通常国会が20日召集された。全く収まる気配を見せない「桜を見る会」問題、統合型リゾート(IR)事業をめぐる汚職事件など、安倍政権の足元を揺るがす問題が山積するなかでの国会だが、その国会召集までの実現を目指していた立憲民主、国民民主両党の「合流」は、結局実現しなかった。(ジャーナリスト=尾中香尚里)

 ▽野党のパフォーマンスは格段に向上

 立憲民主党の枝野幸男代表は、国会召集日の20日までに「合流」の可否を決めるよう要請。国民民主党は20日の両院議員総会で対応を協議したが、結論を出せぬまま「協議継続」の方針を確認するにとどまり、玉木雄一郎代表も「(協議は)いったん小休止になるのかもしれない」と認めざるを得なかった。

 「やはり野党はだめだ」とお決まりの台詞を吐く必要はない。この間の野党の全体状況は、議員数が増えているわけでもないのに、17年の前回衆院選直後の状況より格段に向上している。政党間の駆け引きに右往左往するより、国会の「表」の場での与野党攻防を追う方がはるかに生産的だ。

 とはいえ今回の「合流」問題は、17年衆院選以降の野党状況の変化がうかがえて興味深い面もあった。国会の論戦本格化を前に一度振り返っておきたい。

 ▽「政治は時間の関数」

 言うまでもなく現在の構図は、早期「合流」を求める立憲・枝野氏に対し、慎重な協議を求める国民・玉木氏、という形だ。だが、ほんの半年ほど前まで、この構図はむしろ逆だった。単独での党勢拡大を目指す枝野氏が、国民民主党を含む外野からの「野党はまとまれ」圧力を受けていた。

 いつの間にか攻守が逆転している。その理由を考えると、枝野氏がこれまでたびたび口にしてきた「政治は時間の関数」という言葉が思い浮かぶ。

 「政治は時間の関数」は、枝野氏が若手議員だった頃、台湾の李登輝総統(当時)から聞いた言葉だ。「政治は時間の変化に応じて変わっていくべきものであり、かつて正しかった政治・政策が今も正しいとは限らず、今、正しい政治・政策が、将来にわたって絶対的に正しいわけではない」という意味だと、枝野氏は解釈している。

 さて「合流」問題である。枝野氏はもともと政党間の合従連衡に否定的だったが、2017年の「希望の党騒動」で民進党(当時)のリベラル派議員が排除されたのを機に立憲民主党を結党した経緯も加わり、当初から単独での党勢拡大を志向した。立憲を野党の中核政党に育てて主導権を握り、その上で他の野党との連立で政権を取る構想だ。

 しかし、結党直後の17年衆院選で立憲が獲得した議席はわずか55。野党第1党としては過去最少だった。国政選挙だけで議員を増やし、政権交代を実現するには、一般的には相当の年月がかかる。「桜を見る会」をはじめとする安倍政権の体たらくを見れば、野党第1党がそんな悠長な態度を取ることは許されない。

 また衆院の小選挙区制は、政治の潮目が変わると、極端な選挙結果を生みかねない。民主党政権が誕生した2009年衆院選の一つ前の選挙は、小泉政権下で民主党が惨敗した「郵政選挙」(05年)だった。予想以上の早さで立憲に政権が転がり込んだ時、民主党政権のように政権運営に失敗するわけにはいかない。

 だから枝野氏は、元民進党の仲間で政治理念や政策も近く、新人の多い立憲に比べ経験値の高い国民民主党の議員と、どこかの段階で「ともに戦う」ことを想定し、タイミングをみていたと思われる。立憲への入党を望む国民民主党議員の声は、少なからず枝野氏の耳に入っていたはずだ。

 そこで「時間の関数」である。言い換えれば「急いては事を仕損じる」だろうか。

 ▽満を持しての動き

 枝野氏は一度、時間の関数を間違えて失敗している。結党間もない17年11月、民進党の党籍を持つ地方議員に対し、年内に立憲に入党するか否かを決断するよう促す発言をしたのだ。1年あまり後に迫っていた統一地方選の候補者擁立に向け、立憲からの出馬を希望する新人などとの調整が必要なためだったが、発言は「上から目線だ」と批判された。

 この頃、衆院の「民進系」勢力は、立憲、希望の党(後の国民民主党)、どちらからも立候補しなかった議員による「無所属の会」の三つが拮抗し、参院は後に国民民主党となる民進党が圧倒的に多かった。こんな状況で立憲への結集を呼び掛けても、反発を呼ぶだけだ。立憲が主導権を握れるまで時を稼ぐ必要があった。

 昨夏の参院選。立憲は議席をほぼ倍増させ、伸び悩んだ国民民主との差を広げた。立憲は衆参両院で、勢力として頭一つ抜け出した。野党内で主導的立場を得たこの時点で、枝野氏はまず国民民主、社民の両党に「会派をともにすること」を呼び掛けた。国民民主はもともと立憲に「野党はまとまれ」と迫る立場だったのだから、拒みようもない。

 そして秋の臨時国会。「桜を見る会」の追及をはじめ、共同会派に加わっていない共産党も含めた野党が「ONE TEAM」として力を発揮した。

 20年度からの大学入学共通テストにおける英語民間試験や国語と数学の記述式問題の導入を延期させるなどの成果も勝ち取り、各党間の信頼感も醸成された。立憲の所属議員やコアな支持者の中には、枝野氏以上に他党との合従連衡に忌避感を持つ声もあったが、野党各党が協力を積み重ね成果を出すなかで、空気が多少和らぎ始めた。

 ここまで来て枝野氏は、満を辞して国民民主党と社民党に対し、同時に「立憲民主党に加わってほしい」と呼び掛けた。

 ▽変わった構図

 枝野氏は「合流という言葉は使っていない」と主張するが、外見的には政党を一つにする動きではある。「結党時と言っていることが違う。枝野氏は変節した」との声もある。だが、枝野氏は2年以上の時を稼いで手順を踏んだ。立憲が野党の主導権を握り、さらに野党間の協力が進んで「合流」反対勢力の反発が薄らいだのを見計らい、初めて行動を起こしたのだ。衆院選の候補者擁立作業を考えれば、これ以上は待てなかったのだろう。

 参院選と臨時国会を経て、野党の「合流」に関する構図は「国民民主が立憲を突き上げる」から「立憲が国民民主に呼びかける」に移った。今後「対等合併」が俎上にのぼることは、極めて難しくなった。現時点では「立憲の主体性を維持したまま他党議員に加わっていただく」形でしか「合流」はあり得ない。

 枝野氏は「結党以来の理念を失っていない」と主張できる状況を確保しつつ、結果として「合流」を実現するために、慎重に「時間の関数」を使ったのだと思う。

 一方の玉木氏はおそらく、最終局面で合流「協議」を再び「国民民主が立憲を突き上げる」形に戻すことを狙ったのではないか。玉木氏は枝野氏との党首会談で「党名は立憲民主党以外とする」など、およそ立憲側がのめない提案をした。

 枝野氏の側は「呼びかけに対する玉木氏の答えを待つ」というスタンスであり、おそらく党名や政策を「協議」している意識もなかっただろう。玉木氏がそれを承知していなかったはずがない。「合流を破談にしたのは枝野氏」という構図を作り、その後もさらに協議継続を求めることで「突き上げ」の構図を取り戻そうとしているように、外見的には見える。

 ▽急ぐべきは選挙対策

 しかし、国会では今も野党各党が連日のように合同ヒアリングを重ねている。野党が一つの政治勢力として現実に国会で機能している今、もはや「合流」にどれほどの意味があるのだろう。それより急ぐべきは選挙対策、すなわち衆院小選挙区で野党候補を1人に絞ることだ。付け加えると、政党の「合流」は比例代表の名簿を一つにする効果を生むが、比例代表は小選挙区と違い死票がほとんど発生しないため、政党が「合流」してもいなくても、野党全体の獲得議席はさほど変わらない。

 枝野氏は19日、千葉県酒々井町での講演で「別の党で最大限連携し、将来連立政権を組む。これで何の問題もない」とあっさりと言った。「合流」でごたついているひまがあるなら、両党はそれぞれの主体性を保ちつつ協力し合い、安倍政権にしっかりと対峙する方向に切り替えてほしい。