政府が新型コロナウイルス対策として打ち出している「飲食店への酒類提供停止要請」を巡り、二つの方針が相次いで撤回に追い込まれた。要請に従わない飲食店に対し「金融機関から働きかける」「酒類販売業者に店との取引停止を求める」の二つである。

 「法的根拠のない『脅し』」との批判が噴出しているが、正直「いまさら」感がぬぐえない。菅政権といい安倍政権といい、コロナ対策に絡んで「法的根拠のない私権制限」をどれだけやってきたことか。両政権にとって、実はこれが「通常運転」だとしか思えない。この1年半の両政権の「雑な私権制限」ぶりを、改めて振り返ってみたい。(ジャーナリスト=尾中香尚里)

 「法的根拠を伴わない私権制限」で最初に想起されるのは、安倍政権下の昨年2月に突然発せられた、全国の小中高校の一斉休校と、大規模イベント自粛の要請だった。政府の対策本部でさえ「現時点では必要ない」と判断していた方針が、首相の「鶴の一声」でいきなり覆された。首相が大規模イベントの自粛方針を表明した当日に予定されていたポップグループ「Perfume」の東京ドームでのコンサートが直前で中止された衝撃は忘れがたい。

 首相の思いつきのような発言が、その日のうちに甚大な影響をもたらした実例だった。

 楽しみにしていたファンはもちろん、懸命に準備してきたイベント関係者の仕事はどうなるのか。政府方針によってイベントが中止された経済的損失をどう補償するのか。こうしたことについて、安倍晋三首相から誠意のある発言はほとんど聞かれなかった。

 当時の一連の自粛要請の時点では、現在のコロナ対策の根拠法となっている改正新型インフルエンザ等対策特別措置法は、まだ存在していなかった(野党は現行の特措法で対応可能と主張していたが、政府は「法改正が必要」として認めなかった)。つまり、安倍首相の政治決断に法的根拠はなかった。その政治決断が経済や社会にどんな影響を及ぼしたとしても、法的責任を問われることはないわけだ。

 だが、当時はむしろ「迅速な政治決断」の方に焦点が当たり、法的根拠のない私権制限への懸念といった声は、あまり大きくなかったように思う(「現場の混乱」についての言及は一定程度あったが)。

 改正新型インフルエンザ等対策特措法はこの約半月後の3月に成立。政府はコロナの感染拡大防止に向けて緊急事態宣言を発令できるようになった。しかし、安倍政権はその後も緊急事態宣言の発令をためらった。

 安倍政権が初の緊急事態宣言を発令したのは、改正法成立から3週間後の4月7日。対象の7都府県では初めて「法律に基づく」外出自粛要請や休業要請が出されることになった。政権としては、ここで十分な補償を伴う強い私権制限をかけ、短期間で感染拡大を封じ込める戦略もあったはずだ。だが、彼らがやったのは、休業要請の対象となる業種を絞り込もうとすることだった。宣言を「小さく」使おうとしたのだ。

 法律に縛られない私権制限は悩みなく行うのに、法律に基づいた私権制限は渋る。補償を含む政府の責任が生じるのを嫌がったとしか思えない。実際、安倍首相は同7日、国会で「民間事業者や個人の個別の損失を直接補償することは現実的ではない」と答弁している。「政府の責任で補償を行いたくない」という本音を、堂々と口にしたのだ。

 安倍首相に代わって9月に発足した菅政権も、その体質は基本的に変わらなかった。

 菅政権は今年2月、新型インフルエンザ等対策特措法など関連法案の再改正を行った。緊急事態宣言の手前の状態で感染拡大を防ぐ「まん延防止等重点措置」を新設し、時短などに応じない事業者に罰金(過料)を課すことを盛り込んだ。法案審議の過程で削除されたが、当初案には入院を拒否した感染者に懲役刑を科すことまで盛り込まれていた。

 「感染拡大が収まらないのは、十分に外出を自粛しない国民のせい」という政権のいらだちが、如実に反映されたような法律だ。

 安倍政権も菅政権も、感染拡大を防げなくなると「法律が要請ベースで強い措置が出せない」などと言い、自らの対応のまずさを「法律のせい」に転嫁してきた。特措法の再改正もこうした認識に基づくものだったろう。

 ところが、菅政権はせっかく(あえて言う)特措法を再改正しておきながら、それを使うことには及び腰だ。昨年に最初の緊急事態宣言の発令をためらった安倍政権と相似形をなしている。

 菅政権は感染拡大の原因を「飲食店による酒類の提供」1点に押し付けている。このこと自体納得いくものではないが、ここでは取りあえず置く。菅政権がそこまで「酒類提供を何としてもやめさせたい」と言うのなら、再改正した特措法を使って飲食店に営業時間の短縮や休業を「命令」し、応じなければ政治の責任で、法律に基づき粛々と「過料」を課せばいいはずだ。そのための法改正ではなかったのか。

 菅政権はそういう方法を取ろうとせず、飲食店に影響力を持つ金融機関や、取引先の酒類販売業者を使って、酒類を販売しないよう「働きかけ」をやらせようとしたのだ。

 安倍政権も菅政権も、「法律の不備で対策が取れない」と嘆いておきながら、実際に特措法を改正しても積極的に使おうとはしない。なぜか。

 一つはたびたび指摘してきたように、政府として補償などの法的責任を負わされること、特に財政負担を避けたいのだろう。これまでの過程から、明白に政権の意思が見て取れる。

 そしてもう一つ。筆者はこちらこそ深刻だと思うのだが、安倍政権も菅政権も「法律を使わずにカジュアルに私権制限できる社会」を作りたいのではないか。

 安倍政権が最初に一斉休校や大規模イベントの自粛を要請した時には、法的根拠はなかった。子供たちの学習に大きな影響が出ても、休校で働けない保護者が出ても、給食関係の業者が苦境に陥っても、政治は法的責任を負う必要がない。

 政治権力は行使したいが、政治の責任は取りたくない。それが両政権の本音だろう。実際、昨夏に湘南の海などに出没した「自粛警察」、箸の上げ下ろしにまで注文をつけるかのような「新しい生活様式」など、国民に相互監視させながら政権の意思を国民全体に押しつけようとする動きは、これまでにいくつも見られた。

 今回の酒類提供禁止をめぐる一連の問題も、こうした流れの一つであるように思う。

 総選挙が近づいている。菅政権としては、政府自らが特措法を使って営業自粛を命令したり罰金を課したりして、有権者に恨まれたくはない。だから、金融機関や取引業者という「民間同士の利害関係」を使い、裏から飲食店に圧力をかけようとした。政治として責任を取らずにすむよう、他者を使って間接的に政治権力を行使しようとした。

 それが裏目に出てかえって周囲の総反発を招いたのだ。やり口の姑息(こそく)さが、筆者には耐えがたい。

 ところで、冒頭に「酒類提供停止に関して、二つの方針が撤回された」と書いたが、実はあと一つ、いまだ撤回されていない方針がある。

 要請を守らない飲食店についてメディアで広告を扱う際に「要請の遵守(じゅんしゅ)状況に留意してもらうよう依頼を検討している」(西村担当相)というものだ。メディアへの圧力につながりかねない方針だが、西村担当相は14日の衆院内閣委員会でも、この方針については撤回を明言していない。こんな常識外れの対応を公言することに、菅政権はもはや何のためらいも感じなくなっている。

 ここはあえて言っておきたい。コロナ禍のこの1年半、私たちは安倍、菅両政権の政治権力の使い方、つまり「雑な私権制限」を結果として受け入れてしまった。筆者もこれまで両政権の「雑な私権制限」をたびたび指摘してきたつもりだが、質量ともに全然足りなかった。

 そうやって国民全体が政権を甘やかした結果が、こんな政治を生んでしまったのだ。