医療体制が崩壊し、悲惨な状況になっているイタリアやスペイン。そこで生活している日本代表選手たちが、連日会員制交流サイト(SNS)を通してコロナウイルスの恐ろしさを発信している。日本に居住している人たちが抱く漠然とした不安ではなく、人が死ぬということを身近でリアルに感じている選手たちのメッセージは重い。いまはすべての人が、社会のために協力しなければいけない時期だ。

 3月30日、J1神戸の酒井高徳選手が新型コロナウイルスに感染したことが発表された。人混みを避けるなど気を付けていたというだけに、感染は関係者に衝撃をもたらした。

 サッカーに限らずチームスポーツで一人でも感染者が出れば、チームメートは全員濃厚接触者となるのだろう。接触者は14日間、自宅などで待機する必要がある。それは、チームが活動できないことを意味する。J3(4月25日)に始まり、J2(5月2日)、J1(同9日)と段階的に再開が予定されていたが、それもかなり微妙になってきた。

 欧州では五大リーグ(イングランド、スペイン、イタリア、フランス、ドイツ)だけでなく、ほぼ全てのリーグがリーグ戦を中断している。南米も同様なので、世界中のサッカーが止まったことになる。試合ができないのだから練習も行えない。当然、話題もない。

 何を書いて良いのか悩む。この際だから、サッカーの歴史を振り返ってみよう。ある程度の年齢の人は知っていることも多いと思うが、若い人は初めて聞くこともあるだろう。

 「国際Aマッチ」や「Aマッチデー」。この言葉を聞けば、現在では年齢制限のない日本代表の試合を意味することは誰もが知っているだろう。国際Aマッチとは簡単に言えば国と国のフル代表が戦う試合で、Aマッチと認められるためには国際サッカー連盟(FIFA)にいわば「認定料」と言っていい金額を払うことが必要になる。

 現在の日本代表はワールドカップ(W杯)予選といった公式戦をはじめ、親善試合などでも対戦相手は常にナショナルチームだ。だから新しい選手が召集されて、テストとして試されればその選手は代表Aキャップを持った選手として記録される。森保一監督は日本代表と五輪代表の指揮を兼任しているので、五輪世代の若い選手がAキャップを得ている。

 その国の最強チームであるA代表としてプレーすることは大きな勲章だ。コンサドーレ札幌のジェイもキャップ数はわずかに1。それでもれっきとしたイングランド代表だ。Aキャップを持っていれば、移籍したときにサラリーが高くなるという効果もあるだろう。

 Jリーグが始まる以前、日本代表の試合の多くはクラブチームとの対戦が当たり前だった。公式戦となるW杯予選、五輪予選(88年ソウル五輪まで)以外は国同士のAマッチというのは極端に少なかった。

 78年に始まったキリンカップも、対戦相手の基本は欧州と南米のクラブチームだった。それにアジアのナショナルチームを加えた4チームのリーグ戦が行われた。しかし、6月ごろに行われていたこの大会に参加するのは、シーズンを終えたばかりの欧州と南米のチーム。観光目的の選手が多かった。それでも日本代表は勝てなかった。

 日本代表が初めてキリンカップで優勝したのは91年。前年のアジア大会でブラジルから帰国したカズ(三浦知良)と国籍取得したラモス瑠偉がチームに加わったことでチームが劇的に変わった。この大会で日本代表はヴァスコ・ダ・ガマ(ブラジル)、タイ代表、トッテナム(イングランド)と3試合を戦い全勝した。余談だが、この大会での日本代表のユニホームの色は赤だった。日本代表の歴史の中で90年からの2年間だけ採用されたカラーだが、この時には胸のエンブレムが日の丸から現在の八咫烏(やたがらす)に変更された。

 キリンカップを初優勝したことで、日本代表の強化方針も見直された。92年からキリンカップは国際Aマッチの大会に変更。日本代表初のプロ監督ハンス・オフトが率いたチームの初陣となったのは、前年の南米選手権を制したばかりのアルゼンチンとウェールズ。バティストゥータ、カニーヒャというフルメンバーをそろえてきたアルゼンチンは、サッカーファンの注目を集めた。この試合で日本代表デビューを果たした無名選手がいた。それが森保一現日本代表監督だった。ちなみに結果は2試合ともに0―1の敗戦だった。

 以来、日本代表の試合はAマッチを基本として現在に続いている。さらにW杯予選などの公式戦もセントラル方式からホーム・アンド・アウェー方式に変わったため、試合数も急激に増えた。当然だがAキャップを積み重ねる選手のスピードも劇的に上がった。

 現在、日本代表の最多Aキャップ記録は遠藤保仁の152。2位は井原正巳の122だ。100キャップを超える選手は8人いる。一方、メキシコ五輪得点王の釜本邦茂氏とJリーグ副理事長の原博実氏のAキャップ数は76と75と多くはない。ただ、クラブチームも含めた日本代表での試合出場数となると、これが231試合と171試合と跳ね上がる。

 時代が違うので、単純には比較できない。代表キャップ数には、このようなカラクリがある。一つ言えることは、どの選手もが日本のために戦ってくれたということ。それだけは不変の事実だろう。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はブラジル大会で7大会目。