9月8日、プロ野球中日の福留孝介外野手(45)はバンテリンドームナゴヤで引退会見に臨んだ。「これだけ好きな野球をやらせてもらった」と表情は終始、晴れやかだった。抜群の打力と外野守備で一時代を築き、日米24年間で2450安打を積み上げた「チームの顔」。2020年シーズンを限りに阪神退団が決まった際は引退も覚悟したという。復帰のオファーを受けた古巣での2年間ではわずか計43安打に終わったが、チームには“無形の財産”を残した。(共同通信=原嶋優)

 

 ▽引退覚悟から古巣へ
 米国から2013年に日本球界に復帰し、阪神で8年間プレーした後、自由契約となった。この時、既に43歳。どこからもオファーがなければ引退の決断をしなければならなかった。「(契約の)話がなかったら辞めるんだなと。それは子供たちにも話をした。ある程度、(引退の)覚悟は持っていた」と当時を振り返る。
 思いが通じ、ようやく声がかかった。プロのキャリアをスタートさせた中日からだった。2007年以来の復帰。手薄だった代打としてだけでなく、日米で培った経験をチームに植え付ける役目も期待されての入団だった。
 入団会見で、自らの役割についてこう語った。「若い選手が野球を続けていく中で僕が経験したことでプラスになることがあれば伝えていければ」

 ▽チームに残したもの
 中日に復帰した2021年の春季キャンプ。2軍スタートとなり、沖縄県読谷村のグラウンドで若手と汗を流した。その時、高卒ルーキーだった土田龍空内野手が打撃のアドバイスをもらおうと思い切って福留に声をかけた場面があった。練習中は他の選手に目をこらしていた様子はなかったが「(捕手側の)後ろの脚を折らないように」と即座に修正点を指摘した。
 土田は「クールなイメージだったけど、優しくて、親切に1年目の僕にも教えてもらいました。それを意識してずっと練習しました」と、振り返る。百戦錬磨のベテランからの助言は、若手選手にとって大きなモチベーションにもつながる。2年目の今季は後半戦から1軍に定着。抜群のセンスを誇る遊撃守備でも見せ場をつくりながら、打撃でも52安打を放って飛躍の年にしてみせた。
 土田だけではない。この2年間、多くの若手選手たちの生きる教科書となってきた。好機の場面では「腹をくくるしかない」といった精神面から、球の待ち方や打撃フォームなど技術的なことまで。“福留塾”はいつも門を開けていた。
 シーズン中に打撃の状態が上がらなかった木下拓哉捕手には自身のバットを「使ってみるか」と渡し、3年目でレギュラーをつかんだ岡林勇希外野手にはグラブを送った。打たれて降板した投手には打者目線からアドバイスする姿も。引退が決まり、各球団へのあいさつのため1軍に同行していた期間も、試合前には若い選手に声をかけ続けた。感じたことは最後まで惜しみなく伝えた。
 一方でその行動は、自らの引き際を悟ることにもなった。「若い選手を見ていて、応援するような気持ちが強くなりました。そこが強くなって潮時かなという思いがありました」と、ユニホームを脱ぐ決断へとつながった。
 9月の引退試合の数日前。2軍のナゴヤ球場で若手に語りかけた。「正直に言えば、ここにいる若い選手にまだ負けないという気持ちも持っている。僕が負けたなと思えるものを来年見せてもらえるように。最後に一つだけ、もっと野球に興味を持ってください」 

 ▽日米で野球を追求
 デビューから引退までの長い道のり。高いレベルに身を置いた選手ならではの苦しみも少なくなかったはずだが、「毎日、意外と楽しく来ていた。下にいれば、後は上に上がれる。僕自身がプラス思考だったのかもしれません」と笑った。
 米大リーグでは思うような活躍ができない野手が多い中、大型契約で海を渡った福留は、苦労しつつもカブスなど3チームで498安打、42本塁打をマークした。安打数は日本選手としては6番目だ。1年目にはファン投票でオールスター戦にも出場し、過酷なマイナー生活も経験。「いいことも悪いこともあった。でもまた違った野球を体感できて、自分の勉強になりました」
 

 米球界にも「FUKUDOME」の名は刻まれている。引退セレモニーでは、功績をたたえるメッセージがカブス関係者からも届いた。オーナーのトーマス・リケッツ氏も含まれている。さらに、本拠地シカゴのメジャーデビュー戦で、九回裏に球場を熱狂の渦に導く同点3ランを放った、2008年3月31日の映像も流された。
 大リーグ経験があり、2021年に1年間だけ中日でプレーした米国出身のマイク・ガーバー外野手は、日本で福留とチームメートになると知って「まだプレーしているのか」と驚いたという。同時期にプロの世界に入った選手たちが次々と引退していく中で45歳まで現役を続けた。日米で野球を追求し、最後は後輩たちにその経験を伝えた。「若い選手の中に何か残ってくれればいいなと思う」。これからは「福留の教え」を授けられた選手が、野球界で活躍してくれるはずだ。
 × × ×
 福留 孝介(ふくどめ・こうすけ)大阪・PL学園高の95年ドラフト会議で7球団から1位指名を受けたが、交渉権を得た近鉄入りを拒否して社会人の日本生命へ。99年に1位で中日に入団して首位打者を2度獲得。08年からは米大リーグでプレーし、13年に日本球界に復帰。日本代表として五輪やワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で活躍した。182センチ、90キロ。右投げ左打ち。45歳。鹿児島県出身。