子どもはほしいが結婚はしたくない―。東京都内で不動産会社を営む36歳の谷恵さん(仮名)は、そのシングルマザー願望の実現に向け、海外の精子バンクに活路を求めた。オンライン上で精子提供者(ドナー)を選択して注文し、国内の医療機関に送付された精子で人工授精に挑戦。「お見合いのような感覚で、ドナーの育った環境を重視して選んだ。出産が楽しみ」と笑顔で語った。(共同通信=白川愛)

 ▽精子バンク利用で6万5千人が誕生

 谷さんが利用するのはデンマークにある世界最大の精子バンク、クリオス・インターナショナル(以下クリオス社)だ。同社によると、創設は1987年で、現在のドナー数は約千人。米国にも拠点があり、2016年には卵子バンクも始めた。これまで約100カ国の医療機関や個人に販売、6万5千人以上が生まれている。

 ドナーの国籍は欧米が中心で、日本人の登録はない。血液や遺伝性疾患の検査、面談もあり、応募者の合格率は5〜10%だ。顧客は専用サイトでドナーの人種、目や髪の色、血液型を選んで注文。マイナス196度の液体窒素タンクに入った状態で送付される精子を常温で解凍し、付属の容器を使って膣内に注入する。

 追加料金を払えばドナーの肉声や最近の写真などの情報も得られ、1回分の費用は日本円で約6千〜18万円ほどになる。

 ▽日本進出を目指すわけ

 将来的に日本での展開を目指すクリオス社。日本人ドナーを募り、日本人向けに冷凍保存した精子を販売する構想で準備を進めている。

 19年2月、都内に窓口を開設。日本語パンフレットを作成した。問い合わせが急増したという独身女性や、性的少数者(LGBTなど)を対象にセミナーも開いている。

 「子を持つ選択肢として、クリオスがあることを知ってほしい」。12月中旬、都内での独身女性向けセミナーで、日本事業責任者の伊藤ひろみさん(37)は参加者約10人に語り掛けた。ドナーの選考基準や精子の購入方法を説明すると、「アジア系のドナーはいるか」「出産後に相談できる場所はあるか」と質問が相次いだ。

 50代の女性は、結婚してほしいと願った32歳の娘から「精子バンクを使いたい」と相談されて心配になり、付き添って来場した。安全性の説明を聞き、しっかりした伊藤さんの人柄にも触れて「不安が少し和らいだ。娘の選択をできるだけ応援したい」と語った。

 ▽ニーズに応えられていない日本の不妊治療

 クリオス社が日本進出を目指す背景の一つに、患者のニーズに応えられなくなっている国内の不妊治療の厳しい現状がある。

 国内では1948年以降、ボランティアの男性から提供された精子を用いる人工授精が一部の医療機関で実施され、これまで1万人以上が誕生したとされる。だが、中心的存在となってきた慶応大病院が2018年夏、ドナーの確保が困難になったとして、新規患者の受け付けを停止した。

 関東に住む無精子症の40代男性は以前、慶応大病院で提供精子による人工授精を申し込み、実施まで5カ月かかった。他の病院も含めて人工授精を20回したが成功せず、焦りを感じて18年、生殖補助医療に力を入れる台湾に夫婦で渡航。体外受精で待望の子を授かった。「国内の精子提供者を増やす仕組みが必要だ」と男性は語る。

 ▽個人間で授受の例も

 埼玉県在住のレズビアンの女性(53)は子どもがほしいと悩んだ末、ネットで知り合った男性から精子の提供を受けた。2年半前、県内のファミリーレストランで精液を入れた容器を受け取り、自宅でパートナーの女性の膣内に注入したという。

 男性は性感染症検査で問題ないとする書類を見せたが、真偽を確認するすべはなかった。提供は5回ほど。パートナーは無事に男の子を出産したが、「男性が将来、子育てに干渉してくるのでは」という不安もある。

 12年前から都内で同性パートナーと暮らしている女性(40)は、知人の紹介でクリオス社の存在を知り、外国人ドナーの精子を購入、19年6月に妊娠した。

 「ゲイの男性から精子をもらうレズビアンカップルは多いが、親権を主張されたり、子育てに干渉されたりするのが嫌だった。知人男性から精液をもらうことにも嫌悪感があったが、精子バンクは『命の種をもらう』という気持ちで利用できた」と語る。

 女性は自宅で人工授精し、1回目で妊娠した。「ドナー選びから人工授精まで2人で取り組んだので、『2人の子ども』という意識が強い。クリオスが進出すれば、子を望むレズビアンの選択肢が増え、救いになるはずだ」と話す。

 ▽日本は営利目的の提供禁止

 国内で精子バンクが活動するには、多くの障壁が立ちはだかる。第三者の精子を用いた生殖補助医療に関し、日本産科婦人科学会は会告で、営利目的で精子を提供する行為への関与を会員医師に禁じている。そのためクリオス社の日本進出は現状では難しい。

 第三者の精子で生まれた子どもについて法的な親子関係をどう規定するのかも課題。法務省は議論を進めているが、結論が出る見通しは立っておらず、今のままでは精子バンクで誕生した子の法的地位は不安定だ。

 また、遺伝上の親が誰かを知りたい子どもの感情を尊重し「出自を知る権利」を保障しようという世界的な流れの中、ドナーのプライバシーをどう保護するかといった問題も残る。

 伊藤さんは、出自を知る権利やドナーの処遇を含めた親子関係の法整備が急務と指摘した上で、「子を産みたい、愛する人との間に子を持ちたいとの願いは誰にも否定できない。生まれた子どもやドナーの権利を尊重しつつ、当事者が望む治療を受けられる仕組みを作りたい」と話した。