ドイツ中西部に位置するヘッセン州のラインガウ地方は、モーゼル地方と並ぶドイツワインの銘醸地として知られている。8月末、ラインガウ地方にあるガイゼンハイム大学の「ブドウ栽培研究所」と、およそ900年の歴史を誇る「クロスター・エーバーバッハ醸造所」が赤ワインで名高いアスマンスハウゼンに所有するブドウ畑を訪れた。新型コロナウイルスが世界的に大流行してから初めての取材旅行だった。(ハンブルク在住ジャーナリスト、共同通信特約=岩本順子)

 ▽30年後の栽培環境

 ガイゼンハイム大学のブドウ栽培研究所が所有する36万平方メートルのブドウ畑はさまざまな実験に用いられており、今も複数のプロジェクトが進行中だ。

 そのうちの一つが、排出される二酸化炭素(CO2)の増加が主な要因とされる気候温暖化がブドウや野菜の生育に与える影響を観察する「FACE(Free―Air CO2 Enrichment)」と呼ばれる研究だ。日本語では「開放系大気CO2増加実験」と呼ばれ、世界各地で小麦やトウモロコシ、稲などの植物を対象に実施されている。

 1958年以降、大気中のCO2の平均濃度を測定している米海洋大気局(NOAA)のデータを基に予測を立てると、2050年にはCO2排出量が現在の約410ppmからさらに20%増加するという。

 この環境でブドウはどのように成長するのだろう。 同研究所ではそれを確認するため、30年後となる2050年を想定した大気下での栽培実験が行われている。

 ▽粒が大きめに

 直径12メートルのサークル状に並ぶ高さ2メートルの台の上に設置された36個のCO2排出口が「2050年の環境」をつくり出している。観察の対象はこのサークルの内側で育つブドウの成長具合だ。

 ブドウ畑の中にあるサークルに近づくと、排出口のノズルが開閉してCO2が人工的に送り込まれる音が聞こえる。CO2がサークル内にうまくたまるように、風向きに応じて自動制御で排出されている。サークルの近くには比較用として、別のサークルが設置されている。こちらでは、CO2の排出は行わず、自然の環境下で栽培している。

 試験用のブドウはドイツ固有の白品種である「リースリング」と、世界各地で栽培されているボルドーの赤品種「カベルネ・ソーヴィニヨン」だ。いずれも12年に植樹され、14年にデータ収集が開始された。実るブドウの房や粒のサイズに始まり、葉や蔓の成長具合まで細かなデータがとられている。同時に、光の量や土壌の水分、畑に生息する昆虫などへの影響も調査している。

 これまでに集められたデータから次のようなことが判明した。実験開始から3年あまりが経過すると①ブドウ全体の重量が微増する②ブドウの粒もやや大きくなっている―といったことだ。粒が大きくなると、房が小ぶりの品種では粒と粒の間に隙間がなくなる。その結果、雨でぬれた後に粒が乾燥しにくくなり、カビ菌が繁殖しやすくなる

 このような場合、同一品種でも小粒で粒と粒の間に十分な間隔がある「バラ房」と呼ばれる選別種(クローン)を栽培することで対処できる。

 リースリングに関しては一房当たりの粒の数が増えており、収量も18%ほど増加しているという。糖度もやや高くなり、風味にもわずかながら変化が見られるとされる。

 このように、FACEの実験から得られる数々のデータは、将来にわたってそれぞれの品種の個性を維持しつつ、理想的なブドウを安定して収穫し続けるためにはどうすべきかという指標を与えてくれる。

 ▽環境保護と経済性

 クロスター・エーバーバッハ醸造所は約250ヘクタールのブドウ畑を擁するドイツ最大の醸造所である。ラインガウ地方で栽培されているブドウはリースリングが主流だが、同醸造所が所有するアスマンスハウゼンの畑では先述したように赤品種の「シュペートブルグンダー(フランス語でピノ・ノワール)」の栽培で知られる。

 訪れた「ヘレンベルク」と呼ばれる畑では、「BioQuis」と呼ばれるプロジェクトが進行中だった。日本語で「急傾斜畑での水平テラス栽培による生物多様性(バイオダイバーシティ)の促進」という意味の略語だ。ガイゼンハイム大学が地元にある複数の醸造所と協力して行っている研究で18年にスタートした。

 急斜面を開墾したブドウ畑の多くは、斜面に沿って設置した垣根に枝をはわせている。1970年代以降に導入された合理的な栽培方式なのだが、作業の負担は大きく時間とコストがかかる。土壌の浸食という問題もある。畑作業には危険を伴うので、放置される畑が増えている。

 一方、急斜面のブドウ畑は伝統的な景観であり文化遺産であると考えられているため、保存を求める声も強い。そこで、BioQuisでは斜面をゆったりとした段々畑に作りかえた。畑の段差を形作る土手や垣根の間には地域固有の多様な野草の種をまいて緑化している。生物多様性を実現することが目的だ。

 栽培方向を変更した結果、畑作業は容易になった。小型のトラクターが利用できるため、作業コストを50%減らせるという試算もある。ブドウ畑の景観を保持しながら、土壌の侵食を防止することも可能になった。緑化により、生物多様性も実現しつつある。順調に行けば、環境保護と経済性の両立が図れる、いいことずくめのプロジェクトなのである。

 BioQuisの試験畑においても、「昆虫の生息状況」や「ブドウの生育」「病害における異変」「局地的気候や土壌が保つ水分の変化」など細かなデータが取られている。全ての急傾斜には適用できるわけではないそうだが、急傾斜の畑を所有している多くのブドウ農家にとっては朗報に違いない。

 ▽未来のブドウ畑は

 ブドウは植えてからおよそ3年で樹形が完成し、その後、約25年にわたって安定した収穫量を約束してくれる。手入れ次第で、樹齢はさらに伸びる。ブドウ栽培には長期的視点が欠かせない。これから新たに植樹するブドウは30年後の栽培環境に可能な限り適応できる方がいい。

 その畑が生物多様性にあふれ、人間にとって安全で働きやすく、ブドウにとっても居心地の良いものであれば理想的だ。ラインガウ地方で進む二つの研究において、学者たちは未来のブドウ畑のあり方を模索している。

 さて、2050年のドイツのブドウ畑と出来上がるワインはどのようなものになっているだろうか?