誰もが一度は書いたことがあるだろう「履歴書」。記述する内容によって会社に採用されるかどうかを左右すると、悩みながら書いた人も多いかもしれない。この履歴書が、かつてはもっと面倒で、差別的な項目にあふれ、改善のための闘いがあったのを知っているだろうか。現代の就活生が頭を抱える項目「ガクチカ」(学生時代に力を入れたこと)の由来も意外と知られていない。歴史をひもといてみたい。(共同通信=武田惇志)

 ▽資本主義導入、履歴書の誕生

 身分制度が明治維新で終焉すると、人々は旧身分にかかわらず、さまざまな職業に就けるようになった。逆に言えば、明治の青年たちは職を求めて企業や官庁に自らを売りこまなければならなくなる事態に直面したのだ。当時の新聞紙面には次第に「履歴書」の文字が現れるようになる。例えば次の記事からは、黎明期の混乱ぶりが伺える。
 「新選代議士の履歴書 衆議院事務局の照会に応じ履歴書を提出したる者は既に160余名に達したるが中には抱腹に堪へざる書き方あり 例へば…」(東京朝日新聞1902年9月13日)
 当時の履歴書がどのような書式だったのかは不明だが、大正時代のある新聞記事(読売新聞、1925年4月21日)は履歴書の書式が統一されていないことを批判している。中には「巻紙に書いたもの」さえあったという。

 ▽毛筆書きに抵抗する学生たち

 資本主義が成熟し、大恐慌も経験した昭和初頭。日本式履歴書の不合理さが少しずつやり玉に挙がり始める。とりわけ若者に負担だったのは、和紙への毛筆書きの習慣だった。

 「履歴書の無駄」と題した東京朝日新聞の記事(1938年10月19日)は、毛筆書きの履歴書を「封建的な趣味」と鋭く批判した。
 「秋から冬にかけての就職シーズンになる度に私は思ふ。あの履歴書を何とかならないものかと。えらい学生は夏休み前から稽古にとりかかるが、とにかく日常の学生生活から全く縁遠くなった毛筆の苦労は、並大抵ではない」
 「かかる現象は戦時体制下のわが国経済の上からも考へられねばなるまい。自分の知る範囲においても、美濃紙を50枚以上消費した者が半分を占める」
 読売新聞でも1カ月後、同様の読者投稿が現れる。「現在のような日本紙の履歴書は取り扱ひに不便だ」「洋紙とペンに改めた方がよくはないだらうか」「日本精神への影響ありとしても、それは他の方法で幾らでも補ひがつくと思ふ」(1938年11月25日)。今では考えられないことだが、履歴書の代筆業も繁盛していたようだ。
 しかし、戦争の激化とともに問題は紙面から消える。再び現れるのは敗戦、占領を経て、高度経済成長がスタートする1950年代中盤のことだ。
 「履歴書ほどわれわれ学生にとって面倒で不合理に思われるものはない」(朝日新聞1953年9月20日)「やめたい履歴書の毛筆書き」(毎日新聞1955年8月27日)と読者投稿が増え始め、当時の学生が毛筆書きにいかにへきえきしていたか分かる。
 この流れに一石を投じたのは東京大法学部の学生たちだった。1956年6月末、同学部の自治会が「履歴書のペン字横書き運動」を開始。同年9月には全国の官公庁や企業の7割以上が採用するに至る、大成果を上げた。
 詳報した朝日新聞の記事(1956年8月1日)によると、きっかけは同年5月、司法試験の要項が発表された際、「履歴書はスミでもペンでもいい」とされたことだった。学生らは、公文書について「法務省、警視庁、自治庁などを除くほとんどの官庁が横書にしている」ことを突き止めた。
 一方、反対に回ったのが日本習字学会などで、「スミの字は人柄があらわれる」「労力を惜しむな。スミで書くことは精神修養になる」などと主張していた。
 文具大手コクヨ(大阪)によると、同社の最初の市販履歴書(ペン字横書き)は1956年に販売開始している。東大生による運動の結果、販売に至ったとみられる。

 ▽部落解放運動vs就職差別

 さらに、筆記用具より深刻な問題があった。企業が応募者に提出させる独自の履歴書には「本籍」「病歴」「障害の有無」「宗教」「実家の資産状態」といった差別的な項目が並んでいたのだ。日本の企業の多くは家族主義的で、終身雇用が前提となっていた。従業員には同質性が求められており、異質な人材をふるい落とす傾向が強かったと言える。
 1969年、中国地方の被差別部落出身の高校生が、ある金融機関の求人に応募した際、履歴書の「主義主張」などを空欄にして提出し、不合格となった。家庭環境に問題があると指摘されたこともあり、事態は差別事件に発展する。履歴書の問題性が部落解放運動の文脈で取り上げられるようになった。
 「企業側の『採用の自由』の実態は、『差別の自由』にほかならなかった。差別社用紙は就職への入り口の問題だとして、運動は熱心に取り組まれた」と近畿大の奥田均名誉教授(社会学)は言う。
 運動の結果、企業独自の応募用紙が出自などの差別的な調査を助長しているとして、1973年に新規高卒者用の履歴書「全国統一応募用紙」が策定された。国も企業側に用紙の採用を求め、翌74年には当時の日本工業規格(JIS)による市販の履歴書が用紙に沿う形で改正された。その後も改善は進み、96年には統一応募用紙から本籍欄が削除されている。
 急ピッチで履歴書の改善が図られていく一方で、1975年に「部落地名総鑑事件」が発覚する。被差別部落の所在地をリストアップした書籍を、大企業や大学などが高値で購入していたのだ。
 奥田教授によると、背景にあったのは1969年の同和対策事業特別措置法だ。同和地区への奨学金制度が整備されたことで、地区出身者の大学進学率が増加した。「事件が起きた75年はちょうど、最初の大卒者が面接に来る時期と重なっていた。76年には解放運動の求めもあり、戸籍法が改正されて他人の戸籍謄本を入手できなくなることになっており、企業は幹部候補となる可能性があった同和地区出身の大卒者を排除しようと必死になっていたのだろう」と解説する。
 「履歴書の改善だけでは企業の差別体質を変えられなかった。そこで、日本企業の根深い差別体質を変える取り組みこそが必要になった」。1977年、一定規模以上の事業所で差別問題への研修などを義務づける仕組みが生まれ、現在に続いている。

 ▽性の多様化にも対応

 こうして概観すると、履歴書はその時代の社会意識を写す鏡のような役割を果たしている。人権意識が向上すれば、履歴書も合わせて進化する。
 近年、焦点となっているのは性別欄だ。NPO法人「ReBit」(リビット、東京)の2018年の調査によると、出生時と異なる性別を自認するトランスジェンダーで、就職活動を経験した人のうち半数近くが性別欄に悩まされたと回答。当事者らは撤廃を求めて署名活動を実施し、20年6月に約1万筆を経済産業省に提出した。
 その流れを受け、国は21年4月、性別欄の記載を任意とする様式例の案を初めて示した。コクヨも性別欄のない履歴書の販売を始めた。

 「性別欄がないのが本当に正しいのか、業種によっては性別が分からなければ採用できない企業もあるのではと、当初から社内でも賛否両論ありました」。大阪市東成区のコクヨ本社に取材に訪れると、当時開発に関わった蔭山正輝さんが内情を打ち明けてくれた。「ニーズ自体はものすごく多くはないでしょうが、お困りの方が望まれている、と。なのでお客さまの選択肢を増やしましょうと提案し、会議でも受け入れてもらったんです」
 性別欄がない履歴書を用いることで、自らが性的少数者だとカミングアウトしやすくなる可能性もある。履歴書市場におけるパイは小さいが、採算を度外視して販売を決定したコクヨ。蔭山さんは「メーカーとして企業姿勢も打ち出していく必要がある。履歴書のラインアップを多く持つ私たちとしては、販売するべきだと考えました」と振り返った。
 さらに、「顔採用」に陥らずに能力や人柄を適切に評価すべきとして、写真欄をなくすよう求める動きもある。
 コクヨによる調査でも、性別欄に次いで「写真欄をなくして」との声があるという。広報室の尾方隆子さんは、写真がないと本人確認が難しくなったり、身代わり受験のおそれがあったりすると指摘した上で「どういう形であれ、お客さまの困り事やニーズには気に留めています」と話す。今後、要望が増えていけば、販売する可能性もあるとしている。

 ▽産業構造の変化がもたらした新設項目「ガクチカ」

 重厚長大型の産業構造だった日本社会も時代と共に変化していく。1990年以降、サービス業が中心となり、非正規雇用が拡大するなど人材の流動性が高まった。採用する企業側のニーズは、単純労働や長時間労働に対応できる能力ではなく、専門知識や技能、行動力、創造力、幅広い見識といった総合的能力に変化していき、履歴書の項目にも反映されていった。
 その典型例が、新設項目として現れた「学生時代に力を入れたこと」、略して「ガクチカ」だ。現在、就活生の多くがこの項目に悩んでいるとされる。「ガクチカが思い付かない」と頭を抱える大阪府の男子学生(20)は、とりあえず勉強やアルバイトを頑張りつつ、ボランティア活動などに手を出しているという。「履歴書の項目のために何かをやろうとするのは本末転倒な気がしますよね」とぼやく。
 コクヨ広報室に調べてもらうと、同社でガクチカに類似した項目がある履歴書の販売を始めたのは2011年とのことだった。背景には「自分をアピールできるようなことを企業側に伝えたいが、既存の履歴書では物足りない」とのニーズがあったという。担当者は「おそらく面接で『学生時代に頑張ったことは?』などと質問を受ける体験が増えたためではないでしょうか。事前に答案を用意できるような項目が望まれたのだと思います」と考察した経緯を説明してくれた。
 販売を開始した11年当時には全く知られていなかった「ガクチカ」。15年ごろには人口に膾炙し始めたという。普段、私たちが気にも留めない「履歴書」自体の履歴。それは社会が持つ文化的背景や産業構造、また人権意識を反映し、求職者やマイノリティー当事者、採用する企業側の思惑がせめぎ合う“戦場”だった。