジタルコンテンツ(この報告書はウェブページだけでなく、電子書籍、動画、ビデオゲーム、さらには言語や文化史も対象にしています)は配信プラットフォームやライセンス契約に依存しており、保存とアクセスの継続性が確保されていないというデジタル文化の脆弱性です。

電子書籍はプラットフォームから閲覧する権利を購入しているだけで、実は「所有」はできていないという話(https://www.yamdas.org/column/technique/the-anti-ownership-ebook-economy-introductionj.html)はよく知られていますが、音楽や動画のストリーミング配信サービスも、保存とアクセスの継続性が確保されておらず、結果として、プラットフォーム企業の判断次第で文化的記録が簡単に削除される危険性があるわけです。

ウェブの世界でも、ウェブページの25%が10年以内に消失しており(昨年もMTV News(https://rollingstonejapan.com/articles/detail/41173)など重要なデジタルアーカイブが閉鎖されています)、またWayback Machineが保存している消失URLは62%であり、完全ではありません。また、「暗い森」化するウェブ(https://wirelesswire.jp/2023/06/84905/)というトレンドもアーカイブを困難にしているのは間違いありません。

かつては、一度オンラインにあげれば永遠に残ると考えられていましたが、それは誤解でしかありませんでした。デジタルメディアはソフトウエアやハードウエアの陳腐化が早く、保存には専門的な知識や資源が必要であり、その保存は「公共の記憶」(例えば、政治的出来事や文化的トレンドを理解するための記録)に関わる、と報告書はアーカイブの重要性を訴えます。

それならインターネットアーカイブがもっと頑張れよという声も出るかもしれませんが、昨年末にWIREDに掲載された「デジタル情報の歴史保存機関、Internet Archiveが直面する防衛戦(https://wired.jp/article/sz-internet-archive-memory-wayback-machine-lawsuits/)」を読むと、出版社や音楽レーベルとの訴訟により、インターネットアーカイブ自体、崩壊の危機に直面しているのが分かります。インターネットの維持管理の役割を果たしているインターネットアーカイブのデジタルアーカイブですら、永遠ではないのです。

メンテナンスこそが、文明に欠くことのできない技術であると考えるべきだ。

スチュアート・ブランド(https://wirelesswire.jp/2022/12/83723/)のおそらくは最後になるであろう執筆中の書籍『万物のメンテナンス(Maintenance: Of Everything)(https://books.worksinprogress.co/)』は、米国のフォーク歌手ピート・シーガーの85歳のときの言葉から始まります(https://books.worksinprogress.co/book/maintenance-of-everything/addenda/page/introduction)(余談ながら、来月日本公開されるボブ・ディランの若き日を描く映画『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN(https://www.searchlightpictures.jp/movies/acompleteunknown)』においても、シーガーは重要な登場人物です)。

この書籍プロジェクトのことは、ブランドの伝記本の著者であるジョン・マルコフのインタビュー(https://wired.jp/article/whole-earth-book-interview/)で知りましたが、ブランドが「メンテナンス」の重要性についての本を書いているというのに、なんでそんな地味な主題を選んだの? と訝しく思ったものです。

しかし、本文でリンクしているいくつかの文章を昨年末に読み、文化的なメンテナンス(維持管理)の重要性とシーガーの言葉の正しさを痛感しましたし、ブランドがメンテナンスについての本を書く理由もおぼろげながら分かった気がします。

ブランドの執筆中の書籍は、生命体が自身の生命と依存するシステムを維持するために多くの時間と労力を費やしている話から始まり、製造業(自動車産業)や戦争(アサルトライフル!)など歴史上のメンテナンスにまつわる逸話を語りながら、人間の歴史をメンテナンスの観点から再解釈しています。

といっても昔話ばかりではなく、インターネット時代におけるメンテナンスの学習方法としてYouTubeがメンテナンスを身近にした話もありますし(動画のクオリティ向上に関するアドバイスやサムネイルの重要性についても触れているのが少し受けました)、オートバイのメンテナンスの話でロバート・M・パーシグの『禅とオートバイ修理技術(https://www.hayakawa-online.co.jp/shop/g/g0000611721/)』を引用する一方で、電気自動車の優位性を説くところなど、現実主義者としてのブランドらしさを感じました。

メンテナンスの問題は技術進歩の原動力になりうること、またメンテナンスが単なる修理や保守ではなく、システムの進化をサポートするものであり、より長期的な視点が必要となることをブランドは強調しているように思います。

ワタシも「クリストファー・アレグザンダーと知の水脈の継承(https://wirelesswire.jp/2022/11/83478/)」で原書を取り上げた、シャノン・マターン『スマートシティはなぜ失敗するのか(https://www.hayakawa-online.co.jp/shop/g/g0000240034/)』でも、第四章「メンテナンス作法」においてこの話題に章が割かれています(https://note.com/sasakitoshinao/n/n0b68a795bf0a)が、ブランドと共通する問題意識を感じました。

新しい医薬品やデジタル技術の出現にすべての希望を託すのではなく、日常的であり地味でありながらも本質的な作業、すなわちメンテナンス、ケア、修繕にもっと目を向けるのだ。

さらには、メンテナンスされるものとしての都市を語りながら、物理的な修繕のみならず人間の感情と身体のケアまでも議論の射程範囲にしており、しかも人間世界のケアが自然の生態系におけるケアと相反する場合があるのを指摘しているのは、マターン独自の重要な視点に思えます。

都市や文明のメンテナンスに努めることは、そのレジリエンスを高めることにもつながるでしょう。いくら地味に感じるとしても、その大事さを強調し過ぎることはないでしょう。

「革新」とか「新鮮」といった価値観は大衆にアピールする。少なくとも、「破壊」(トランプ元大統領の場合は「完全な破壊」)が選挙戦のスローガンやあたりまえの統治戦略となるまではそうだった。だが、私たちが学ぶべきなのは、新たに建設するのではなく、むしろ世界がどのように再建されるべきかということだ。

ただ話をあまり広げ過ぎてもなんですので、ウェブのアーカイブに話を戻すと、その維持管理のために我々ができることはなんでしょうか。いろいろあるでしょうが、てっとりばやくできるのは、ウェブのアーカイブの維持管理を行う団体に寄付をして、「メンテナー」の仕事に報いることでしょう。個人的な話になりますが、今年を機にこの手の寄付は年初にまとめて行うことしたいと思います。そうすれば忘れにくいですし。

今年は言うまでもなくインターネットアーカイブ(https://archive.org/donate)、そしてWikipediaをWokepediaと呼んで寄付のボイコットを呼びかけたイーロン・マスク(https://www.citationneeded.news/elon-musk-and-the-rights-war-on-wikipedia/)への抗議の意味も含めてウィキメディア財団(https://donate.wikimedia.org/)、さらには昨年開始20年を迎え、年末に大規模障害(https://yamdas.hatenablog.com/entry/20241225/openstreetmap)に見舞われたOpenStreetMap(https://supporting.openstreetmap.org/donate/)に少額ながら(謙遜ではなく、少額です)寄付させてもらいました。

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