昨年4月19日、東京・池袋で乗用車が暴走し、横断歩道を渡っていた母子が死亡した事故の初公判が10月8日、東京地裁で開かれた。旧通産省工業技術院の元院長、飯塚幸三被告(89)は「心からおわび申し上げます」と謝罪しながらも「アクセルペダルを踏み続けたことはないと記憶している。車に何らかの異常が発生し、暴走した」と述べた。それが多くの人の激しい怒りを買っている。(47NEWS編集部・共同通信編集委員=佐々木央)

  ■事件がつくる2種類の弱者

 犯罪はその両側に2種類の弱者をつくり出す。報道に接してあらためてそう思った。

 一方は犯罪行為の客体の側、被害者とその家族だ。そしてもう一方は、主体の側、加害者または加害者と疑われた人と、その家族である。

 この場合の「弱者」とは、人種や性別をはじめ社会的に固定した集団・階層として差別・抑圧されている人たちを意味しない。世田谷一家4人殺害事件の被害者遺族、入江杏(あん)さんに教えていただいたことだが、彼女は事件直後、警察から「被害者の手引き」を渡されたとき、「自分はヴァルネラブルな存在になった」と感じたという。

 入江さんは海外生活が長く、英国の大学で教えていたこともある。vulnerableは「脆弱な」などと訳すが、英語のニュアンスに従えば「本来は苦難を乗り越えていける強い人間なのに、事件によって弱い存在にされた」という意味だ。

 逆に言えば、強さを取り戻す力を持っていることが含意されている。

 加害者が弱者ということにも注釈がいるかもしれない。加害者は被害者を傷つけたり死なせたりしたのだから、弱者であるわけがないという見方もあるだろう。

 しかし、罪を犯す前に、既に社会からはみ出していた人もいるし、何かに依存していた人もいる。いじめられ、虐待されて、強者とはいえない人も多い。

 そして事件が起きてからは、間違いなく弱者となる。捜査や裁判の過程では、圧倒的な力を持つ国家権力と向き合わなければならない。世間は自分をそしり、ののしるが、あらがうすべはない。だが、それは自業自得だと、切り捨てることもできるだろう。

 加害者の家族はどうか。近代法の原則に従えば、本来、家族は連座しないはずだが、現実には累が及ぶ。

 大きな事件であれば、記者やカメラマンが殺到して、ちょっとした外出さえ、ままならなくなる。職場にも行きづらくなって離職したり、近所の人に後ろ指を指されて転居を余儀なくされたりする。

 苦しみ悩んで、死を選ぶ家族さえいる。

 2種類の弱者のうち、被害者や被害者遺族については、近年、支援の動きが広がってきた。しかし、加害者家族にはほとんど何もない状態が続く。

 ■悪質性強調する報道も

 数少ない加害者家族支援の団体、NPO法人「World Open Heart」(WOH)代表の阿部恭子さんが、講談社のネットメディア「現代ビジネス」で、池袋暴走事故についてリポートしている。タイトルは「『上級国民』大批判のウラで、池袋暴走事故の『加害者家族』に起きていたこと」。阿部さんの了解を得て、一部を紹介したい。

 WOHの「加害者家族ホットライン」に電話があったのは昨年4月下旬。父親が運転していた車が事故を起こし、多数の被害者を出したという内容だった。以下、阿部さんの文章を引く。人物の関係が分かりやすいように、適宜、丸カッコで補った。まず、最初の電話の様子。

 ―被害者の方々の容態が心配で、車に同乗していた母親(飯塚元院長の妻)も生死にかかわる重傷だという。(元院長の息子は)何日も食事が喉を通らず全く眠れていない。言葉は少なく、憔悴しきっている様子が伝わってきた。

 精神的に相当追い詰められている相談者に対し、筆者は精神科に行くよう促し、無事を確認するため何度か電話を入れていた。相談者が、「池袋暴走事故」の加害者家族だと判明したのはだいぶ後のことだった―

 元高級官僚だから逮捕されない。そう信じた人たちによる「上級国民」叩きが始まっていた。その中でいくつかの誤った情報が流れたと、元院長の息子は阿部さんに話す。それがバッシングを激化させた。

 その一つは、加害者の不逮捕に家族も関係した可能性があるという憶測だ。事故発生直後、救急車の到着前に飯塚被告が息子に携帯電話をかけていたという報道が根拠となった。

 ―しかし、実際、息子が電話を受けたのは事故から55分後だった―

 テレビでは、元院長が「予約していたフレンチに遅れそうだった」と供述したと報じた局もあった。「上級国民」の身勝手さが強調されたが、息子の言い分は違う。向かっていたのは、遅れても構わない馴染みのごく普通の小レストランだったという。

 「医師から運転を止めるように言われていたにもかかわらず運転していた」という報道もあった。これにも反論する。

 ―そのような事実はなく、車を擦ったりぶつけたりといった家族が不安になるような問題も起きてはいなかった―

 ■自らを責め続ける母親

 家族は当然、取材を受けたはずだ。そのときに抗弁すればよかったではないか。だが、阿部さんはこう言う。

 ―報道陣は家族のところにも来たが、加害者家族の立場で発言しても揚げ足を取られ、さらにバッシングが酷くなるとしか考えられず沈黙を貫くほかなかった―

 阿部さんが元院長の息子と話をするとき、被害者を気遣う言葉が出なかったことはなかった。「被害者やそのご家族の気持ちを思うと、いたたまれない」といった言葉だ。

 ―(元院長の)車に同乗していた母親は、ICUに20日間入る大怪我を負った。命はとりとめたものの自らを責め続け、悲嘆にくれる毎日を過ごしている。

 母の様子を見るたびに、事故で怪我をされた被害者とその家族も、相当に辛い思いをされていると思い心が苦しくなるという―

 家族の間にも大きな亀裂を生んだ。

 ―加害者家族もまた人生を狂わされ、重い十字架を背負うことになってしまった。(元院長の息子は)家族として、事故を起こした父親に対して怒りが抑えられなくなる瞬間もあるという―

 事件事故を担当する社会部記者として仕事をしてきて、こういう事態を知らないわけではなかったが、目を背けてきた。いや、加担してきたと認めるべきか。だが、阿部さんのリポートを読んで、メディアや個々の記者にできることはあると感じた。

 ■対象への接近という基本

 大事件や大事故の発生直後、現場は混乱し、不確かな情報も氾濫する。それに惑わされたり、拡散してしまったりしないためにどうするか。あるいはそうしてしまったとして、その後、どうするか。

 阿部さんを通じて加害者家族が訴える“誤情報”について、具体的な対応を考えてみた。それは対象への接近という、記者にとってはとても基本的なことだ。

 まず、加害者が息子に電話をかけた時刻を厳密に確認する。警察だけでなく、飯塚元院長や息子にも聞きたい。予約したという店を訪ねる。どんな店なのか。行けば、来店時の元院長の様子も聞くことができるだろう。

 運転を控えるよう指示したと報じられる医師にも会いたい。患者のプライバシーに関わるからハードルは高いと思うけれど、元院長や息子が許したら、話してくれるかもしれない。

 そして何より、懲罰的な気持ちを捨てて、元院長や家族に話を聞きたい。

 本稿の最初の方で「2種類の弱者」と書いた。しかし、重大な事件が起きたときに傷つくのは被害者側と加害者側だけではない。それに比べれば、はるかに小さいけれど、人々もまた傷つき、おののく。そして、その集積は社会的に強い力を持つ。このたびの池袋事故の被告への厳しい反応もその現れだろう。

 加害者側の真摯な応答は、そうした傷を癒やすのに役立つと、私は信じる。

 この原稿を書き終えたら、元院長や家族に会えないか、阿部恭子さんに頼んでみるつもりだ。