プロ野球選手を輩出してきた岡山県共生高(同県新見市)野球部が今夏、19年の歴史に幕を下ろした。台湾人として初の主将を任された林承緯君(18)は台湾のテレビで見た甲子園にあこがれて来日。だが新型コロナウイルスの影響で全国高校野球選手権大会が中止となり、気持ちを切り替えて県の代替大会に臨んだ。(共同通信=間庭智仁)

 ▽逸材

 2001年創部の野球部は、夏の県大会には5度8強入り、秋の中国大会には3度進出した。04年に就任した森下雄一監督(57)は「5点取られても6点取る」という打撃重視のスタイルを追求し、高校の後輩で全幅の信頼を置く太田学コーチ(49)と二人三脚で選手を鍛え上げてきた。

 これまでに呉念庭(西武)や李杜軒(元ソフトバンクなど)ら7人のOBが日台のプロ野球で活躍。うち6人が台湾人だ。森下監督は「日本式の礼儀や時間感覚、ホームシックに悩む選手もいたが、頑張る子を応援してきた」と振り返る。

 経営側の方針で今年限りの休部が決まり、今夏の部員は台湾からの留学生5人を含む3年生16人のみ。林君は台湾のU―12(12歳以下)の代表経験もあり、勝負強い打撃で1年時から主力となった。この夏を最後に野球から離れる森下監督が「プロ入りした先輩に引けを取らない」と評する逸材で、迷いなく主将を任せた。

 林君は初の甲子園出場を目指して昨秋から、扇の要である捕手に挑戦。コミュニケーション面で苦労はあったが、愛用のミットを託した捕手出身の太田コーチが手取り足取り指導し、正捕手に収まった。

 ▽最後のチャンス

 中軸は林君と、三振の少ない堅実な打撃が武器のセンター蘇翊君(18)、大きな声でチームを鼓舞し、投手も兼任する一塁手劉郡廷君(18)の台湾人留学生で構成。同じく台湾人の徐若斉君(18)も努力を重ね正三塁手の座をつかんだ。「あの大歓声や大応援の中に立ちたい」「最後の一球まで諦めない姿に魅了された」。皆が甲子園に憧れて来日を決意し、最後のチャンスに懸ける思いは強かった。

 だが5月、全国高校野球選手権大会と、出場権を懸けた地方大会の中止が決まる。6番を任される予定だった徐君は3月に母を亡くして帰国後、入国制限の影響で日本に戻れず、代替大会への出場を泣く泣く諦めた。部員らは「甲子園はなくても成長したい。徐の分も戦う」と前を向いた。

 コロナ禍による休校明けの6月、全体練習が再開。甲子園という目標を失い、森下監督は当初「彼らの苦しさを共有できるのだろうか」と部員との接し方に悩んだ。しかし、練習が始まると重い空気はなく、選手達は「野球が楽しい」とグラウンドを跳ねた。練習試合などをこなす中で、徐々に一体感を取り戻していった。「国籍に関係ない団結力が僕らの持ち味」。代替大会の直前、荷物運びやグラウンド整備など裏方の仕事を率先する地元・新見市出身の控え選手、上杉成君(18)は自信を見せた。

 ▽「将来プロに」

 7月19日の代替大会初戦。古豪・笠岡商高を相手にリードしては追いつかれる苦しい展開も、7回に4連打し5対3で勝利した。先発した劉君の粘投や蘇君の攻守の活躍が光った。

 同24日には岡山工高との2回戦に臨んだ。コロナ対策で保護者らだけが見守る中、2対6で迎えた八回裏。3番林君の二塁打、4番蘇君の連打で3点を返したが、反撃はそこまで。部の歴史を背負ってプレーした林君は目に涙を浮かべながら「悔しいけど、みんなで全力を出せた。大学に進み、将来はプロになる」と力強く語った。

 「今夏、皆が野球ができる喜びをかみしめた。この世代しか持てない感性や苦しさを将来に役立ててほしい」。森下監督は選手らをねぎらうとともに「目いっぱいやれた。楽しかった」と自身の野球人生を総括した。