バイデン米政権の対北朝鮮政策は、堅実な対話を通じて、段階的に非核化を目指す「現実的アプローチ」に転換した。しかし、これはかつて頓挫した政策であり、うまく進むとは思えない。トランプ前大統領と金正恩朝鮮労働党総書記のトップダウンによる進展をテコにしてきた日本人拉致問題は、解決の基本戦略を失っている。安倍晋三前首相が切り札と位置付けた、日朝首脳会談の実現も困難だろう。この状況をどう打開していくのか。菅政権の外交の“本気度”が問われている。

 ▽「かつて失敗」と外務OB

 「北朝鮮との外交を模索し、現実的なアプローチを追求する」。ブリンゲン米国務長官は5月3日、訪問先のロンドンで茂木敏充外相と会談し、新たな対北朝鮮政策の内容を伝えた。その後、記者会見で公式に表明したのが、この「現実的アプローチ」だ。

 バイデン政権は発足以来、トランプ前大統領の北朝鮮政策の見直しを進めてきた。現実的アプローチと言う以上、外交交渉を通じた実践的な解決を目指す方策となる。であれば、北朝鮮が受け入れ可能な「段階的アプローチ」になるしかない。

 しかし、これは新しい政策とは言いがたい。かつて日朝交渉を担った外務省OBが話す。「6カ国協議の『行動対行動』の原則と同じだ。北朝鮮が何かに取り組めば、制裁を一部緩和することで非核化を目指したが、途中段階で対立が深まり、失敗に終わった。その前の『朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)』プロセスも同様だった」

 日本が米国に求めていたのは、トランプ政権が進めた政策の継続だった。2018年6月のトランプ前大統領と金正恩朝鮮労働党総書記(当時は委員長)によるシンガポールでの共同声明をベースに、完全非核化の見返りに制裁を全面解除する「即時一括方式」による解決策だ。

 菅義偉首相は4月に米ワシントンで行われた日米首脳会談で「CVID(完全かつ検証可能で不可逆的な非核化)」という言葉も使い、バイデン大統領に強い政策を求めた。

 しかしバイデン政権は、「朝鮮半島の完全非核化」を明記した共同声明は継承するが、「即時一括」との表現は排除。北朝鮮に「譲歩と見返り」を提供する方策を選んだ。

 5月21日の米韓首脳会談でも、北朝鮮政策は「外交を通じて非核化を目指す」ことで一致。段階的な対処方針はさらに鮮明になった。

 ▽制裁解除は「カード」にならず

 それでは、バイデン政権が段階方式を取るとして、北朝鮮は米側との交渉に応じるのだろうか。19年2月にハノイで行われたトランプ氏と金総書記の再会談は決裂に終わったが、この時点では、北朝鮮は米国に制裁解除を求めていた。

 だが、20年1月1日の朝鮮労働党機関紙によると、金総書記は前年末に開かれた党中央委員会総会での演説で「経済建設に有利な対外的環境が切実に必要なのは事実だが、今まで生命のように守ってきた尊厳を売り渡すことはできない」と宣言し、米国の制裁には「経済の自力更生」で対抗していく考えを明確にした。

 これは「経済再建のための制裁解除は求めない」というメッセージだ。米側から見れば、制裁解除はもう非核化実現のカードにならない。となれば、別の切り札が必要だ。それは、北朝鮮からすれば、本命である「敵視政策」の撤回にほかならない。

 北朝鮮は、自国の安全保障を追求するため、核開発を進めて核保有国になったと主張してきた。従って、それでも米国が非核化を求めるなら、敵視政策を撤回した上で、「核保有国同士の対等な立場での協議」を迫ってくるのではないか。

 しかし、そのような協議に米国が応じるとは思えない。バイデン政権は、北朝鮮の核開発はあくまでも違法だとして、寧辺の核施設放棄と、秘匿されたウラン濃縮施設の解体を要求するだろう。核兵器の「増強」「高度化」「拡散」の阻止も譲れないし、査察を通じて完全非核化を目指すアプローチも恐らく変えまい。

 もし、そうならば、米朝間の溝はあまりに深く、交渉開始は困難だ。中国が大きく台頭してきている今、中朝関係は経済、安保両面でこれまで以上に強まっており、「対米交渉の必要性を薄れさせている」(日朝関係筋)ことも見逃せない点だ。実際、バイデン政権による交渉の呼び掛けに、北朝鮮は一切応答していないとされる。

 北朝鮮の非核化には中国の役割が重要だが、米中対立の激化から、米国が目指す方向での非核化に、中国が積極的に協力する見込みは薄い。北朝鮮はこのまま対中接近を図り、中国の支持と支援の下、米国と対峙(たいじ)していく方向になるのではないか。

 ▽まぼろしの「二階訪朝団」

 米朝関係が何も進まなければ、拉致問題の進展は見通せない。安倍前首相から引き継いで、菅首相が呼び掛ける「無条件の日朝首脳会談」も、絵に描いた餅だ。

 日本は東京五輪を舞台に、非核化の進展をにらみながら首脳会談の実現を模索していた。取り沙汰されていたのは、開会式に金総書記の妹である金与正朝鮮労働党中央委員会副部長や、崔竜海最高人民会議常任委員長ら最高位の幹部を招く案だ。

 日本では合わせて、自民党の二階俊博幹事長を団長とする訪朝団結成を目指す動きが起こった。超党派の「日朝国交正常化推進議員連盟」(会長・衛藤征士郎元衆院副議長)は4月、総会を開き「拉致問題をはじめとする、日朝間の諸懸案の解決と国交正常化のために訪朝の用意がある」との決議を採択し、菅首相に手渡した。

 議連としては、「北朝鮮要人の訪日が実現すれば、答礼として訪朝し、日朝首脳会談につなげる狙いがあった」(議連メンバー)という。しかし、もともと米朝協議の決裂で要人招致は尻すぼみとなっていた上、日本での新型コロナウイルスの感染拡大を理由とした北朝鮮の五輪不参加表明で、構想全体が白紙に戻ってしまった。

 北朝鮮からしてみれば、拉致問題は「解決済み」であり、日本が拉致問題にこだわる限り、日朝協議に関心を示すことはないだろう。しかも日本は、米国とともに対北朝鮮制裁や北朝鮮籍船舶への警戒監視活動を主導する「敵性国家」だ。防衛力の強化を進め、「軍事的圧迫」の度合いも強めている。こうなると対話の糸口はほとんど見いだせない。

 この膠着(こうちゃく)状態をどう打開するのか。考えられるのは、北朝鮮に影響力を持つ中国への働き掛け強化だ。だが、日本も米国主導の「対中包囲網」形成の動きに加わる中で、日中関係は難しい局面を迎えている。拉致問題を巡っては、これまでも日本側は再三にわたり協力を求めてきたが、中国側は積極姿勢を見せてこなかった経緯もある。

 来年2月の北京冬季五輪を利用しようと、取り組みを検討する余地はあるが、現時点で具体な展望に乏しい。

 ▽「拉致問題」置き去りに

 気になるのは、4月の日米首脳会談で発表した共同声明には、北朝鮮に対する「制裁」や「圧力」という文言は入らず、「国際社会による国連安保理決議の完全な履行を求めた」という間接的な表現にとどまったことだ。

 6月11日から英国で開かれる先進7カ国首脳会議(G7サミット)や、合わせて開催が検討されている日米韓首脳会談でも同じ対応になると見られる。

 一方、日米共同声明は、北朝鮮に対する「抑止力強化」に言及した。5月12日には東京で、日米韓3カ国の情報当局トップが会談。日本政府関係者によると「深刻化する北朝鮮によるサイバー攻撃と、資金源の遮断が議題になった」という。

 ここから見えてくるのは、菅政権は、主体的な対北朝鮮政策を持ち合わせないため、バイデン政権の融和策に同調せざるを得ないということだ。抑止力向上のため防衛力を増強し、サイバー空間分野を含めて日米同盟の強化に突き進む現状も、改めて浮き彫りにさせる。

 「北朝鮮は絶対に核を手放さない。米朝交渉は進まず、日朝協議も動かない以上、日本は日米同盟を強化し、あらゆる分野で抑止力を高めていく方向に進むしかない」。日本政府関係者は話す。しかしそれは、菅政権は「拉致問題の解決」を最重要課題の一つに掲げながら、結局は無為無策のまま置き去りにすることを意味する。

 菅首相は、昨年9月の自民党総裁選出馬表明の際、安倍前首相がぶち上げた「無条件の日朝首脳会談」を継承すると宣言した。その後、繰り返しこの方針を確認、北朝鮮に呼び掛けている。だが、拉致問題は、安倍氏の長期政権でも解決できなかった。官房長官としてその難しさは分かっているはずだ。口先だけでは、何の意味もないことを、改めて自覚し、対北朝鮮戦略を練り直すことが必要だろう。