「総合的、俯瞰(ふかん)的」は、とうとう流行語大賞の候補になってしまった。5日に発表された「2020ユーキャン新語・流行語大賞」ノミネート30語。9月の内閣発足からわずか2カ月で流行語をノミネートさせたのは、ある意味大したものかもしれない。だが、少なくとも菅政権を表す言葉が「国民のために働く内閣」でも「デジタル庁」でもなく、日本学術会議の新会員候補の任命拒否問題だったことは、実に興味深い。傍若無人な権力行使をする強権体質と、一方で国会答弁のふがいなさが、菅首相のイメージとして早々に定着した、ということなのだろう。「学問の自由への侵害」というこの問題の本質は、すでに多くの論考があるのでそちらにお任せしたい。ここでは菅政権の権力行使のありようについて見てみたいと思う。(ジャーナリスト=尾中香尚里)

 「傍若無人な権力行使」とは、分かりやすく言えば「法に基づいて権力を抑制的に使う」たしなみを持たない、ということだ。首相なら当然持っているべきこうしたたしなみを、菅首相はほとんど持っていない。逆に「国民の負託を得て首相の座についた者が、権力を誰に縛られることなく自由に使うことがなぜできないのか」と首をかしげているようにすら感じられる。

 その観点からまず、4日の衆院予算委での、枝野幸男・立憲民主党代表と加藤勝信官房長官とのやりとりを振り返ってみたい。

 学術会議の委員の任命をめぐっては「学術会議が推薦した名簿を、首相がそのまま形式的に任命する」(形式的任命)という法解釈が定まっている。この解釈は1983年、当時の中曽根康弘首相の国会答弁で確立したものだ。ところが、第2次安倍政権下の2018年、内閣法制局と内閣府の学術会議が作成したとされる文書では「推薦の通りに任命すべき義務があるとまでは言えない」と記されていた。

 少なくともこの二つを比較する限り、法解釈は明らかに変更されている。そして、政府はそのことを、法改正や閣議決定の形で国民や国会に知らせることを怠ったわけだ。

 菅政権はこれを認めていない。「政府としての一貫した考え方」と主張している。

 枝野氏はこの「一貫した考え方」の起源、すなわち「首相は学術会議の推薦の通りに委員を任命しなければならないわけではない」という解釈がいつから始まったのかについて質問し、加藤氏から1983年の中曽根政権時代だとの答弁を引き出した。しかし、委員の任命は「形式的」である(推薦通りに任命する)という法解釈は、前述の通りこの時の中曽根首相の国会答弁で確立したものであり、加藤氏の答弁は矛盾する。

 「『形式的任命』は(答弁の)記録が残っている。『推薦の通りに任命しなければならないわけではない』とした記録は残っているのか」と枝野氏。加藤氏は何度も詰められた末に「40年前の答弁なので、その趣旨を今の段階で把握するのは難しい」と答えてしまう。

 記録を出すことはできない(おそらく存在しない)。唯一の記録である中曽根答弁についても「その趣旨を把握できない」。つまり、政府は40年前から「一貫した考え方」など持っていなかったことが分かってしまった。加藤氏の「語るに落ちた」場面だった。

 では、法解釈はいつ変更されたのか。おそらく、2018年の安倍政権下で、40年前の国会答弁など関係なく「官邸の法解釈を『後付け』で内閣法制局に認めさせる」形で、勝手に法解釈を変えたとみるのが自然だ。

 菅首相はこの問題で、しばしば「内閣法制局の了解を得た上での判断です」と繰り返している。それは首相が内閣法制局のことを、政権の自由な法解釈の「お墨付き」を得るためだけの存在としか考えていないことの証左なのだろう。

 一方、この日質問に立った同党の本多平直氏は、こんなことを尋ねた。

 これもよく知られているように、菅首相は任命拒否をめぐる批判に対し「民間出身者や若手が少なく、出身や大学にも偏りがみられる」などとして「組織としての学術会議のあり方」に論点をすり替えようとしている。本多氏はあえて「すり替え批判」ではなく、別の角度から質問した。

 「学術会議について問題意識を持っていたのなら、法律を改正してこの問題に取り組む方法をとらなかったのはなぜか」

 本多氏が例として挙げたのが、安倍政権下の2015年に成立した改正農協法。全国農業協同組合中央会(JA全中)の一般社団法人化をはじめとする内容で、農協の理事の半数以上を、原則として計画的に農業を行っていると認められた「認定農業者」などに限るなど、農協人事のあり方まで規定している。

 本多氏は、学術会議の組織のありようを変えたいなら、改正農協法のように「根本的に法律を改正したらどうか。なぜ人事で6人だけ(任命しない)という方法でやるのか」と問うた。菅首相の答弁はこうだ。

 「(現行の)『法律に基づいてできる』ことだから、法律に基づいて行ったということです」

 なるほど。安倍政権、そして後に続く菅政権の狙いが、だんだんはっきりしてきた。

 本来法改正が必要なことであっても、政権が自由に法解釈を拡大して「法改正は不要」と判断すれば、わざわざ国会に改正案を提出して、野党に突っ込まれる必要もない。政権の判断で自由に権力を行使することができるようになる。つまり国会を無力化することができる。

 だから、まず内閣法制局長官の人事を押さえ、政権の意のままに法解釈ができる環境を作り出したのではないか。

 安倍政権が13年、外務省出身者をあてた異例の内閣法制局長官人事は、当時「集団的自衛権に関する憲法解釈の変更に向けた布石」として大きな批判を受けたが、目的はそんな単一の政策課題にあったのではなかったのかもしれない。人事を押さえ「法解釈を政権が一手に握る」ことこそが、政権の目的だったのではないか。「法治国家」から「人治国家」への文字通りの変容を、無意識ながらも目指しているのではないか―。

 そしてこの姿勢は菅政権になって、むしろ安倍政権よりひどくなったように思う。

 前述した「集団的自衛権に関する憲法解釈の変更」は、14年、国会にはかられることなく閣議決定で行われた。安倍政権は翌15年、この閣議決定を「後付け」する形で安全保障関連法を成立させた。

 もちろん、こうしたプロセスは、本来許されるべきものではない。だが、今になって振り返ってみれば、当時の安倍政権には、集団的自衛権の一部容認について「法解釈の変更だけでは無理で、法改正で国会に問うことが必要」という意識だけは、まだぎりぎり存在していたのかもしれない。だから「後付け」であっても、安保関連法を国会で成立させたのかもしれない(国会対応自体はひどいものだったが)。

 今回の任命拒否問題への対応を見る限り、菅政権にはそんなたしなみさえ感じられない。法解釈を都合の良いように変更し、それを国民に公表することも、国会にはかることもない。そして、それが明るみに出て世論の批判を受けても「分かってもらえると思っていました」などと、平然と答弁してしまうのだ。

 だが、その考え方は甘かったと思う。

 第2次安倍政権の官房長官を長く務めてきた菅首相は、国会答弁をある意味なめていたのだろう。官房長官時代は、どんなに「その批判はあたらない」と素っ気ない答弁で打ち切っても、野党は「官房長官に聞いているのではない。総理が答えよ」と、安倍晋三前首相に答弁を求めるからだ。

 そんな「ぬるま湯」の環境にある意味慣れきっていた菅首相は、首相となって、あらゆる疑問や批判を一人で受け止める事態に耐えきれず、今になってうろたえているのかもしれない。だから、こうした強権体質にもかかわらず、実際の国会答弁でしどろもどろになるふがいなさを露呈しているのだろう。

 こんな首相の姿勢がどう受け止められるのか。世論や野党だけでなく、何より衆院解散・総選挙を控えた自民党が、こんな姿を許容できるのだろうか。関心を持ちつつ、国会の行方を見守りたい。