新型コロナウイルスの感染が拡大する中、ある夫婦が経験した初産は想定外の連続だった。感染リスクが障壁となり、立ち会い出産は禁止に。パパの産後の面会はオンラインに制限された。父親となった大学教員吉川遼(よしかわ・りょう)さん(31)は「何もかもが不安だった」と打ち明ける。コロナ禍の初産を、夫の目線から追った。(共同通信=坂野一郎)

 ▽1人だけ

 6月12日未明、名古屋市の産院。小学校教諭の妻千佳(ちか)さん(29)が陣痛で顔をゆがめ、歯を食いしばりながら分娩室(ぶんべんしつ)へ運ばれていく。この日、強い痛みが出てからは嘔吐(おうと)を何度も繰り返し、遼さんはただ腰をさすり続けることしかできなかった。

 「苦しそうだ…」。何か力になりたかったが、感染防止のため、出産には立ち会えない。妊娠中、励ましてくれた千佳さんの母や姉は建物の中にすら入れなかった。「この先は千佳に頑張ってもらうしかない」。無力感を感じながらも、妻を分娩室に送り出した。

 1時間半後、無事に長男の圭(けい)ちゃんが誕生した。「顔を見たら、痛さが吹き飛んだよ」。わが子の傍らで、千佳さんが笑う。苦しい初産を終えた妻とは15分だけ面会が許され、感動を分かち合った。しかしそれもつかの間。ピピピッ、ピピピッ。タイマーの無機質な電子音が鳴った。「面会終了です」

 ▽一変

 昨秋に妊娠が分かり、夫婦で胎児のエコー画像を見たときは自然と涙が出た。「自分が父親になる」。その実感はすぐには湧かなかったが、出産までの流れや、立ち会い出産の資料を読むと、期待で胸が膨らんだ。健診も夫婦で通い、全ては順調だった。

 年明けから状況は一変。新型コロナウイルスは世界中にまん延し、瞬く間に日本にも及んだ。夕食時、テレビが妊婦が重症化する可能性や著名人の訃報を伝えると、箸が止まり、食卓に緊張が走った。コロナウイルスが夫婦の話題にならない日はなかった。

 「絶対に感染できない」。その思いとは裏腹に、近所の病院では集団感染が発生し、恐怖感は日に日に増していく。遼さんは大学教員で、千佳さんも小学校教諭。多くの学生や児童と触れあう職業だ。仕事以外にどれだけ外出を控え、手を洗っても、不安を拭うことはできなかった。

 4月に政府が緊急事態宣言を発令すると、状況はさらに悪化。産院の立ち入りは本人のみになり、遼さんは車内で妻が検診を終えるのを待つことになった。窓の外に目をやると、駐車場にはパートナーを待ち車内でスマホに目を落とす男性が何人も。見慣れない風景に面食らいながら「こうやって当たり前は変わって行くのか」と思った。下旬には、2人が強く希望していた立ち会い出産も禁止になった。

 ▽もやもや

 「一緒に親になっていく過程をすっとばしてしまった気がする」。遼さんは、ずっともやもやを抱えていた。妻のおなかは次第に大きくなっていったが、自分の体に変化はない。出産直前の妻の姿は壮絶で、言葉にできない痛みがあったことは想像できるが、やはり男には分からない。妻の負担をできるだけ減らそうと、妊娠中も食事や掃除などの家事はやってきたつもりだったが、コロナ禍での妊娠を「押し付けてしまった」ような、申し訳なさに近い感情が常にあった。

 出産直後も圭ちゃんを抱っこできたのは数分で、その後はスマホによるオンライン面会のみ。病院や自治体が主催する授乳や沐浴(もくよく)を学ぶ両親学級は相次いで中止になった。読みあさった育児雑誌には付箋が増えていったが、親になった感覚がなかなか持てない。スマホの向こうで千佳さんが圭ちゃんをあやしている姿を見ると、置いてけぼりになっているように感じた。そんな気持ちを抱いてしまっていること自体が、未熟で、親失格なんじゃないかとも思った。2人が退院するまでの自宅は静かで、広すぎた。子どものために用意したミッフィーの人形も少し寂しく映った。

 ▽スタートライン

 退院の日、空は晴れていた。いつものように駐車場に車を止め、千佳さんを待つ。緊張感からか落ち着かず、この日はスマホをいじる気にはなれなかった。待つこと数十分。白いおくるみに包まれた圭ちゃんが、千佳さんに抱かれてやってきた。

 たどたどしくわが子を抱えあげると、「いいねー、ようやくパパに抱っこしてもらえたね」と千佳さんがほほ笑む。初めてゆっくりと抱いたわが子の手触りは柔らかく、体温を感じた。

 そのとき、昼間の強い日差しが何かこの子に障らないだろうかと気になった。「早く涼しい車に乗せてあげよう」。子を抱き、父親の自覚が芽生えていることに気付いた。

 「ようやく一緒にスタートラインに立てた」。遼さんは自宅で眠る圭ちゃんを見てそう思った。一生に一度の初産はコロナウイルスに翻弄(ほんろう)されたが、この子がここに生まれてきたことに喜びを感じる。収束は見通せないが、家族3人で新しい日常を生きていく。