2月11日は、プロ野球の名将として知られる野村克也氏の一周忌だった。

 昨年、心不全のため84歳で亡くなった野村氏だが、現役時代の多くを過ごした南海(現ソフトバンク・ホークス)では三冠王に耀き、プレーイングマネジャーとしても活躍した。

 現役引退後はヤクルトを振り出しに、阪神、楽天で24年に及ぶ監督生活を送っている。

 5度のリーグ優勝に3度の日本一。野村氏の教えは単に野球の技術にとどまらず「人の道」を説くものも多かった。だから、今でもファンの心に残り、教え子たちの指針となっている。

 「教え子と言われる人が監督だけではなく、いろんなチームにコーチとしても残っていて、今の野球を支えている部分もある。ありがとうございましたという気持ちでいっぱいです」。愛弟子である古田敦也氏の言葉通り「野村野球」は、今も教え子の心の中で生き続けている。

 一周忌前日にあたる10日。沖縄・浦添のヤクルトキャンプでは、その古田氏が臨時コーチとしてブルペンにいた。

 往年の名捕手が自らミットを構えた相手は、将来のエース候補と目される2年目の奥川恭伸投手。背後では高津臣吾監督が見守り、途中からはチームの看板選手である山田哲人が打席に立つなど、豪華な顔ぶれに「奇跡のレッスン」と話題を呼んだ。

 同じ沖縄の楽天キャンプでは、ヤンキースから8年ぶりに日本球界に復帰した田中将大が話題を独占した。

 「マー君神の子、不思議な子」の野村語録とともに、球界のエースに成長した田中にとっても、野村氏は文字通りの恩師である。

 「日本一になって恩返ししたい」と再出発を誓っている。今季から楽天のGM兼監督に就任した石井一久氏も教え子だ。

 野村門下生はまだまだいる。西武・辻発彦、日本ハム・栗山英樹、阪神・矢野燿大の各監督をはじめ、ヤクルトの池山隆寛2軍監督、同伊藤智仁投手コーチや日本ハムの荒木大輔投手コーチに、阪神の平田勝男2軍監督ら教え子は各球団で活躍中だ。

 さらに日本代表の稲葉篤紀監督、ホークスの背番号「19」を譲り受けた甲斐拓也らも薫陶を受けている。

 野村氏の監督時代の代名詞は「ID野球」。データを重視した緻密な野球で弱者が強者に勝つ兵法を説いた。だが、そのミーティングでは野球論にとどまらず人生訓にまで及んでいる。

 「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」

 「野球に学び、野球を楽しむ」

 「功は人に譲れ」

 「失敗と書いて、成長と読む」

 教え子の多くは、現役時代のミーティングで野村氏の教えをノートにメモして、今でも指導者としての指針としている。

 そこが「野村遺産」のすごいところであり、これだけの教え子が各球団で重用されている理由なのだろう。

 その野村氏が監督として最も輝いたのはヤクルト時代だが、スワローズは今、2年連続最下位と不振にあえいでいる。

 昨年オフには主力選手のFA流失が危惧された。何とか山田には7年35億円、エースの小川泰弘には4年7億5000万円と高年俸を提示して引き留めに成功したが、これは現有戦力が残っただけで補強とは違う。

 今季も前述の奥川やドラフト1位の木沢尚文ら投手陣の底上げと活躍がなければ上位進出は難しい。

 「(野村さんは)絶対見ているだろうし、絶対怒っているだろうし、絶対何をやっているんだって言っているでしょうから、何とか見返したいと思います」。高津監督は、恩師の一周忌に決意を語った。

 確かに下馬評は低いが、ヤクルトは意外性のチームでもある。

 過去のデータを紐解くと野村監督時代の1994年からの5年間の順位は4位、1位、4位、1位、4位とジェットコースターのようだ。さらに2015年には真中満監督でリーグ優勝したが、その前の2年間は連続最下位からの逆襲だった。

 今のままではノムさんも浮かばれない。汚名返上。もう一度、野村野球の原点である弱者の兵法を駆使して這い上がってほしい。

荒川 和夫(あらかわ・かずお)プロフィル

スポーツニッポン新聞社入社以来、巨人、西武、ロッテ、横浜大洋(現DeNA)などの担当を歴任。編集局長、執行役員などを経て、現在はスポーツジャーナリストとして活躍中。