「自動車の街」として知られる米ミシガン州デトロイト市の中心部に、1912年から99年までの長きにわたり市民に愛された米大リーグ・タイガースの本拠地タイガースタジアムがあった。幹線道路の交差点に面していたことから「ザ・コーナー」とも呼ばれた球場では、球聖タイ・カッブなど多くの名選手が躍動し、数々の名場面が生まれた。

 元号で言えば明治45年4月に開場した大リーグ最古の球場として、現在もファンクラブがあるほど高い人気を誇ったスタジアムは閉鎖後、一転して数奇な運命をたどることになった。(米ミシガン州在住ジャーナリスト、共同通信特約=谷口輝世子)

 ▽財政破綻

 2000年、タイガースは新球場コメリカ・パークに移転した。日本でも生中継された試合で、記念すべき開幕投手を務めたのが野茂英雄。日本人大リーガーとして初の栄誉だった。華々しくオープンした新球場とは逆に、タイガースタジアムは衰退するデトロイト市を象徴する存在になってしまった。

 背景にあったのが、2000年代初頭に始まった自動車産業の長期低迷。09年2月にはゼネラル・モーターズ(GM)が、同年4月末にはクライスラーが相次いで経営破綻した。その影響で、最盛期には人口が180万人を超す大都市だったデトロイトは約70万人にまで減少。失業率が高く税収も落ち込んだところに、治安の悪化や高齢化の進行、景気低迷が追い打ちを掛けた。当然、街は荒廃していった。

 そして、13年7月にデトロイト市が財政破綻した。負債総額は全米の自治体としては過去最大の180億ドル超、当時の日本円で約1兆8千億円だった。

 市が所有するタイガースタジアムは公園や商店街など再開発されるはずだったが、何もされないまま放置された。取り壊すのか、保存するのか、新しい何かを作るのか―。財源はなく、意見もまとまらない。移転から10年近くが経過して、ようやく取り壊すことだけが決定。09年にタイガースタジアムは消えた。

 ▽歓声、再び

 財政破綻から6年以上がたった今も街が復活したとはいえない。それでも、一部地域では再開発が始まった。大通りにはスポーツメーカーのナイキなどが次々と店舗をオープンし、多くの新築アパートが建設されている。デトロイト市の財政は恩給支払いの一時免除などもあって、立ち直りの兆しを見せている。

 「ザ・コーナー」にも歓声が再び戻ってきた。デトロイト市のスポーツ団体「デトロイトPAL(ポリス・アスレチック・リーグ)」が18年に、子ども向けスポーツ施設を建設したのだ。多くの人でにぎわった球場だったことを思い起こさせるものを作りたいと考えていた地元議員たちも計画を後押しした。施設の名前はタイガースタジアムに敬意を表して「ザ コーナー ボールパーク」となった。

 デトロイトPALは50年ほど前から野球やアメリカンフットボール、バスケットボール、バレーボール、サッカーなどのリーグを運営している。現在は市内を中心に1万4千人以上の子どもが参加しており、新施設はその拠点となる。タイガースタジアムと同じ場所にホームベースを置いた野球用のグラウンドは、アメリカンフットボールやサッカーの試合もできるよう工夫している。凍えるほど寒くなる冬を除く長い間、このグラウンドで熱戦が繰り広げられている。

 ▽人を育てる

 プロ選手も輩出しているデトロイトPALだが、エリート育成が目的ではない。理念として掲げるのは、スポーツを通じて人を育てること。新施設に子どもの学習を補助する教室を設けたのもそのためだ。デトロイトPALの卒業生で、職員のジェイコブ・ヒルさんは「スポーツをやりたいと思って集まってくれた子どもにスポーツを通じていろいろなことを学ぶ機会を提供できればと考えています」と話す。

 財政破綻から立ち直りを見せているとはいえ、デトロイト市内には、低所得世帯やひとり親のもとで育つ子どもたちが多いのも事実だ。そこで、職業体験などにも力を入れている。

 栄枯盛衰を刻んだ歴史的空間に、デトロイトの次世代を担う子どもを育む場所という新しい使命がようやく与えられた。ここから巣立っていく子どもたちが、新しい街を作り上げていってほしい。そう願ってやまない。