ミャンマーで起きた軍事クーデターが、日本で難民認定を求めるミャンマー人の裁判に波紋を広げている。折しも政府は、入管難民法の改正案を国会に提出しているが、裁判の現場から見ていくと、根本的な疑問にたどり着く。改正案に妥当性はあるのか。難民保護のあるべき姿とは…。「知られざる法廷」から説き起こしたい。(ジャーナリスト、元TBSテレビ社会部長=神田和則)

 ▽民政移管後も続くミャンマー難民

 2月16日、東京地裁。日本で難民認定を求めるミャンマー人男性Aさんの本人尋問で、発生したばかりの軍事クーデターが焦点となった。

 弁護士「あなたは、今回の2月1日の軍事クーデターを、どのように受け止めましたか」

 Aさん「(国家最高顧問で民主化運動のリーダー)アウン・サン・スー・チーさんや大統領を拘束してクーデターに出た…。前に軍が権力を握っていたときよりもひどい状態だと思います」

 Aさんは軍事政権時代の2002年に韓国から日本に入国した。06年、不法在留容疑で逮捕され、執行猶予付き有罪判決を受けて入管に収容、退去強制令書が出された。その後、仮放免となり、軍政を批判する雑誌の編集や発行の活動などに関わった。これまでに4回、難民認定を申請したが、認められず、裁判では難民不認定とした国の処分取り消しなどを求めて争っている。

 UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)による19年の統計によれば、ミャンマーは難民の出身国として上位から5番目に入り、その数は約110万人に上る。「民政移管」したとされる11年以降も、世界におけるミャンマー難民の認定率は7〜9割に上る。しかしこの期間、日本では難民と認定される人は激減している。

 なぜ民政移管後もミャンマー人の難民申請者は後を絶たず、なぜ日本政府は難民と認めないのだろうか。

 ▽難民像の塗り替え迫るクーデター

 Aさんの法廷に戻る。

 弁護士「スー・チーさんのNLD(国民民主連盟)政権が誕生した後なら、あなたは安全に国に帰れるとは考えなかったんですか」

 Aさん「入国管理局(組織改正で現在は出入国在留管理庁)の方から(そういう意味の)質問を受けましたが、NLDがたとえ政権を握ったとしても、軍の勢力が残っている限り、あるいは刑務所の中に民主化を望む政治犯がいる限り、私は帰れませんというふうに答えました」

 弁護士「実際にあなたが心配している状況は、今回の軍事クーデターによって明らかになったということも言えますか」

 Aさん「ミャンマーにいる民主化を望む人たち、日本で活動をしている人たちへの危険は一層増したと思います」

 尋問でAさんは、クーデター後、民主化運動に関わりネットで影響力がある親類に逮捕状が出たことも明らかにした。

 Aさんは民主化が進んだかのように見えながらも、一定の勢力を維持してきた軍の影におびえ、難民認定を繰り返し求めてきた。だが日本の入管は、Aさんが主張するミャンマーの現実に耳を貸そうとしなかった。そして、恐れていたことは現実となった。

 2カ月前に取材した東京高裁判決を思い出す。この裁判では、ミャンマーの少数民族・カチンの女性が難民認定を求めていた。

 裁判長は、16年にスー・チーさんが率いるNLD政権発足後もミャンマー国軍とカチンの武装勢力との紛争地域で、一般市民も巻き込んだ人権侵害が継続していたことは認めた。

 ところが、軍の武力攻撃は、天然資源の取得などを目的とした局地的なものにとどまり、カチンなど少数民族の迫害が目的ではないなどとして難民性を否定した。入管側の主張に沿った判断だった。支援者らの間では、ミャンマー情勢に対する認識不足に失望感が広がった。

 Aさんとカチンの女性の代理人を務める渡辺彰悟弁護士は「今回のクーデターは、入管が考えている難民像を塗り替えるものだ」と指摘する。

 「民政移管されたと言っても状況は流動的で、現地ではさまざまなことが起こり得るし、現に起きている。軍に批判的な活動をした人は、もし軍が自分のことを知ったならば迫害されるのではないかと、将来への恐れや不安を抱いて難民認定を求めているが、日本の入管はこうした人を難民と認めてこなかった」

 ▽改正案では長期収容問題は解決しない

 難民条約で難民とは「人種、宗教、国籍、政治的意見や特定の社会集団に属するなどの理由で、自分の国にいると迫害を受けるか、迫害を受けるおそれがあるために他国に逃れた人々」のことを言う。

 さらに難民を、生命や自由が脅威にさらされるおそれのある国へ強制的に追放したり、帰還させてはいけない、保護を求めた国へ不法入国し、また不法にいることを理由として罰してはいけないとも、うたわれている。

 「私は国に帰れば迫害を受けるおそれがある。だから帰れない」。Aさんの法廷での主張を追っていくと、いま、国会に提出されている入管難民法の改正案は、本当に改正と言えるのか、難民条約の精神から外れているのではないかという問いかけにたどり着く。

 改正の必要性について入管は、国外退去処分を受けた外国人の収容が長期化しているため、その解消を目的としていると主張する。

 これに対して渡辺弁護士をはじめ、入管問題に詳しい関係者は「改正案は長期収容の解決にはつながらない」と真っ向から反論する。

 「そもそも送還を拒む人がたくさん出てくるのは、難民と認定されるべき人が適正に認定されていないからだ。それに加え、東京五輪に向けて、入管が『収容』と『送還』を強化し、多くの人を収容した。帰るに帰れない人は送還に応じない。収容長期化は必然の結果だった」

 弁護士や支援者の主張をもう少し掘り下げたい。

 実は、退去処分とされた人の大半は自ら出国している。帰国を拒んでいるのは、Aさんのように「国に戻れば身の危険がある」と訴えている人や、日本に家族がいるケースだ。

 19年の難民認定率を見ると、日本はわずか0・4%、欧米諸国に比べ、けた違いに少ない。難民条約の精神や国際的な水準を踏まえれば、本来、難民と認められるべき人が認められずに収容されていることが明らかだ。

 こうした「難民鎖国」の土台の上に、入管の厳しい対応がある。

 15年の入管局長通達は、相当期間が経過しても送還の見込みが立たない場合は「人道的な観点からも仮放免を活用する」されていた。ところが16年の局長通知で一変する。東京五輪をにらんで、送還を拒んでいる人など社会に不安を与える外国人を大幅に縮減することが、喫緊の課題とされた。6カ月以上の長期収容者が増える傾向が生じたのは、このころからだ。

 ▽刑務所から入管施設への無限ループ

 では、このたびの入管難民法の改正案は、何を目指すのか。

 まず3回以上の難民申請者については、原則として強制退去の対象となる。現行法では難民認定手続き中は送還が停止されているが、取り払ってしまうのだ。日本も加入する難民条約は難民の可能性のある人の送還を禁止しており、これに明確に違反する。

 Aさんのように4回申請してもはねつけられ、裁判で救いを求めようとする人は、それ以前の段階で、危険が迫る母国に送還されることになる。

 退去強制の拒否には刑罰を設けた。帰国を拒めば、刑務所で服役させる。刑期満了後は入管施設に戻る。そこでまた送還を拒否すれば刑務所へ…。「身柄拘束の無限ループに陥る」と支援の弁護士は憂慮する。

 「監理措置」という制度を新設した。上限300万円の保証金を払えば、入管が指定した「監理人」の下で社会生活を認める仕組みだ。しかし「監理人」には、対象となる人の監督、状況の届け出義務が生じ、違反すれば罰則が科せられる。「支援者や権利を守る立場で活動する弁護士と監視役は両立せず、なり手がいない。金銭で監理人を請け負うビジネスが始まるのではないか」と懸念が広がる。

 ▽命奪われる悲劇が繰り返された

 今回の改正案は一昨年、長期収容に抗議したナイジェリア人がハンストの末、亡くなった事件を契機に浮上したが、深刻な事態は再び起きた。今年3月6日、名古屋入管で収容されていた30代のスリランカ人女性が無残な死に追い込まれた。

 支援団体によると、女性は母国で大学卒業後、日本語を学んで日本の子どもたちに英語を教えるという夢を胸に、17年に来日した。しかし、日本語学校の学費が払えずに留学生ビザが失効し、昨年8月から収容されていた。

 今年1月に血を吐き、その後も、おう吐を繰り返した。めまいや動悸(どうき)もあって、食べられず、水も飲めない状態になった。2月の面会時には、おう吐に備えてバケツを抱え、車いすで現れた。面会中も吐いていた。

 亡くなる直前の3月3日、唇は黒く、話をすると泡を吹き、皮膚もかさかさ、指も曲がっていた。面会は10分ほどで中止に。最後の言葉は「きょう連れて帰って」だったという。

 支援団体は「入院させて点滴を打つよう求めたが、入管は拒否した。助けようと思えば、仮放免で救えた命だった。収容・送還一辺倒の中で、事件は起きた」と訴える。

 難民認定も、無期限の収容も、仮放免も、退去強制も、送還も、すべてにわたって第三者機関による関与・チェックがない。そのブラックボックスが、人の生死まで左右している。改正するなら、まずそこから見直さなければならない。

 難民や入管のあり方をめぐって争われながら、傍聴人もほとんどいない、報道もされない裁判は、決して少なくない。知られざる法廷は、日本という国のあり方を根本から照射し、問いかけている。