トカラ列島―。どこか異国情緒を感じさせる響きの12の島々は、鹿児島県の本土と奄美大島の間の南北約160キロにわたって点在している。ありのままの自然や島へ渡る手段の少なさから「日本最後の秘境」とも呼ばれる。七つの有人島で4月27、28日に、島民を対象にした新型コロナウイルスのワクチン接種が行われた。全国でもあまり例のない、大がかりな離島の一斉接種。医師団の許可を得て、現場に同行取材した。(共同通信=木下リラ)

 ▽悪天候で急きょ予定変更

 いずれの島にも1、2人の看護師はいるが、常駐医はいない。フェリーにワクチン管理の超低温冷凍庫を積み込み、本土や奄美大島の医師と看護師が各島の接種会場を巡回する。

 (1)出発前2週間の健康チェック(2)単独で島を歩き回らない(3)3泊4日の食料を持参する―。これが同行取材の条件だった。

 「台風2号の影響で波のうねりが強い。最初に予定していた平島には接岸できなくなった。先に悪石島へ向かう」

 出航当日の4月26日午前、トカラ列島がある十島村の担当者が決断した。島に渡る手段は週2回往復する村営フェリーのみ。天候に左右される離島医療の現状を思い知らされた。ワクチンを心待ちにする島民には、防災行政無線で日程変更を伝えた。

 医師団の構成は医師3人、看護師6人のほか、村の保健師や職員の計19人。日頃から村の巡回診療に携わる鹿児島赤十字病院の医師浜田嵩史さん(35)は「自分も注射したときに痛みがあったので、接種に不安がある人には丁寧に説明したい。もし副反応が起きても現場できちんと対処できるはず」と冷静な口調で話した。

 ▽満月の中の出港、揺れるフェリー

 ワクチンを積んだ「フェリーとしま2」に、26日午後9時半ごろから医師らが乗り込んだ。船内では全員そろって初めてのミーティング。初日分のワクチンの解凍作業も緊張感を持って進められた。

 午後11時、フェリーは満月に照らされた海へ向けて出航。激しく揺れる屋久島海峡を過ぎ、約6時間後に中之島沖で日の出を迎えた。デッキの手すりには結晶化した塩がびっしりと付着し、夜に船が相当な波しぶきを浴びたことを物語っていた。何度もトカラ列島を訪れている看護師でさえ、あまり寝付けなかったようだ。27日午前7時ごろ、悪石島に到着。朝日が照らす船体から、接種会場の小中学校へワクチンは運ばれた。

 ▽安心と笑顔

 小中学校の体育館には、待合用のいすや接種場所となる簡易テントが並ぶ。いずれも、トカラ列島の各島にあるへき地診療所の看護師を中心に島民らも協力して準備したものだ。「アレルギーはありますか」「具合は悪くないですか」。到着した医師らは手際よく問診と接種を進めた。接種対象者は22〜84歳の49人。医師らは約35分で接種を終え、諏訪之瀬島、口之島、中之島へと進んだ。口之島で接種後に軽いじんましんが出た女性が1人いたが、医師がその場で対処し大きな混乱はなかった。

 中之島で民宿を営む日高正信さん(74)は感染防止のため、昨年4月から島外の観光客の受け入れを中止している。にぎわいが戻るのを願いつつも、接客には怖さも付きまとう。「気管支炎の持病もあるので、ワクチンを打って安心感が増した」と笑った。

 悪天候の影響で日程が急きょ変更された平島の住民も「船が遅れるのはよくあること。来てくれただけでありがたい」とおおらかだ。

 ▽動画共有し徹底した打ち合わせ

 トカラの島々は、島ごとに人口構成や土地柄に特色があり、接種のマニュアル作りにも難しさがある。しかし、交通の便が悪いため、医師団全員で事前に現地を下見する時間は取れない。看護師を含めた事前の打ち合わせが成功の鍵を握っていた。

 村役場は、4月上旬に中之島で住民の協力を得て接種や会場設営のシミュレーションを行い、動画を撮影。それを全島で共有して本番に備えた。接種前日までに、全ての会場でほぼ同じように設営が整えられ、回を増すごとに医師団の作業はスムーズに進んだ。

 島民の既往歴や体調、家族構成などを把握している診療所の看護師は、今回の接種において特に重要な存在だった。接種対象者の予診票を事前にすべて回収し、当日会場が混雑しないように時間をずらして住民をグループ分けした。

 諏訪之瀬島の診療所で15年間看護師をしている伊東千香子さん(48)は「みんな家族みたいなものですから」と笑い、会場で住民らの案内や医師団のフォローにてきぱきと当たっていた。住民らの表情からも看護師への信頼が伝わってきた。

 ▽すべて想定内

 6番目の島、小宝島では船が接岸こそできたものの、波のうねりが原因で、会場に向かうための車をフェリーから下ろせなくなった。防波堤のない小さな港のため、これも「よくあること」なのだという。医師らは島の車で移動し、記者は会場まで歩いた。とは言っても一周約4キロの小さな島だ。奇岩を背景に牛が草を食み、軒先に大輪のハイビスカスが咲き乱れる風景を眺めながらあっという間の15分だった。

 接種会場には電動カートに乗った島最高齢の94歳の女性、子ども連れの若い夫婦などが次々と集まり、手際よく接種が進んでいく。

 対象住民の体調不良などで使われずに残ったワクチンは、1日目は船内に居合わせた翌日接種予定だった2人に、2日目は村民ではないがフェリーの乗組員3人に回した。患者の搬送に船を使う可能性があると判断したという。これも村の想定内の対応だった。

 乗組員の竹迫大成さん(24)は「フェリーで感染者が出て船が止まったらみんなが困る。早く打てて良かった」とほっとした様子だった。

 ▽90%の思いに応える

 接種計画の中心を担った保健師肥後あかねさん(34)は「接種希望者を募ったとき、対象者の90%を超えていた。頑張らなくてはと覚悟を決めた」と振り返る。口之島出身で、家族は今も島で畜産などを営んでいる。人一倍強い思いを抱いて連日残業し、準備に専念した。ワクチンを接種すれば安全というわけではないと強調しつつも、島の役に立ちたいと話した。

 ▽緊張が解けた医師たち

 最後の宝島での接種を終えた医師らは体育館で記念撮影。17〜97歳の410人への接種が無事完了し、緊張の解けなかった表情はようやく緩み、晴れやかだった。

 接種計画の責任者を務めた十島村住民課の竹内照二課長(59)は「住民の安心した顔を見ると、頑張ったかいがあった」と達成感をにじませた。「手間取ったところもあったが、次はもっとスムーズにできるはず」と意気込んでいる。

 仕事や通院の都合で鹿児島市や奄美大島と各島を行き来する住民や来島者が絶えることはない。たとえ感染者ゼロが続いていたとしても、1人感染すれば一気にまん延しかねない危機感が島の中ではある。感染拡大が続く都市部からワクチンを打つべきだという考え方もあると思うが、住民同士が日頃から密接な付き合いがあり、医療機関も不十分な離島で集団免疫を作ることの必要性を肌で感じた4日間となった。